第六話 桐塚について

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「あ、そうだ。」  ふと気になったことを思い出す。 「お前とヤマトって、なんか微妙な関係だよな。何があったんだよ? しかもお前は王子なんだろ。普通に接点がなくないか?」  桐塚は少し考えた後、ゆっくりと口を開いた。さすがに言いにくいのだろう。 「…本来であれば、何がなんでも言ってはいけないことですが…まぁ良いでしょう。どうせ全て忘れるのですから。」  忘れるって、どういうことだ。また新しい疑問が浮かび上がってきたが、今はそれをぐっと抑え、本当に聞きたかったことを聞くように努める。 「初めてお会いしたのは、ヤマト様が8才、私が7歳だった頃でしたね。」 「え! 桐塚の方が年下だったのか!」  桐塚は何ともいえない複雑な表情をした後、呼吸と共に呆れを吹き出した。 「はぁ、自己紹介の際に申したはずなのですが…覚えていらっしゃらないのですね。」  桐塚まで困らせるだなんて、俺はどれだけバカなのだろう。と思ってみたが、聞いていないものは聞いていないのだと自分に言い聞かせ、正当化した。だって、その時は桐塚の年齢など興味なかったのだから。  それから、ヤマトの歳の一つ下の年齢だということは、桐塚は俺やヤマト、レイやダニエルの後輩であったと判断できる。だから周りに対して敬語だったのだろうか。いや、それにしても見事で流暢な敬語である。日頃から使い続けなければ取得できないほどだ。いや、すでに桐塚はずっと敬語を使い続けている。ならば敬語が上手な理由が他にもあるのだろうか。 「まぁ、気を取り直して。当時のヤマト様は助けてくれる人を探していまして、それで偶然お会いしたのですよ。路地でネズミのように這いずり回っている私を見て気分を害されたのでしょうね、きっと。」 「え、どういうこと?」  俺は空気を読まずに桐塚に問いただす。桐塚はシリアスな会話は俺には通じないと悟ったのか、もっと丁寧にはっきり教えてくれた。 「…要するに、ヤマト様の善意によって、私は教育を受けることができたのですよ。」 「ん? つまり、なんだ?」 「ヤマト様は聡いお方ですから、私に価値があると判断なされたのでしょう。私に勉学を教え、物の価値を説き、倫理や常識をお伝えなさりました。私はヤマト様のおかげで読み書きができるようになったのです。」 「ちょ、ちょっと待ってくれ。」  頑張って頭の中で、桐塚が言ったことを自分なりにまとめてみる。しかし整理ができない。意外さに驚いても驚いても、再びおかしなことを告げられるからだ。  ええっと…だから、桐塚は孤児だったのだろうか。いやいや、桐塚は王子だったのだろう。それなのに孤児のように暮らしていて、学校にも行けなかったということなのか。王子ならば、凄まじいほどの英才教育を受けるものだと思っていたのに。  ん? 待てよ。桐塚は王様に人間兵器にされかけたんだよな。それに、夢の中で見たことを照らし合わすと、騎士の一人に大事に連れ去られたようにも考えられる。そのはずなのに、路地でネズミのように這いずり回っていたところをヤマトに助けられた、って…一体どういうことなのだろう。 「そうだとして、どうして桐塚とヤマトが会うんだよ。おかしいだろ。」 「…まぁ、何というか…」  桐塚は顎に手を添えて考え込む。俺も珍しく桐塚の回答を待った。桐塚の出生の秘密をそれほどまでに知りたかったからだ。  お互い沈黙を重ねてしばらく経った頃、きい、と先ほど女性が入っていた箱の扉が開いた。驚いて俺はそこへ目線を移す。あの美しい女性がいると思いきや、そこには何も入っていなかった。人が消えたのか? 「もしかして、あの女の人が神様なの?」  桐塚に問う。俺たちは神様を封印するためにここへ来たのだから、桐塚は神様を封印していたに違いない。ということは、あの女性が神様だったのではないか。それなら、相手が恩人であるにも関わらず扉を閉めたことも、多少納得できる。 「いいえ、あの人は神ではございません。この地の神があの人の強い信念の力を受けて、私達を誘き出したのでしょう。」 「え、つまり?」 「彼らは私、月宮之桐塚と会うために、わざと怪奇現象を起こしたということです。」  なんだそれ。とばっちりじゃないか。 「…本当に身勝手なことだ。この程度の事でヤマト様の手を煩わせるなど…」  桐塚が人食いサメのように箱を睨みつける。真っ黒の瞳がただ一点を見つめていることに恐怖を覚える。それに、いつも敬語を使い感情を出していなかった桐塚が、いきなり敬語をやめて感情的になるだなんて…本当に恐ろしくてたまらない。  女性は桐塚を助けた。まさに恩人だ。そんな恩人が相手であるのに、桐塚は妬み憎んでいる。理由は、ただ桐塚のためだけにヤマトを巻き込んだというものだ。落ち着いて物事を整理すると、いかに桐塚が可哀相な人間かがうかがえる。そういえば、さっき女性が桐塚に言っていたっけ。何も信じるなと。ヤマトらを殺せと。桐塚に欠けたものは、疑うべき人を疑う力であると。  まさに桐塚は、狂信的だ。ヤマトが正しいという意志のみを貫き通し、敬愛している。しかしその感情も複雑である。  桐塚はきっと、…ヤマトのことを愛しているのだろう。それも尊敬の意味ではない。恋をしているのだ。永遠に叶わぬ恋を。何故叶わないのか、それはすぐに証明できる。桐塚とヤマトは幼少期から共に過ごしている。約10年間一緒にいるのに、二人はまだ主従関係で止まっている。何も発展していないのだ。それは、主人に手を出してはいけないという理性と、触れたくて愛したくてたまらないという煩悩との葛藤の結果である。常に桐塚の頭の中でその葛藤が蠢いているのだ。それらが合わさって、敬意と愛のどちらかに傾きすぎないような敬愛が残るのだ。  しかし気持ちがどちらかに傾いたとしても、桐塚はヤマトという居場所からは抜け出せないのだろう。 「…そんなことより、ハルさん。」  いきなり名前を呼ばれて我に帰る。 「そろそろ時間のようです。これ以上ここに居てはいけません。早く拝殿にお戻りください。」 「どうして?」 「私以外の人間がここにいると、魂が蝕まれるのです。ですから、命が必ず助かる拝殿に向かってください。」  つまり、ここにいると死ぬということなのか。桐塚は戻らなくて良いのか、と聞こうとしたが、愚問だと考えて言うのをやめた。  まだまだ聞きたいことがあったのだが、仕方ない。死ぬのはいやなので帰るとしよう。 「じゃあ、また後で話の続きを教えてくれ!」 「…あなたが覚えていたならば。」  含みのある言い方だが、とにかく了承してくれたと解釈する。  俺は軽く手を振りながら拝殿へと戻った。それから急に睡魔が訪れたために再び眠る。睡眠が深くなるほど、桐塚ともっと話したいという欲は薄れていったのだった。
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