第四章 足掻く

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「平助」  ここだけ、時が止まっているようだ。  現場に降りたってからずっと、永倉は藤堂の姿を探していた。ようやく見つけた。 「…………」 「…………」  しばらくの睨み合いののち、永倉は不自然に身体を避けた。  藤堂はハッとした。  それが、永倉の作る自分の逃亡ルートだと気が付いた。 「……永倉さん」  永倉はちいさくうなずく。  生きろ、という永倉の声が聞こえた気がして、藤堂は奥歯を噛みしめながら、一度、そちらに行きかけた。  しかし。  その瞬間、永倉が気付いた。  藤堂の後ろから、かつての八番隊部下である三浦が刀を上段に構えて駆けてくる。 「やめろ三浦ッ、平助、左に避けろ!」  彼が袈裟斬りに刀を振り下ろしたのと、永倉が叫んだのは同時だった。永倉の声で藤堂は身体をごろりと回転させる。刀の切っ先が横っ腹を掠め、着物が切れた。 「…………」  着物の切れ目を見て、藤堂は息を呑む。  三浦は永倉の怒号に驚いて、追撃せずに立ち止まった。どうやら彼には藤堂を生かせという命令が届いていなかったようである。  汗をぬぐい、永倉が他に行ってろと唸るように言うと、三浦はうなずいて他の加勢へと向かった。 「あぶねェ」  その姿を見届けてから、永倉はホッとした顔で再度藤堂を促した。 「さぁ早く」  けれど、今度は藤堂が動かない。  永倉の気が焦った。 「おい、早く行けッ」  しかし藤堂は、後ろから聞こえる斬り合いの音を聞いている。誰かが斬られ、どうと倒れた音がした。  唇を噛みしめる。  ──いつもいつもそうだった。 「なんでいつも、あんたなんだ──」  声も震えている。  池田屋のときもそうだ。  額をやられた自分を庇い、命を張って守ってくれた。   手合わせのときだって、お前は額が弱点だと教えてくれた。  そうして、いま──。  互いに敵となり真剣を交える必要がある現場でさえ、彼は自分に刃を向けようとはしないのだ。 「平助ったら!」 「うるせえッ」 「────」  小さな身体で、藤堂は永倉よりも声を張り上げた。  永倉は戸惑った。  藤堂はふたたび叫ぶ。 「俺と闘えッ!」 「──平、」  突然、斬りかかる。  永倉はそれを刀で受け止めた。彼の刀身を通して殺意が伝わってくる。 「平助、なんで」 「もういいんです」 「…………」 「俺にだって、あるんだから」  鍔迫り合いのなか呟き、藤堂は笑った。 「俺だってもう、子どもじゃねえんだよ。永倉さん」  そんな言葉とともに、藤堂と永倉は今一度対峙した。  いくら目の前の刺客が盟友であろうとも。  藤堂は、おのれの武士道を捨てるわけにはいかなかった。 「俺を、誰だと心得る」 「────」 「御陵衛士の魁先生とは俺のことよ!」  これが、藤堂の意地なのだ。  その咆哮で永倉は目が覚める想いだった。  自分はなにも分かっちゃいない、とひどく己を恥じた。  自分が守るべきは彼の命ではなく、彼の意地だと。  そのためにできることはもう、ただひとつしかない。  それは、永倉にとってあまりにも残酷な選択だった。 「……相対するは」  だから、少しだけ声が震えたけれど。 「新選組二番隊隊長、永倉新八!」  平青眼の構えをつくった。  ──それからはほんの十秒ほどの出来事である。  右足を踏み込んだ永倉の切っ先が、藤堂の額に迫る。  昔からここを攻められると弱かった。池田屋でも斬られたところだ。  しかし藤堂はそれをはねのけて永倉の懐に飛び込む。 「おっ、ちゃんと修行したな」 「はいッ」  藤堂は笑顔だった。  楽しかった。  今までのどの立ち合いよりも楽しくて、 「────」  悲しかった。  膝から崩れ落ちた藤堂に見向きもせず、永倉は刀を鞘に収める。  藤堂は側溝に顔を突っ込んだ状態で息絶えた。 「…………」 「平助ッ」  ようやく駆け付けた原田が、永倉と藤堂を交互に見て眉を下げる。成り行きを悟ったのだろう、原田は永倉を責めるようなことはなにも言わなかった。  ただ、あまりにも哀れに思ったか。  側溝に顔を突っ込んでいる藤堂を直してやろうと手を伸ばす。 「左之、いい」  永倉はひどく疲れた声を出して止めた。 「それは俺たちがやることじゃァない──」  その言葉が胸に刺さる。  原田はああ、と呟いて涙を流した。  伝う涙が頬を熱くさせ、吐く息が白い。そのとき初めて、今日が寒い日なのだと気がついた。 「今日はずいぶん──寒ィ」  こうして、後の世に言う油小路の変は終わりを告げた。  翌日早朝、綾乃と葵は現場に赴いていた。  明け方ごろ帰営した永倉に一言「ダメだったよ」とだけ報告を受け、居ても立ってもいられずに現場へと駆けつけてしまったのである。 「…………」  七条油小路は酷い有様であった。  そこかしこに服部、毛内、その他多くの御陵衛士の死体が転がっている。  藤堂の死体は、他より少し離れたところに斃れていた。  触れると、寒さで凍っている。  綾乃は躊躇なく側溝に突っ込んでいた藤堂の頭を出してやった。  刀を握り締めている右手は、もはや凍って開かない。 「…………」  何ひとつ、言葉にならなかった。  涙も出なかった。  ただわかったのは、 「──笑ってる。…………」  これが、友からの精一杯の餞だということ。  これが彼にとって、一番望んだ結果だったということだろうか。  慶応三年、十一月十八日。  伊東甲子太郎、藤堂平助、他御陵衛士志士死去。  彼らの遺体は、さらなる御陵衛士残党をおびき寄せるため、二日間ほど晒された。  しかしそれが罠であると分かっている彼らが引き取りに来るはずもなく。  その後、山崎らの手でひっそりと光縁寺に埋葬され、翌年、戒光寺へ改葬された。  ※  坂本龍馬暗殺事件の犯人は新選組である、という噂は民衆にもまたたく間に広まった。 「…………」  不動堂村屯所を見る世間の眼は、一気に冷たくなり、こそこそとあることないこと呟く町娘も少なくない。  そんな状態に綾乃は、嫌気がさしている。 「言いたいことがあるなら、仰って。どうぞ!」  と、屯所の門前で仁王立ちをして、こそこそと話している娘たちを威嚇する。それが数日続いたため、土方も眉を下げて綾乃を止めた。 「おい、みっともねえったら」 「なにがみっともないですか。サノは龍馬のこと、暗殺どころか守ってくれたっていうのに、世間じゃ暗殺者扱いだよ。そんなの許せないじゃないですか。悔しくないんですか、わたしは悔しいですよ!」 「こんなのは──とうの昔から受けてたじゃねえか。今更どうってこと」 「どうってことある!」 「…………」  土方は苦笑し、小声でぼそりと言った。 「近藤さんが幕府のお偉いさんに呼ばれた。恐らくは坂本のことだとは思うが」 「……やっぱり、わたしたちだけでやるべきだった」 「────」  ふん、と土方は鼻をならす。 「馬鹿か、お前は」 「そうだ馬鹿だ」  それに便乗して、土方の後ろからひょっこり現れたのは、原田だった。 「俺がいねえで、坂本をどうやって助けられたんだ。お前等、絶対死んでたぜ」 「それは」 「気にすんな。世間からこう見られるのも仕事のうちだ」  土方の涼しげな顔に、しかし綾乃は胸がちくりと痛んだ。  一方その頃、若年寄の永井尚志に呼ばれた近藤は、案の定──坂本龍馬暗殺事件について聴取を受けていた。 「無論、新選組は関与しておりませぬ。隊士全員の居場所を逐一把握しているわけではありませぬが、なれど、もしも新選組が暗殺をしたとすれば、中岡さんを殺し損ねるはずはない」 「ふむ」 「それに、坂本龍馬に手を出すなと仰られたのはお上のはず。その命に背くことを、我々がするはずがない」 「だろうな。──これは土佐藩からの要請だ。なんせ新選組の、原田という男の鞘が見つかったという話であったからな」 「原田」  またか。  近藤の脳裏に、伊東の顔がちらついた。  何故だろうか。  その後に確認したが、原田の刀には大小どちらにも鞘はあった。 「それは、誰から」 「御陵衛士の伊東甲子太郎だ。まあ、彼も君たちの手によって殺されたが」 「…………」  やはり、伊東。  これではまるで、いかにも口封じのために新選組が伊東を殺したと思われても仕方ないことだ。  近藤は小さくため息を付く。 「まあ、よい。どうせもう土佐藩の者たちも、いずれ諦めるであろう」 「…………」 「よい、下がれ」 「ハッ」  と、一度は返事をしたものの、ふと近藤は頭を下げたままぽつりと呟いた。 「────見廻組は」 「なに」 「見廻組は今回のこと、なんと」 「…………」  近藤の一言に、一瞬の沈黙。  その後、永井はつっけんどんに「お前には関係ない」と突き放して部屋を出て行った。  それからしばらく、近藤はその頭を下げた状態のままじっと考え事を始める。 「……坂本龍馬」  なんてことのない男のため、幕府のお偉方や恐らくは薩長土藩の上士までもが、陰で動いていると見える。  九月頃に近藤は、後藤象二郎と会談をしたことがある。  彼の話したこの国の未来像は、大変目の覚めるような話で、ぜひまた話を聞きたいと思っていた。しかしその策も、もとを辿れば話の出元は坂本龍馬だったという話もある。  もしかすると幕府は、──いや、日本はとんでもない人間を失ったのではないのか。  鉛がつまったような胸の重苦しさを覚えながら、近藤勇はようやく顔をあげた。  そのときである。 「おお、まだ居てくれたか」  松平容保が座敷にやってきた。 「あっ、此れにて失礼を」 「いや──坂本龍馬のことで来たようだな」 「ハ、永井様に」  と言った近藤に、容保は眉を下げて小さくため息をついた。 「……実を言えば、刺客は把握しておる」 「は」 「土佐藩の要請でここまで徒労してもらった。が、見廻組であろう」 「……そ、それは──会津様のご指示で?」  聞かずにはいられなかった。  近藤の質問に一瞬、視線をさ迷わせ、会津の頭領は呟くように「いいや」と言った。 「坂本龍馬は寺田屋にて、幕吏をふたり短銃で撃ち殺している。佐々木が坂本を捕縛対象としていたことは知っておる」  しかし、と松平容保はうつむく。  殺すとは聞いていない、とでも言いそうな雰囲気である。  近藤はふたたび平身低頭の形になり、 「恐れながらこれは、私めの独り言に御座いますが」  と言った。  容保の動きが止まる。 「此度の坂本龍馬暗殺事件、我々新選組は事前に察知し、坂本龍馬を守りました」 「守った──?」 「坂本龍馬は、生きている」  近藤の言葉に、容保は目を見開いて近藤のそばに膝をつく。 「そなた──それは」 「無論、社会的には死んでおります。しかし坂本龍馬本人については、もうどこにいるかは分かりませぬが、死んではおりません──というのも、あの女たちが」  近藤が一瞬言葉をつまらせる。  容保は、近藤に顔を寄せ、囁くように言った。 「三橋と徳田、というおなごのことか」 「──そうです。彼女らが己の命を張りました。此度の件も、成し遂げたのはふたりが居てこそでした。しかしだからこそ、私は危惧しております。いつか、考えの浅い何者かに襲われてしまわぬかと」 「…………」 「この件において、見廻組が妙な気を起こさぬよう──願いたいものです」  近藤は、鋭い眼光を容保に向けた。
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