第一章 過去へ

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「本日の稽古には参加されぬと聞きましたが」  総髪の男が、うなるようにつぶやいた。  不機嫌だ。一目でわかる。葵は芹沢と呼ばれた男をちらりと見上げた。しかし対するこちらは妙に上機嫌のようすである。  なに、と芹沢はふたたび女ふたりの肩へ手を添えた。 「高く売れそうなものを拾った。君達にも紹介してやろうとおもうてな」 (売る?)  葵が綾乃を見る。  しかし彼女は、先ほどやってきた不機嫌な総髪男に釘付けのようで、葵の視線に気づいていない。あれよという間に、総髪男にならって数人の男たちが集まってきた。ほとんどの男は、頭頂部を剃り上げた月代スタイルである。  みな訝しげにこちらを覗き込む。 「こいつらの身に着けているものは、高く売れそうだ。見てみい」 「うっ」  こいつらの、と言った瞬間に葵の背中がばしりと叩かれた。上機嫌な様子である。以前に綾乃から聞くところでは、酒が入った芹沢鴨は手がつけられない暴れん坊だったとか。  仮に彼がほんとうに芹沢鴨だとして。  もしもいま酒が入っていたら、力の加減もされずに叩き殺されていたかもしれない。葵の顔は青ざめた。 「誰です」  総髪の男は、涼しげな眼をふたりに目を向ける。  ずいぶんな美丈夫だが、その瞳に浮かぶ怜悧な空気にはどうも馴染めず、葵はふたたび綾乃を見た。するとどうしたことか。彼女は頬をまっ赤にして息を止めている。 (あれ?)  葵が視線を男にもどす。  男は舐めるように女たちを見てからぐい、と顔を近づけた。 「俺は土方歳三(ひじかたとしぞう)という。あんたら、どうにもへんてこなみてくれだな。どこから来た」  瞬間、綾乃の脳内を通る毛細血管が二本ほど切れた。  土方歳三。  その名は、検索エンジンに『幕末』『イケメン』とワードを入れれば、いやでも上位にあがってくる。  新選組副長として京の町に名を轟かせ、その活躍を数多くの美男俳優によって演じられ、かの司馬遼太郎には『猫に似た恋をする』と恋の仕方まで揶揄された、古今東西不変の評価を誇るイケメン偉人である。  葵は知っている。  三橋綾乃が、彼を知ったその瞬間から心奪われたことを。死人である彼との叶わぬ逢瀬を神に祈りつづけていたことを。愛用携帯の待受画面がこの男の白黒写真で飾られていることも、出会ってからの歳月で狂おしいほど彼を愛してきたことも。  だから、 「あ──…………」  と、土方歳三の視線から逃れるように、葵のうしろに隠れてべそべそ泣き出す彼女の気持ちは察するに余りある。葵は苦笑した。おかげで心持ちも妙に冷静になってきた。  土方を見た。彼は、困惑した顔で固まっていた。  声をかけて泣かれたらこんな顔にもなる、と葵は冷えた頭で納得する。  しかし、となると次に湧いてくる疑問は当然──何故死人が生きているのだ、ということ。映画の撮影にしては、カメラやスタッフの存在がひとつもなし。綾乃がこれほど泣きべそをかくのだから、平成の役者が似せているだけとも思えない。  葵は勇気を出した。 「と、徳田葵といいます。こっちは三橋綾乃──その、私たちも突然のことで正直分からなくて。えっと……たぶんタイムスリップなんじゃないかっておもってるんですけど」 「たいむすりぷ?」  土方は首をかしげた。表情が曇る。  そりゃあそうだ。タイムスリップならばなおさら、そんなことばが通じるわけもない。しかしここで身の潔白(わるいことをした覚えもないが)を証明せねば、この時代いつ獄門磔にされるかもわからない。  いったいなんと説明すれば獄門磔を免れるか、と葵が頭を抱えた。 「あの」  と背後で声がした。  葵の肩越しから恥ずかしそうに顔を出した、綾乃である。 「いま──文久の三年。つまり癸亥(みずのとい)ですか」 「それがどうした」 「…………」  綾乃と葵は顔を見合わせた。  ──まず、土方歳三と壬生寺に縁があること。さらに芹沢鴨が生きて京にいることを鑑みれば、いま現在が『十四代将軍徳川家茂の御代、文久三年の春ごろである』ということは想像にたやすい。……らしい。あくまでも綾乃の感覚である。  問題は、なぜ平成の世にいたはずの自分たちが、文久の世に存在しているのか、である。 「わたしたち、ふた回り先の辛卯(かのとう)からやって来たんですけど。信じてくれますか」 「…………馬鹿にしてんのか」 「うわかっこいい」  綾乃がハッと口元をおさえる。  葵がその頭をはたく。  綾乃はいちど深呼吸をしてから、つづけた。 「──加藤清正って武将をご存知ですか」 「勇将だな」 「その人が生きていた時代に貴方が存在して、加藤清正本人に会ったと想像してください」 「ああ?」 「わたしと葵にとっては、貴方も加藤清正と同じようなものなんです。百五十年後の世界にいたわたしたちに、今まさに勇猛偉大な憧れの人物と出会うという、ミラクルなことが起きているんですよ!」  と。  力説をする綾乃の背後では、葵が「私はそうでもないけど」とつぶやく。葵は土方歳三のような人気王道路線よりも、マイナー人気どころが好きなのである。  しかも言葉にすればするほど嘘くさい。  案の定、土方には響いていないようで侮蔑の眼差しを向けられた。 「もうちょっとましな嘘はつけねえのか」 「嘘ならもっとましな嘘をついてます」 「…………」  土方は閉口する。  すると、いままで興奮していた綾乃も、現状を話すにつれてあらためてこの絶望的な状況に気が付いたらしい。「うわマジか、どうしよ」と蒼白な顔を葵に向けた。 「わたしたち本当に百五十年前にタイムスリップした?」 「うん、そうとしか考えられない──」 「帰る家も、頼れる人も、おまんま食べる銭もねえ」 「どうしよう!」 「職質受けたら気ちがい扱いときた」 「挙句の果ては獄門磔だよう。死んじゃうよ、どうしよう綾乃──」  とうとう葵まで泣き出した。  まったく不幸の三連単である。歴女が再三夢見るタイムスリップなど、現実に遭遇してみれば迷惑千万この上ない。この先に起こりうる最悪を想定した葵は、綾乃にすがりつく。綾乃はヨシヨシと葵の背中を撫でさすった。  さて、土方歳三。  もうひとりにまで泣かれてさすがにバツが悪いらしい。先ほどよりも若干やわらかい声音で、 「真偽のほどは別にしても、その頭といい着物といい普通じゃねえことは確かだ。俺たちは京の治安を守るためにここにいる。不審な人間を野放しにするわけにはいかんのでな、屯所まで来てもらうぞ」  と言った。  ちなみに彼の指摘した『頭』とは、葵の茶髪ボブパーマのことを言っているらしい。たしかに江戸時代にこんなヘアスタイルの人間はおるまい。  屯所連行と聞き、いよいよ処刑が近いと悟った葵。  さすがの綾乃も「ヤバい」とテンパる。 「お宅訪問はヤバい。ないものが勃つ」 「ことばを選べ!」  もうだめだ。不敬罪で獄門磔だ──と、葵が頭を抱えたときだった。   「まあ待て土方くん」  と。  一連のやり取りを静観していた芹沢の声が、いまにも女ふたりを連行させようとしていた土方を引き止めた。
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