プロローグ

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プロローグ

 手腕から青白い炎が立つ。俺はその煙を飲み込みながら、喉から冷たい息をもらした。目の前にはクリーム色の髪の男性が立っており、こちらに威圧している様子である。 「僕にその体を寄越したまえ。」 「は…?」  その男は俺の頬をゆっくりと触り、なで上げる。男の異様なほど冷たい手に鳥肌が立つも、俺の心の中では恐怖よりも困惑の方が勝っていた。この空間は不思議だ。男を見つめていると、不安と怒りが心の中を渦巻くのだ。 「お前は何を言ってるんだよ!?」  俺は男の胸ぐらを掴みかかった。男は一瞬よろけるも、すぐさま俺をギラリと睨みつけた。冷たくて凍えるような薄暗い部屋の中で、俺と男だけが立ちすくむ。影がゆらゆらとろうそくの火のように蠢き、息を曇らせていく。 「君のゴミみたいな体をこの僕が買い取ってあげる、って言ってるのさ。」  男はいかにも気怠げな表情で囁いた後、白い歯を見せてにっこりと笑った。それが無性に腹立たしく思えて、俺は獣が牙を向けるように睨みつけた。男はそんな俺を達観し、高みの見物でもしているかのような目つきで俺を見つめる。 「ふざけるな…意味がわからない。」 「意味なんてないよ。」  男は俺を高らかにあざ笑った。 「君の自我まで食する害虫になれたら、僕はそれで気が済むのさ。」  俺はその言葉を聞いて、奥歯をぎゅっと噛み締めた。つまり、男は──俺の心も体も全てを支配しようとしているのだ。俺はそれをようやく理解したとき、背筋が全て凍ってしまうような悪寒と、全てを熱するような怒りを覚えた。 「俺はっ、俺はぁ──っ!!」  俺が息を深く吸い込んだ時だった。 「ケンカはよくないよ。」  後方から優しい男性の声が聞こえた。俺は、はっとなって勢い良く振り返り、彼を見つめた。爽やかな黒髪を揺らしながら、彼はにっこりと微笑むと、人差し指を俺達の方向に向けて指した。すると男の胸ぐらを掴んでいた俺の手は弾けて、お互いふらついた。男は姿勢を整えた後、彼をじっと睨みつけながら言った。 「…僕の邪魔をしないでくれるかな。」  そのお願いに応える気は最初からないのか、彼は大地を包み込むほどの笑顔を男に向けて、優しく語りかけた。 「それはできないな。ごめんね。」  その発言を聞いた男はみるみる怒りを膨らませ、そして爆発させる。 「うるさいな!! 人形風情ごときに首を突っ込むなよ!!」  男の心の底から発せられる叫びを聞いても、彼はずっと微笑んだまま表情を崩さない。それどころか、今の彼はまるで子供の戯れ事でも聞いているかのように穏やかである。そんな彼を見つめていると、なんだか俺も落ち着いてきた。彼の穏やかな表情と優しい笑みからは、どこからか父性の風が溢れて吹いていた。彼は俺の親なのだ、と確信してしまうほどに。 「ちゃんと仲良くしとかないと。少なくとも、これから一緒にいる仲なんでしょ?」  彼は俺たちのすぐ側まで近づき、中腰になって俺たちの目線に合わせた。黒くて澄んだ宇宙のような瞳が、こちらを見ている。暖かく心地の良い光と温度で。 「あ、あなたは…? お名前は? 性別は? もしかして、俺のお父さん…?」  おそるおそる、質問してみた。すると、彼の瞳の中にある全ての光が俺を捉えたのがわかった。目線から恥ずかしさと痒みを覚えながらも、俺は彼を見つめ返した。彼は小さく笑った後に静かに微笑む。 「後でわかるさ。はっきりとね。」  彼は首を傾けながら、前髪を揺らして言った。目元が妖しげに細められると、俺の心臓も縮こまりそうなほどに締め付けられる。本当に不思議な人だ。  俺はふと男のことが気になって、隣を見てみた。男は居心地を悪そうにしていながらも動こうとしない。そんな男をじっと見つめていると、目があった。焦ってぐるぐると渦巻いた目に焦点がいく。男はつばを飲み込んで、俺をまじまじと見つめ返す。そうして次の会話が繰り出されようとしたとき、俺の目元を優しい何かが覆った。 「待って。…」  それは、彼の片手だった。ちょうど目元しか覆われていないために、少しずらすと男のことを見ることができるが、どうしてもその気にはなれなかった。きっと男も同じ状況なのだろう、静かに口を噤んでいる。 「二人がどうか、幸せでありますように。」  彼は息を吸った。 「そして。…大好きだよ、ハル。」  それから俺ははっきりと思い出した。俺の名前はハル・フレア・クレイン。そして、彼と男は、俺の──。
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