妖精

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妖精

 桜の下で飲み食いして、田村先生や3、4年生は楽しそうにしている。その一方で、新入生はなかなか、その輪の中に加われない。新入生同士でつるんで話したり、スマホをいじったりしている。裕樹はというとやはり野村美奈のことが気になって、会話の輪に加われないでいた。ちらっと彼女のことを見てみる。その度に幹事の仕事が忙しいのか、あちこち動き回っている。 「誰かに話しかけようかな…。でも皆、輪の中に入れないようにしてるみたいやし……」  そう思いながら、野村美奈のことをチラ見していると、誰かが裕樹の肩を叩いた。 「おう、ひとりぼっち。しけた顔して、何してんねん。もっと楽しもうや」  成宮だった。手にはビールの入った紙コップを持っていたが、酔っ払っている感じではなかった。 「そんなしけた顔してた?」 「しけたも何も、この世の憂いを全部背負ったような顔してたで」 「周りを見てたら、話しかける勇気がなくて。せやもんで、ここでじっとしとるんやに」  初めて話しかけてくれた相手に、そこまでぶっちゃける必要があったのか、裕樹には分からなかった。とりあえず何か爪痕を残せそうな気がしたのだろう。ふと成宮の方を見ると、大きな目を細めていた。 「高田君やったな。『やに』っていう自分の喋り方、可愛らしいな。どこの出身やったっけ?」 「三重県の津出身やに。伊勢弁ってこんな感じやけど、ここに来てから喋り方がおもろいってよく言われる。成宮君はどこの出身?」 「俺は大阪の八尾や。河内のど真ん中やから、喋り方が可愛らしくないわ。だから、高田君の喋りを聞いてたら、新鮮やわ」  成宮は心底羨ましいといった感じを出さずに言った。明らかな営業トークのようにすらすらと話していく。 「さっ、行くで」  成宮に再び腕を掴まれる。座っていた場所に根を張っていたのに、それを引っこ抜かれた感じで裕樹は戸惑っていた。 「俺はいいよ。一人でチビチビ飲むのが性に合ってるし」 「何しょうもないこと言うてんねんや。こんな機会逃したら、出会いなんて一生来うへんで」 (一生だなんて大袈裟だ)  と思いつつも、思わずうなづいてしまう裕樹。 (そう言えば、成宮君は合コン行きたいって言ってたな。もしかして、もう行ってきたのか?)  そんなことを想像していたら、 「自分、野村さんのこと、気になってるやろ? それなら、話しかけるなりなんなりしてみたらどうや?」  成宮がそう言ってきた。 「そんなことあらへんわ」  裕樹が次の言葉をかけようとした途端に 「自分、嘘つくん下手すぎ。顔に書いてあるで」  と成宮は全て見透かしたように言い放った。 「美奈さん、高田君連れてきました」  野村美奈の前に連れ出された裕樹は突然のことに、何を話していいか迷うばかりだ。美奈は 「どうしたん? 気分悪くなった?」  と気を遣ってくれた。 「いえ、そうじゃないんですけど、成宮君に連れてこられたというか…」  裕樹が緊張の面持ちで言うと、成宮は彼の背中を軽く小突いた。 「違うんすよ。こいつがウジウジしてて、なかなか周りと溶け込めてないから、美奈さんの笑顔に癒さ   れてもらおうと思って連れてきたんすよ。何か美奈さんに気がありそうだったから」  裕樹は成宮を軽く睨みつけた。初対面で振り回された挙句、特段親しくもないのに"こいつ"呼ばわりでは裕樹がそのような態度に出るのも仕方がないことだろう。 「気があるって、おもろ。でも、わたしはそういうの嫌いじゃないな。一目でビビッとくるとかってよくあることやん。初々しくてかわいいって思うけど」  美奈は2人を前に笑顔を振りまきながら言った。 「でしょ、かわいいでしょ。ほら見ろ、積極的に行ったらいいことあるやろ?」  成宮は自分の手柄のように言う。さらに続けて成宮が何か言おうとした時、 「美奈、こっちビールが足りなくなってんけど。田村先生がご立腹やわ」  と田村先生の周りに集まった集団の女子が言った。 「はいはい、今持っていくわ。ちょっと待って」  缶ビールを持っていこうとした美奈を制したのは、成宮だった。 「先輩、こういうのは俺に任せてください」  そう言うと、裕樹に缶ビールを2本持たせて、成宮自身も2本持って田村先生のグループに入っていった。  桜がライトに照らされて、燃えるように咲いている。その散り際の美しさと、桜の下での宴会の様子が聖と俗をイメージさせた。田村先生の話は自身の経験談を交えた面白いものだったが、裕樹はその話を上の空で聞いていた。やはり、野村美奈のことが気になって、つい、ちらっと見てしまう。そんな裕樹を尻目に成宮は飲み物のなくなった先輩に飲み物を注いだり、酔いの回った田村先生の話に合いの手を打ったりと忙しい。2人の様子は正反対に映った。 「そろそろ時間だし、片付け始めようか?」  との掛け声で、撤収が始まった。食べ残し、飲み残しを片付け、ビニールシートを畳む。成宮は美奈たち幹事の上級生から、 「私たちが片付けるから、手伝わんでも大丈夫やで」  と気を遣ってくれているのも構わない。 「いやいや、手伝わせてくださいよ」  懐に入るように言うと、裕樹の方に向き直り、 「高田も手伝うやろ?」  と打って変わって、低い声で囁いた。一度頼まれると断れない性格なので、裕樹も花見の後片付けを手伝った。2人は先輩に混じり、黙々とビニールシートを折り畳んでいく。酔いどれの田村先生はその様子を見て、 「この1年生は感心やな。将来伸びるで」  と感嘆の声を上げていた。  それから裕樹と成宮は余った缶ビールやジュースを先生の研究室に運んだり、ビニールシートを先輩の車に入れたりした。その様子は何かに取り憑かれたかのようになストイックささえ感じさせるものだった。片付けが終わり、上級生から、 「今日はありがとな」  などと労いの言葉をかけてもらう。野村美奈からも 「ありがとう、助かったわ。またよろしくね」  と声をかけられた。その言葉だけで裕樹は満足だった。  改めて美奈の顔を眺めてみる。肩まで伸びた髪にぱっちりとした二重まぶた、鼻筋が通っていて、ぷっくりとした唇。女優がそのまま目の前に現れたかのようだった。 「高田君、どうしたの?」 「いえ、何でもないです」  そんな些細な会話さえ愛おしく思えた。 「やっぱり、こいつ落ちとるわ。わかりやすすぎやろ」  成宮が囃し立てると、 「違うに、成宮君が茶々入れるもんやで、ヒヤヒヤするわ」 そう言って、裕樹はたじろいだ。美奈も会話に入ってきた。 「高田君喋り方可愛らしいなぁ。どこの出身なん?」 「あっ、三重です」 「そうなんや、三重弁って女の子が喋ってたら、かわいいやんな」  裕樹は美奈が三重弁に食いついてくれることに驚くばかりだった。ちょっとだけでも繋がりが持てたことが嬉しくもあった。  しばらくすると、美奈の携帯に着信があった。離れた場所に行ったので、内容は分からなかったが、電話を終えると、 「迎えが来たから、帰るね。お疲れさまでした」  と言い残し、急いで花見会場を後にした。 「そしたら、僕らも帰ろうか?な、高田」  意外にも成宮が早く帰ろうと言い出したので、裕樹が不思議そうにしていると、 「ほら、行くぞ」  とまた背中を小突かれた。そして、成宮に腕を引っ張られて、駐輪場に向かおうとしている時だった。不意に成宮が立ち止まった。 「おい、見ろよ」  彼らの視線の先には、美奈の姿があった。だが、美奈だけではない。ヘルメットを手に持ち、ライダースーツを身に纏った男の姿があった。近くにバイクが停まっていたので、それに乗ってきたのだろう。 「あちゃー、えらいところに出くわしたな」  成宮が呟くのを尻目に、男と美奈はヘルメットを被り、1台のバイクにまたがって、あっという間に見えなくなってしまった。 「男いたな」  裕樹は「あぁ」としか言えなかった。 (一目見て、美人だと思っただけで、失恋した訳ではないし、成宮に引っ掻き回されただけだ)  と言い訳を重ねても、何か喪失した感じを取り繕うのは不可能だった。途端に、4月の夜風が肌寒く感じられた。時刻は10時に近かった。 「どうした、しっかりしろよ。飲みに行くか?」 「俺は未成年やもんで、飲めんよ。成宮君もそうやろ?」 「何言うてんねん。俺、一浪して、しかも4月4日生まれやから、20歳やねん」  このやり取りさえ、裕樹には虚しく思えてきた。もうどうでもいいやというノリで2人は飲みに行くことにした。この時間だと駅前まで行かないと店は開いていない。ゲートを出て歩いていく裕樹と成宮の後ろ姿は、どことなく寂しげだった。
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