我が家の○○な話し

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我が家の○○な話し

幼なじみで親友の佐藤亜紀が興味本位で聞いてくる。 キラキラな顔をして。。。 「憲子!!どっちの道に進むのか決めた?」 私はうんざりだったんだ。。未来(将来)の話しは。。知っていて楽しそうに聞いてくる。。。 私は、只今15歳。中学校三年生。。。 未来明るいだろう子供です。  〜〜〜遡ること、、昨夜〜〜〜 おじいちゃん(憲太郎) 「なあ、憲子。。まさか。まさか、まさか!? 将来は、、き ち  ん   と。 考えてますよね?  どっかの、、、ちん・ぴら とかさ。。。 ちん・ぴら とかさ、、、ちん・。。。 真紀ちゃん(祖母)。今朝の金平美味しいね〜。笑笑。」 父(憲一) 「オホンッン〜。。なあ。ノリちゃん。。 あれだよなあ。将来は。。どっかの、国? の番犬みたいな野蛮なお仕事選ばないよね? だよね? だよな。。そうだと言えよ。。」 祖父  『お前の将来は警察官だ!』 父   『お前の将来はクラブのママだ!』 祖父「はぁぁぁぁぁぁぁぁ馬鹿ものがあ」 父 「国家の犬じゃねぇか、くだらねー。」 祖父「今朝もみろ?憲子。空は明るいなあ。」 父「明るくないと見えないの?  なあ、ノリ。アングラ。。最高だぜ〜」   「お前の未来(あした)はどっちだ?!」 母 妃香里「いい加減にしなさいよ〜。父さんもあなたも。憲子。。しっかり考えて。。 はい。オシマイ。 」 私の夢は弁護士だ。。。  今の所はね!! 警察が善 極道が悪ならその中間にしよう! 子供の頃から決めていた。 つもりだけどね! まだ誰にも秘密。。。 私の姉、美憲は北川市にある老舗の和菓子屋さんのふじまやの和菓子職人だ。私の兄、憲司は、私と同じような目にあいながら 地方の国立医大生。今じゃ近寄りもしない。。 分かるよ、兄貴。。 私の家はあってはならない家族だ。。。 実に面白い。 誘拐されそうになるとかすらない。 祖父と父が名を響かせ過ぎて手を出せない位だからだ。 代が代わって組長になった父。。。 思いっきりふて寝した祖父。。。。 祖父「悪いことは悪いこと。。。 例えそれが身内であっても、俺が持つ手錠はいつだって使用可だからな。。。」 父「現行犯以外はそれが必要か?冗談は顔だけにしろよ。。悪いことかあ。。。 一番の悪、、、それは、、嫁がこんな俺に心底惚れた事じゃない? 」 祖父「うるせー。。真紀!!塩もってこい! 塩を。。樽でもってこい!?ぶっかけろ!?      俺に!?」 祖母 「もぅ。。けんちゃん。。そのへんに。 そして、こっちのけんちゃん。あんたらの世界もメンツが命。そして、上下の関係も大切にしてるのよね? それを持ち出すのは卑怯だけれど もう少し、一歩譲って欲しい。。」 父「。。。わりぃなあ。真紀さん。。 どうも、俺は、、、辛抱が足りねぇ。」 祖母「 あははははははははは。。。 ありがとうね。。そうね。。器はね。。広く深い方が楽よ?」 祖母はたぶん 一番、この家の柱だ。。。 一言、一言が、みんなを落ち着かせる。。 実にふしぎな人だ。 私は、「行ってきます〜。」 淡々と我が家を、、、、悩む。。。南口の玄関は SPが居る 北口の玄関は、、、、、父の部下がいる。。。 これだって悩む。。。 顔をたてたい。。どっちの顔を。。。 妃香里「表から出ればいいのよ。笑」 表。。。え。。。どっち。。。 私は、祖父の顔を立てた。 それは、祖父だから。誕生日が一番長く生きた証。なら、そちらを立てよう。 真紀「行ってらっしゃい。」 こうして、今朝は南口の玄関からでた。 我が家は、都心の一等地級である鍋島にある。。 門構えがThe和だ。。。。 我が家のご近似さんの多くが政財界の方々。 The 選ばれし階級の方々の多くに好かれ親しまれし街の一角に鎮座する我が家。。 父は極道。桜庭組 第3代目組長。 しかし、父は社長でもある。社員が1000人超える。これに構成員1000人弱。。を束ねるトップ 私の名前は、二階堂憲子 見た目は、建設会社・不動産会社を始めとする まあ。。フロント企業といいましょうか。。。 裏の顔を持つ父のお仕事は極道。。。。。。 筋道を通す。この信念は深い父。。。 父の口癖 「極道は極道。しかしなあ。。。人間なんだよ。。郷の極みがヤクザなだけだ。。 憲子。。この組にだって歴史がある。。だけど。 その中に優しいやつ苦労したやつ何していいか分かんねえ奴らばっかりだ。 ヤクザだけど。。。。。。 お前は事実を見て判断しなさい」 父はどちらかと云えば理性的。猜疑心はかなり強い。仲間意識も強く逆に云えばそれ以外はどうでも良い。 育ての親である先代の桜庭会 桜庭組組長 黄桜栄之助は寿命を全うした組長だ。 この方が凄く経営や人。掌握する才能に長けた方 弁も立てば頭の回転が速かった。 読書家であり様々な書物を読んだ。 それらの全てを相続したのが一人息子(特別養子) の父である 黄桜憲一 私の父だった。 父、憲一が跡目を継いだ時、父は、リストラを敢行。早め引退は勿論、代々的、組の根本的な利益となっていた麻薬からの撤退。。 組は一気に衰退。。しかし、 父は、行った。どんなに、叩かれようが、、、、、。 殴られようが、、、。殺される手前迄行こうが遂行。  それでも、、、父憲一が継承した桜庭会を潰したくない人達だけが今は残っている。 それでも、1000人弱はいる。。摩訶不思議。。。 そして、 母と結婚して二階堂へと婿養子となった。。 幼少の頃より目指していた父の「普通」を叶えた日となった。 父の亡き先代が 学は大切だよ。。 頭が良かった父は都内の大学出身者。 主席で卒業している。    超摩訶不思議。。。 卒業を病室で祝いながら息を引き取った先代。 父は母の前でだけ泣いたらしい。。
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