第五章 天の罰

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第五章 天の罰

「貴様は誰だ」  土方が言った。  ズン、と衝撃を受けて身体がぐらりと揺れる。  どうして。  どうしてそんなこと──。  ふふふっ。  笑う。誰かが笑っている。 「そんなのって、ないよねえ」  葵の声だった。  ガン、ガン、ガン。  どうして笑っているの。  頭が痛い。  頭が──。 「痛い!」  ガバリと起き上がった。  は、は、と息を乱して、わたしは周囲を見回す。 「…………」  夢。  ズキズキする頭をさすり、ようやく気がついた。 「あれ?」  船内のベンチに寝転がっていたはずの自分の身体が、床に投げ出されている。心なしか身体も斜めに傾いて、壁が良い背もたれになっていた。  放心していると、通路で騒ぐ声がする。 「なんだなんだ」 「座礁したぞォ!」 「後ろの部隊に救援を頼めっ」 「クソ、雪で見えないッ」 「榎本艦隊、鷲ノ木に到着するようです!」 「風雪がひどい。室蘭に避難した艦もあると聞いた」  船内に怒号が飛び交う。  座礁。 (ああ)  今日は明治元年十月十九日。  兵糧と薪水補給のため入港した宮古湾から、ふたたび蝦夷地に向けて出航。  川汲沖に到達したとき。  我々新選組部隊他を乗せた大江丸が、座礁する。  一時混乱に陥るも、味方艦隊の助けもあって大江丸は再度出航。旧幕艦隊が続々と鷲ノ木浜へと集結していくなか、一日遅れて合流することとなる。── 「おい綾乃、あや!」 「あ」  気がつけば、部屋の中に愛しい彼がいた。  険しい表情でわたしの顔を覗き込んでいる。その顔も凛々しくて好きだ。  見惚れるあまりぼうっとしていると、彼は再度「オイ」とガラの悪い口調で声をかけてきた。 「あ、土方さん。おはようございます」 「おはようじゃねえよ、船が座礁したってのに何を呑気にぼうっとして」 「すみません。ちょっと寝ぼけてたみたい」 「しっかりしろよ、まだ先は長ェぞ」 「はァい」  ホッとしたら、気が抜けた。  なんだ──夢か。  と思うと同時に、いまの言葉がズシンと胸にきた。 (先は長い?)  先ほどの夢を反芻する。残された時間を思う。  馬鹿を言え──寸の間だ。  わたしはいま、まばたきだって惜しいよ。  三日後、新選組は鷲ノ木浜に上陸した。  ※  上陸した──といっても、それがまた非常に大変だった。  暴風のため波も高く、なにより積雪が凄すぎて陸との見分けがつかない。  寒気も激しく、男たちはぶるぶると止まらない震えを抑えるように、我が身を抱きながら降り立った。 「ぎゃあ寒いッ、死ぬぅ!」  と、綾乃が叫ぶ。  気がつけばこんもりと着膨れした女たちを見て、土方は笑った。 「なんだお前ら、獣みてえな服着やがって」 「外套ですよッ……さむ、寒い──寒い!」 「これ寝たら死ぬやつ!」 「北海道やばい!」  現代の暦で言えば、十二月頃である。  何故、冬に北海道へ来るのだ。  とふたりは怒りすらこみあがるが、そんなことを言っても仕様がない。  とにかく、寒さで死ぬことのないように必死にお互いを励まし合い、くっついて暖を取り合った。  これから向かうは蝦夷地の砦──五稜郭。  すでに先発した旧幕府軍を追うように、部隊をふたつに分けて行軍するという。  それにあたり、綾乃は新たな事実を聞かされた。 「ええっ、土方さんって新選組の隊長じゃねーの!」 「ずっとそばにいて今更なにを言う」 「そうですよ綾乃嬢。もう土方さんは我々の隊長ではなく、旧幕部隊全体の総督なのです」  島田は寂しそうに胸を張った。  そうなのだ。  新選組は土方ではなく、大鳥圭介の指揮下に入り、峠下経由で五稜郭へ。  土方は額兵隊や陸軍隊を率いて川汲峠から五稜郭へと向かうという。 「土方さんだって、心配でしょう」  と、葵。  土方は馬鹿を言え、と笑った。 「新選組はいわば俺の分身だ。だからこそ別動隊なんだよ。どっちにも俺がいるとなりゃあ負けなしだろうが」  なるほど、と妙に納得した。 「さすが常勝将軍──」  葵がつぶやくと「期待しとけ」と土方は笑った。  ──その言葉は、的中する。  先陣を切っていた旧幕軍が、峠下方面の途中で新政府軍から攻撃を受けたのである。  しかしながら、駆けつけた新選組含む大鳥軍の加勢により形勢逆転。見事打ち破ったと報告が入った。  同じ頃、土方軍は鹿部に宿陣することになる。  ──。  ────。  それから二日後、土方軍は湯ノ川に到着。  五稜郭も目前のことである。 「なんなんだこの寒さは──」  土方がぼやいた。  土方軍は、額兵隊と陸軍隊を主力に、四百人あまりが行軍していた。途中に戦闘もあったもののなんとか乗り切ったのだが──。  寒い。  とにかく寒い。  寒すぎて、敵がいるにも関わらず一歩も進めないこともあった。  戦ならばいくらだって頑張れる。  しかし寒いことにはどうしようもない。 「どうしました、総督!」  額兵隊隊長の星恂太郎が、目を爛々と輝かせて身を乗り出した。彼は沖田とそう変わらない歳で、勢いのある頼もしい青年である。 「キミは元気だな。寒くねえかい」 「寒いのでいつもより元気を出しています!」 「はっはっは。なるほど、いい気概だ」  と、土方が笑ったときである。  後陣にいる陸軍隊から声が聞こえた。何やら言い争う声色だった。 「なんだァ」 「土方先生ェ、野村くんと春日さんが喧嘩してまァす」  後ろに様子を見に行った綾乃が、報告した。 「喧嘩?」  野村とは、新選組のくせに陸軍隊小隊に加入していた野村利三郎のことである。寒いと気も立つのか、その陸軍隊頭の春日左衛門と喧嘩を始めたというのだ。 「原因は」 「野村くんの気概と春日さんの責任感がぶつかり合った結果です」 「は?」  聞けば、野村が行軍のたびに後陣に配備されることに怒って、勝手に先陣に赴いたことが原因だった。それに春日が大変怒り、もう喧嘩、喧嘩。 「おいおい、最初は仲良くやっていたじゃねえか。おい春日さん、野村も!」 「男のプライドってやつかしら」  葵が苦笑する。  土方が慌てて駆けつけてその場を収めたものの、ふたりの仲は険悪で、行軍中も皆が気を遣うったらない。春日の怒りは、翌日に五稜郭へ入城したときまで続き、 「野村を軍法会議にかけよう!」  と言い出すほどだった。  榎本がなだめすかしてこの件は落着したものの、まったく、天気同様の大荒れた行軍となった。  ※  五稜郭入城後まもなく、土方を総督とした松前攻略軍が出陣した。  完全に別働隊となった新選組は、市中取締りを下命される。 「わお、市中取締まりってすごく久しぶりの響きじゃない」 「なんだかあの頃を思い出します。近藤局長も土方副長もいない新選組で取り締まるなんて──少し心細い気もしますが」  と、安富才助が呟いた。  彼も長く新選組に属してきた隊士の一人だ。 「なに言ってんですか。新選組は土方歳三の分身なんですよ。土方さんから全幅の信頼を置かれていること、忘れないで!」  葵はにっこり笑った。  新選組隊士は、鳥羽伏見の戦が始まってからというもの、我らが土方歳三のすごさを身にしみて感じ入ることがよくあった。  彼の采配は人を活気づけ、戦略は我々を勝ちに運ぶ。  いつからか旧幕府軍のなかでも『常勝将軍』などと呟かれるほど。  そんな男が自分たちを信頼している──それだけで、新選組隊士の士気は上がった。 「松前攻略も土方さんが総督ならば負けなしだ。俺たちは俺たちで、できることをやるぞ」 「おう!」  土方歳三の存在は、大きい。  それは例に漏れず松前攻略軍も同じであった。  十一月五日。  陸から土方率いる松前攻略軍が、海からは回天と蟠龍という旧幕艦隊が一斉に攻撃を開始。海からの砲撃は城に大ダメージを与え、そのなかを松前攻略軍がなだれ込んだことにより、城は陥落。  松前藩兵は江差まで敗走する。 「…………」  松前城攻略は、当然嬉しい知らせだった。  綾乃と葵も、もちろん喜んだ。  喜んだけれど──。  その勝利の陰にあるものを見てしまえば、素直に喜べないのが平和な世を生きてきた者の性であろう。 「松前城下が──」  綾乃は呟く。  砲撃による火災が城下に広がり、松前城下は四分の三が火災にて焼失したと言われている。
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