第五章 果報者

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 ※  旧幕府軍部隊が若松城に戻るときいた。  それを出迎えるため、土方は城内で待っていた。  新選組部隊と顔を合わせるのは、宇都宮城の攻防戦以来、およそ四ヶ月ぶりである。 「…………」  どかりと腰を据わらせて、土方はただ、待つ。  四半刻ほどして、城下が騒がしくなった。  ハッと腰をあげて門前に出る。 「あっ」   旧幕府軍部隊である。  その先頭にいたのは、いまでは稀少な新選組古参であった。 「土方さん!」  今のいままで疲れた顔をしていた彼らが、土方の姿を見るや晴れやかな笑顔となって駆けてくる。  その姿に、土方は胸が熱くなった。 「苦労かけたな。島田、沢──野村も中島も。新選組をありがとうよ、助かった」 「副長……!」  感激のあまり、皆みなも涙する。 「白河城攻略も、本当によく尽くしてくれた。そばにはいられなかったが──」  活躍は逐次聞いていた、と笑う土方に、島田や野村は涙をぬぐった。 「申し訳ありません──白河では敗けを喫してしまい、土方さんに会わせる顔もなかった次第で」 「ばか野郎、なにを言やがる。またお前らの顔が見られただけで儲けもんだ」  土方は温和になった。  影から覗いていた綾乃は思う。その変わりようには葵も驚いて綾乃を見た。 「蔵に五寸釘と蝋燭を持っていった土方さんがウソみたい」 「うん──みんないなくなって、頼ることを覚えたみたい。あとは、戦線離脱して初めて気付いたことも……いっぱいあるんじゃないかな。攻守の方法とかもそうだけど、何が大切なのかとかね」  綾乃は微笑んだ。  島田魁、沢忠助、野村利三郎、中島登──もうひとり相馬主計はこのとき、新政府軍の捕虜となっているため不在──は、京で活動していた新選組から、これからはじまる箱館戦争までずっと土方のそばに付いて来る者たちだ。  土方は家族のように新選組を愛していた。いまもきっと、子どものような彼らが愛しくて仕方がないのだろう。 「土方さん」  後ろから駆けてきたのは、斎藤もとい山口だった。  その姿に土方は瞳を輝かせる。 「斎藤、無事だったか」 「山口です──お元気そうで」 「お前が代わりにやってくれたからな。ゆっくり養生できたよ」  と、笑う土方に斎藤はすこし驚いた顔をした。礼を言われるとは思わなかったようだ。 「いろいろ報告はあろうが、ひとまず身体を休めてくれ」 「──はい」  と斎藤が頭を下げたとき、土方の後ろでわっと古参たちが盛り上がった。  沢や中島が「お嬢!」と声をかけている。  なるほど、綾乃とは四ヶ月、葵にいたってはおよそ半年ぶりとなる再会だった。 「おうい、ハジメちゃんも久しぶりッ」 「久しぶり!」  綾乃と葵がにっこり笑う。斎藤は朗らかに微笑んでから、 「だから、次郎だって──」  とつぶやいた。 「そうそうジロちゃん。馴染まないのよね」  みながバラバラに別れてから、およそ半年。  負け戦の続いた新選組含む旧幕府軍であったが、この日はみんな笑顔に溢れた。  土方歳三という男がいるだけで、みな、勝てるという確証のない自信が生まれたのである。  ※  余談である。  宇都宮戦後、負傷した土方の元に同宿であった幕臣の望月光蔵が訪ねて来たことがあった。  土方は足首を怪我していたこともあって、──単に面倒くさかったからだが──寝ころんだまま面会した。  望月は、文官として参加しているため、戦には疎い男だ。 「俺達と共に戦ってみてはいかがか?」  兼ねてより机上の話ばかりをするこの男が、土方はあまり好かなかったこともあって、ついぽろりと嫌味を言う。  その態度にムッときた望月は、対抗しようと少し上から物申した。 「自分は文官ですよ、戦場で刀を振るうことは慣れておりませんので」 「じゃあアンタ──何をしにこんな遠くまで来た。慣れてねえなら習えばいい。あいつだって今、銃の調練を始めたぞ」  と、端で話を聞く綾乃に視線を送る土方の顔は、何故かどや顔だった。  そう。  会津戦争が勃発してから、綾乃も戦いたいと申し出たために、銃の調練に参加できるようになったのである。  望月は、綾乃を睨み付ける。 「そ──宇都宮城を落としたとはいえ、すぐに奪われたではないですか。再び奪うことはもう無理でしょうし、率いたあなたもここにいる……あの戦で死んだ者に意味はあったのですか」  と、語りはじめた望月。  綾乃からすれば単なる頭でっかちな男にしか見えないが、土方はただでさえ戦線離脱による鬱憤が溜まっているのだ。  当然ぶち切れた。 「黙れッ!」  おまけに、枕まで投げつけた。 「なっ、何を無礼な」 「戦に出たこともねえ臆病者が、ぐだぐだと何をぬかしやがるッ。刀や鉄砲の下をくぐった連中が──どんな思いであの宇都宮を戦ったか、てめえにわかってたまるかッ。あんたの話を聞いてると俺の病床に触る。聞きたくもねえ失せろ!」  と、一気にまくしたてる。  気圧された望月は、すぐに部屋を出て行った。  綾乃は苦笑する。  転がった枕を渡すと、土方は鼻息荒く枕を乱暴に定位置に戻してボフッと再び寝転がった。  ──まるで駄々っ子のようだ。  と、綾乃はそう思った。  幕府軍の夕餉どき。  その話を葵にすると、枕を投げつけたところで歓喜した。 「スカッとしたァ!」 「駄々っ子みたいで笑っちゃった」  しかし土方はぎろりと綾乃をにらむ。 「胸くそ悪ィ。望月の話はするな、傷が痛む」 「まだ療養が必要ですか」 「斎藤てめえ……」 「山口だってば」  斎藤は諦めたように言った。  感動の再会もそこそこに、八月も下旬のことである。  二本松方面へ出陣するべく、湖南から猪苗代城下へと入った新選組は、まもなく母成峠での戦に入る。第三まで台場を築いたものの、結果は土佐藩士板垣退助率いる三千の兵に敗れた。  新政府軍は城下に迫り、会津藩は迎え撃つため籠城戦を余儀なくされる。  土方が米沢に入って援軍要請を行う間、新選組や大鳥率る旧幕府軍は城の北方にある村にいた。 「食糧も弾薬ももう後がない」  大鳥は眉をしかめてつぶやく。 「かくなる上は──」  幹部陣は、唇を噛んだ。  そこから続く言葉が、容易に想像できたからだ。  ──よもや会津からの撤退もありか。  と。 「…………」  しかし、それを聞く新選組隊長代理の斎藤が座を睨み付けて「誠義にあらず」と口を開く。 「山口くん──」 「会津の援軍として来ている我々が、よもや落城も時の問題であるからと撤退するは誠義にあらず!」  しかし大鳥は「君たち新選組は」と冷静に言った。 「先だって会津藩預りとなったゆえ、その誠義も分からんではないが──しかしこのままでは東軍に勝機がないことも事実だよ」 「…………」  斎藤は奥歯を噛みしめた。  たしかに、新選組は特別会津に対しての恩がある。しかしだからこそ、最後まで会津のために命を尽くす──それが自分の役目であるとも思っていた。 「土方くんが戻ったら軍議を開く。もちろん、我々だってできることは尽くしてやるつもりだ」  という大鳥の言葉で、場はお開きとなる。 (逃げるは誠義にあらず──)  斎藤は、しかし諦めてはいなかった。  綾乃と葵はけなげにも、新選組が宿陣する塩川村にまで文句ひとつ言わずについてきた。  斎藤のなかにある葛藤に気付いてこそいたが、しかしなにを言うこともできない。  もはやここまで来ると、かける言葉も見つからなかった。  綾乃は、握り飯を作りながらつぶやく。 「……葵、そういえば龍馬は?」 「わかんない。すぐに後を追うって言っていたけど。──あれも嘘だったのかな」 「…………」  時の流れは、早い。  思えば新選組幹部にいた人間でここまで来たのは、土方と斎藤の二人になってしまった。  永倉は元気だろうか。  八木邸や前川邸、壬生村の村人たち。  バイトをさせてくれたまさの店や高島屋の人たち、西本願寺の僧侶や、不動堂村で世話になった村の人たちも。  この戦乱のなかでも負けずに生きてくれているだろうか。  ──どうか元気でいてほしい。  日々、誰かが死ぬこの状況に慣れてしまった反面、綾乃と葵は祈っていた。  やはり、人が死ぬのは、さみしい。  どうかみんな生きていて、と。
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