50人が本棚に入れています
本棚に追加
「退く者は斬る」
──宇都宮城攻略に際し、土方は戦闘におびえて逃げ出そうとした従者をひとり斬り殺し、そう言ったという。
土方指揮のもと宇都宮城は半日で攻略せしめるも、わずか四日後には新政府軍の奪還作戦により敗退。城を放棄する。
この戦で、旧幕府軍の幹部陣──大鳥、土方、江上は負傷した。
土方は足を撃たれ、江上は大砲の散弾により横腹を被弾。両人ともひとりでの歩行が困難となり、部隊は今市方面へと敗走する。
旧幕府軍が日光に陣を張っていると聞き、一足先に日光東照宮に向かった綾乃は、道中で土方の負傷を聞く。
部隊が戻るなり、綾乃は土方を探した。
人の肩を借りて歩いてくる彼を見つけると、脇目も振らずに駆け寄った。
「ああ──」
土方の顔が、ふと和らぐ。
肩を借りた市村鉄之助に「ありがとう」と声をかけ、土方は綾乃の肩に体重を移す。綾乃は珍しく言葉少なに、彼を東照宮内の一室へと運んだ。
「足をやられた」
「聞きました」
「……うん。いッ」
「応急処置なんだからおとなしくしてください」
怒っているのか、と土方がこわごわ顔を覗くと、綾乃は眉をしかめて丁寧に包帯を巻いている。鳥羽伏見の戦で学んでから、連日の戦によりだいぶ上達したようだ。
手際の良い手つきに、土方はくっくっと笑った。
「お前に包帯を巻かれる日がくるとはな」
「なに言ってんのよ──」
包帯を結び、綾乃はうつむいた顔を上げる。
すると土方が思った以上に情けない顔をしていたので驚いた。
「どうしたんですか」
「ひとり、斬っちまった」
「え?」
「怯えて逃げ出したもんだから、斬ったんだ。まだ若い男だった」
「────」
「鉄之助に添われていた時にふと思ったんだよ。思えば……不憫なことをした」
落ち込んでいる。
歳をとったのだろうか、最近彼は涙腺が脆いらしい。綾乃の前ではよく、悔しいときや切ないときに涙を浮かべることも多かった。
そんなとき綾乃は、励ますことはしない。
「今さら後悔したって遅いです。土方さんったらアドレナリンに任せるといつもそうなんだから」
「…………」
「お墓を建てましょう。こんな時勢ですもの。自分のお墓があるだけ贅沢なことですよ」
「うん……そうだ、そうしよう」
今市にて、土方は日光東照宮の守備についていた土方勇太郎に金を渡し、涙ながらに従者の墓を建てるように頼んだ。
そののち、土方は療養のため若松城下の清水屋に入る。
宇都宮にて敗走してからの新選組は、戦。戦。戦である。
負傷した土方に代わり、斎藤一もとい山口次郎が新選組の隊長となり、会津藩指揮のもと連戦連夜の日々を過ごした。
特に激戦となったのは、白河城での攻防戦である。
会津討伐のための本拠地として、新政府軍が二本松藩兵を駐屯させていたところを、会津軍が奪還を計画。
閏四月二十日。
新選組や会津先鋒隊、純義隊などの旧幕府軍が進発して翌日には落城に成功する。が、ふたたび奪還を狙う新政府軍の攻撃により、旧幕府軍は多くの犠牲者を出して、また敗退。
七月に入ってもなお、白河城奪還にねばったが結果は敗戦。幕府軍は郡山へ陣地を移転するための準備をすることとなる。
負傷にて不戦に終わった土方は、清水屋から宿を移した若松城下の東山温泉にて報告を聞くや、悔しそうに唇を噛む。
「おもしろくねえな」
「ここまでくると、最初の奪取が奇跡なくらいですね」
綾乃は苦笑した。
「一度でもぶん獲れたのは斎藤の指揮も良かった。いずれ会えたら褒めてやる」
「土方さんが人を褒めた……」
と言ってから「ふふ」と妖しく笑う。
「なんだよ」
「人を褒めることを覚えた土方さんに、朗報です」
「馬鹿にしやがって──なんだ」
「八月から動いてもいいって」
「なに、本当かッ」
土方は飛び上がった。
説得したんですよう、と綾乃は胸を張る。
怪我をしてからずっと、ぶちぶち文句をぶつけてくるものだから綾乃もすっかり参ってしまって、担当医に懇願したのだ。
土方がにやりと笑う。
「お前を責め立てる戦略が功を奏したか」
「は、腹立つゥー!」
ムカつくので、塞がった傷口をえぐってやろうかと睨み付けたときである。
「あ」
携帯に着信が入った。
この世界で着信がくるのは、葵だけだ。
あの日以来だった。
「はい、三橋」
『もしもし、私!』
弾けるような声である。
『いま東山温泉?』
「うん、そうだよ」
元気そうだ。よかった──と、綾乃はホッとした。
すると、ドタドタと廊下から音がする。
来客かと顔をあげたとき、電話口から葵の弾んだ声が聞こえてきた。
『今、東山温泉ッ』
「え?」
『だからぁ』
そこまで言うと、すらりと襖が開いて「東山温泉ッ!」と元気良く言った葵の姿があった。
「えええ!?」
なんてこった。
自然と笑みがこぼれて、綾乃は腕を広げた。
「あおいっ」
「あやのォ!」
「会いたかったーッ」
同時に声を出して抱き締め合う。
そんなふたりに、土方も驚きやら嬉しいやら。
「お前、徳田──なんだってひとりで」
ここまで、と首をかしげる土方に気付き、葵はあっと声をあげる。
「えっと」
綾乃から離れ、懐から巾着袋を取り出して掲げた。
「…………」
「近藤さんの骨とサノの髪の毛と、総ちゃんの髪の毛が入ってるの。これを渡しに──」
「近藤さん?」
土方がワッと身を乗り出した。
流山で袂別してから近藤のことは思い出さないようにしてきた。それもあってか、土方はわずかに切ない顔をする。
「龍馬からもらったの」
「龍馬ッ?」
今度は、綾乃が身を乗り出す番だった。
「上野で会ってね──そのときにはもう、近藤さんの骨を大事に持っていてくれたんだ。容保さんの長男の、容興くんが首を拾って、とか話してたけど忘れちゃった」
「それで──左之、そうか。左之の最期に会ったって言っていたもんね」
「意識朦朧としてたけど。最期が見られて良かったよ」
「…………」
しんみりとした空気のなか、土方が「総司は死んだか」と重い口調でつぶやく。
うつむく彼に、葵は寂しそうに微笑んだ。
「うん。──でも武士らしい最期だったんじゃないかなぁ」
「えっ」
病気じゃないの、と綾乃は問う。
葵はううん、と首を横に振る。それ以上話そうとはしなかった。
しかし、傷が深いか──と眉を下げる綾乃に、葵は意外にも晴れやかな顔で「もういいの」と笑った。
「もう、大丈夫!」
「…………」
「それより」
と、葵が再び綾乃を抱き締める。
「良かった──さらに北上する前に会えて。蝦夷地までひとりで行くのはさすがに心細かったから」
「すごく心配したんだよ、あれから連絡もなかったし」
「ごめん。積もる話はこれからたくさん話そう」
「そうだね、そうしよう」
綾乃と葵は笑いあった。
最近は、気持ちがめっぽう沈む報告ばかりだったからか、これほど晴れやかな気持ちは久しぶりだ──と、綾乃は無性に嬉しくなった。
最初のコメントを投稿しよう!