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I. 絵画の奥にて
今際の祖母が、まじないのような言葉と共に幼い私へ手渡したのは、錆びれた一つの鍵であった。
『白貂を抱く貴婦人の奥、城に眠る蒼き庭』
祖母の葬儀が終わり暫くして、私は祖母の部屋へそっと忍び込んだ。形見分けもほぼ終わり、物もまばらな部屋のなかで、一際目を引くものがある。
天蓋付きの寝台、その向かいの壁へ飾られた絵画。
無名の画家が描いたらしい「白貂を抱く貴婦人」という題名の絵を、祖母はいたく気に入っていた。
絵画の前で顎に手を添え、探偵のように暫く考え込んでいた私は、わざとらしくハッと閃いた仕草をした。窓際のプレジデントデスクに備えつけられた椅子を引きずるようにして運び、その上に立ちそっと絵画をはずしてみる。
すると、真白の壁に不自然な鍵穴が現れた。たまらず、自分の手にある錆びれた鍵と鍵穴を交互に見合う。
がちゃり。
それが合図であったかの如く、部屋のあちこちで機械仕掛けの音が鳴り始め、やがてぴたりと鳴り止んだとき、不気味な音を立て壁の一部が割れた。
割れ目が入った部分を、精一杯の力で押してみる。すると壁の一部が回転し、隙間からその奥の真暗闇がさらけ出された。暗闇からは、僅かに風が吹き付けている。
椅子から転げるようにして降り、鞠のように跳ねる心臓を必死に落ち着かせ、机の引き出しからマッチを取り出して燭台に火を灯す。燭台を暗闇へかざすと、終わりの見えない石階段が続いていた。
たちまち胸が高鳴る。ろくに城の外へ出たことがなかった私は、年相応の好奇心を持て余していたのだ。
階段を降りる自分の足音が、反響する。
それに混じり微かに聞こえていた音が段々と近づいてくる。これは──波の音だ。
やがて階段が終わり、開けた場所に出た。
そこに広がっていたのは、明媚に青ずむ地底湖のような空間である。石で形作った埠頭を思わせる足場があって、少し先には洞窟の口があり、そこから遥かな水平線が見える。海へ続いているのだ。
岩壁の上に建つこの城は、祖父の祖父の代、まだ戦禍が激しかった時代に建てられたものだ。恐らく敵軍に攻め入られた際、海へ逃げ出すための退路として造られたのだろう。
──これが、祖母が私に遺したかったもの?
何だか腑に落ちない。
口開く洞窟の先に広がる水平線をぼんやりと眺めていたら、海面からぽつんと顔出す小さな岩が視界の端を掠めた。
……あんなところに、景色を妨げるような岩があったろうか?
不思議に思い目を凝らして、私は声にならない声を上げた。
人の顔である。
海から人の顔上半分が覗き、じっとこちらを見つめていたのだ。
私は洞窟に大きく反響するほどの叫び声を上げて、脱兎の如く階段を駆け上った。
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