【第1話】初めましてと懐かしのミルク粥

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【第1話】初めましてと懐かしのミルク粥

 ──ああ、最期にもう一度、あったかいごはんを作って食べたかったな。  宙に体を投げ出されながら、ぼんやりと考えた。  最後に料理をしたのは、いつだったっけ。自分の好きな食材を好きなように調理して、好みの味つけをして、自宅で好きなように食べる、ささやかな幸福。そんな小さな幸せを噛みしめるのが好きだったのに、しばらく自炊生活から遠ざかってしまっていた。 「誰か、緊急停止ボタン! あと、駅員! 駅員呼んで!」 「おい、そっちの男、取り押さえとけ! 突き飛ばした犯人!」 「駄目だ、間に合わない! あの兄ちゃん、轢かれるぞ!」  いくつも重なっている怒号や悲鳴が、なぜかハッキリ聞こえてくる。聖徳太子にでもなった気分だ。  変なの。今だって、ほんの一瞬のはずなのに、すごくスローに感じている。──そう、ほんの一瞬。あと数秒後に、僕は死ぬんだ。それは分かっている。  死ぬ直前にそれまでの人生が走馬灯のように駆け巡る、なんて話を聞いたこともあるけれど、そんなようなものは何も見えそうにない。  僕の人生がそれだけ空っぽだったということだろうか。否定できないのが淋しいけれど、仕方ないよね。幸多いとも、運が良いとも言えず、人との繋がりも希薄な人生だった。  でも、不幸しか無かったわけでも、運が皆無だったわけでもない。誰にも関係を築けなかったわけでもない。だからこそ、今まで僕は生きていたのだから。  いずれにせよ、この人生に未練はない。  でも、どうせなら、一度でもいいから誰かにごはんを、  ──そこで、僕の命は途絶えた。  ◆◆◆  冷たい微風に瞼をノックされたような感覚をおぼえた気がして、そっと目を開けてみる。どこか薄暗い部屋に寝かされているみたいだ。電車に轢かれたはずだけれど、僕は助かったのだろうか……?  そう思った瞬間、ぼやけていた視界に紅くて丸いものが入り込んだ。そこに意識を集中させると、徐々にピントが合ってくる。──それは、まるで宝石のように美しい、深紅の瞳だった。カラーコンタクト? いや、薄闇の中で見てもなお、そうは思えない質感だ。なんというか……、すごくリアルだった。  視界いっぱいにあった紅い瞳がスッと引いて、その持ち主の姿を全体的に捉えることが可能になる。そこには、とんでもなく美形で、奇妙な格好をした男性がいた。  瞳よりは少し暗い色合いの紅い髪も、日常ではあまり見る機会が無かった燕尾服も目を引くけれど、何よりも珍しいのは彼の背中から出ている大きな黒い翼だろう。蝙蝠みたいな形で、独特の光沢というか艶がある。  コスプレだろうか? でも、個人的な仮装にしては完成度が高すぎるような……。じゃあ、何かの撮影だろうか。だとしたら、なぜ撮影現場で僕が寝てたんだろう。  紅い髪のイケメンは、戸惑ったように僕を観察しているようだった。少し驚いているようにも見えるから、やっぱり僕は撮影現場か何かに乱入してしまったんだろうか。それにしては他にスタッフとか誰かしらの気配が全く無いし、……そもそも、電車に撥ねられて此処へ飛ばされたとしたら、それも変な話だ。身体も痛くないし。  ──そう。身体が全く痛くない。  あんな大きな事故に巻き込まれたのに、怪我ひとつ無かったとでもいうのだろうか。それとも、実はあれから結構な時間が経過しているとか? でも、僕が着ているのは、あの時と同じ通勤用のスーツだ。  困惑しながら上半身を起こすと、イケメンが話し掛けてくる。 「◎△×%■▽○@#●?」 「……えっ?」  何を言っているのか、さっぱり分からない。日本語じゃないのは勿論だけど、英語でもない。僕のささやかな趣味はサブスクで色々な国の映画を字幕で観ることだったけれど、該当しそうな言語は何も思い当たらなかった。 「◆□$*? ◎△×%■▽○@#●?」  イケメンは真剣な顔で何かを言いつつ、僕の肩へ手を伸ばしてくる。相手から敵意は感じなかったけれど、この状況が飲み込めていないこともあって警戒している僕は、思わず後ずさった。  すると、彼はショックを受けたのか、悲しげな顔になる。紅い瞳に傷ついたような翳りが落ち、そうかと思えば、次の瞬間にはハッとして瞬き、すぐに光を取り戻した。クールな外見とは裏腹に表情をくるくると変化させるイケメンは、僕のほうへ手のひらをかざす。  何をされるのかと身構えていると、一瞬だけ鋭い頭痛がした。 「っ……!」 「大丈夫ですか? これで、こちらの言葉は理解していただけるようになったと思うのですが」 「……えっ?」 「私の話していること、ご理解いただけてますでしょうか?」  相変わらず彼は不思議な言語を話しているはずなのに、何故か内容が理解できる。脳内で瞬時に翻訳されているような、奇妙な感じだ。  とにかく、目の前のイケメンが何を言っているのか分かるようになったのは確かだ。僕がおずおずと頷くと、相手は安心したように微笑む。 「ああ、よかった。言葉が通じなければ、怖がられてしまうのは当然でしょうから。……どうか、怯えないでください。私は貴方に危害を加えたりなど、決していたしません」  深紅の眼差しが、真摯に僕を射抜いた。
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