魔術師の罠は○○ホイホイ

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魔術師の罠は○○ホイホイ

赤銅色の月と青白い月が、十一時十分くらいの角度で空に輝いていた。ふたつの月は昨夜よりも少しだけ膨らみを増している。 月が東から昇って西に沈むなら、なんとなく指定席みたいになったこの円錐屋根の窓枠は南向き。採光窓だから南向きなのは当たり前な気もするけれど、そもそもこの世界は地球のように丸い惑星なのだろうか。地軸は傾いているのだろうか。 深く考えても仕方ないことが時おり頭を過っていく。この世界の神は『回帰した悪女はお兄様に恋をする』の作者で、その作者が設定していないことはきっと解明されない謎でしかないのに。 グブリア帝国に隣接するいくつかの国には魔獣の生息域があったはずだけど、あたしがそれを知っているのは隣国の魔獣討伐に絡んだエピソードが描かれていたからで、その魔獣生息域のさらに向こう側に何があるかはわからない。 描かれていない未知の領域。それはつまり、謎。 グブリア帝国は魔獣の少ない地域という設定がされていた。だからこそ魔術師に依存しないでいられる。一方、魔獣生息域のある隣国(名前はなんだっけ?)には魔術師と魔剣士を中心とした討伐隊もあり戦闘力は高い。 たしか、魔獣討伐絡みのエピソードは物語の終盤だったはず―― ふと、何か思い出しかけた。たしか魔術師のこと、隣国の魔術師が何か…… 「サラさんはいくら夜風に当たっても風邪をひかないからいいですね」 いつの間にかノードがあたしの隣に立っていた。風に靡く紺色のローブは夜空に溶けてしまいそうで、彼の頬はふたつの月に照らされている。それはあたしの知ってる月明かりの色とは違う。 「お帰りなさい」 あたしが言うと、ノードは一拍おいて「ただいま戻りました」とほほ笑んだ。 何気ないやりとりに彼が戸惑うのにも少し慣れてきた。たぶん、文化の違いとかではなくノードがおかしいのだ。キャラ立ちしてる方が読者のウケはいいし、あたしももれなくそれにハマったクチ。かわいいから全然いいんだけど。 「ノードはユーリックに会ってきたんですよね」 あたしを見下ろして、ノードがニッと口の片側をあげた。 「皇太子殿下を呼び捨てにするなんて、誰かに聞かれでもしたらどうするんですか」 「もう死んでるから処刑されても大丈夫です」 自虐ネタもやりすぎるとウケないかもと思ったけれど、ノードは律義に笑ってくれた。 「ユーリックと麻薬が保管されてた場所に行ってきました」 「ノードだって呼び捨てにしてるじゃないですか」 「年長者ですから」 三百歳だもんね、っていうツッコミは入れないでおいた。ノードの口から聞くまでは、読者として得た情報は知らないふりをした方が良さそうだ。 「あたしのことも呼び捨てでいいですよ」 むしろ呼び捨てにしてほしいっていう願望を謙虚に表現してみる。 「サラさんはわたしを呼び捨てにしてますしね」 はぐらかされてしまった。まあ、まだ出会ってから丸一日しか経ってないし、そんなもんか。 そういえば、ノードが言っていた瞬間移動はうまく検証できなかった。今のところピアスとあたしの間にかなり距離があっても動けるから、ジゼルとノードがめちゃくちゃ遠くにいない限り試しようがないのだ。 ただ、なんとなくだけど二人の位置は分かるし、幽霊スキルでひとっ飛びすれば二人の間を数秒(・・)移動くらいのことはできる。 「それで、皇太子殿下は動いてくれることになったんですか?」 「ええ。ダンとフィリスの護衛も彼に任せることになりました」 塀の上で白い影が動いた。ノードの帰還を察知したのか、魔塔の林で狩りをしていたジゼルが戻ってくる。ノードも気づいたらしく、「食事中だったみたいですね」と平屋根に飛び移る白猫を目で追った。 「密会か?」と、ジゼルはあたしの膝の上に飛び乗った。 「サラさんに経過報告をするところでした」 「ちょうど良かった。どうなったんだ?」 「皇太子殿下が側近を数名動かしてくれることになりました。ローナンド侯爵が関わっている可能性があるので、治安隊だと侯爵に情報が漏れる危険性がありますし」 ふと気になったことをあたしは口にする。 「ねえ、ノード。側近数名って……」 「皇太子殿下の騎士団に所属する精鋭です。心配しなくてもみな優秀ですから、治安隊よりよほど役に立ちますよ」 あたしの心配はノードが考えているのと少し違った。その懸念にノードも行き着いたのか、「そういえば」と思案するように顎に手をあてる。 「サラさん、今朝ユーリックと魔塔の林で会ったとき、大きな犬がいたと思うんですが」 「いました。あれって獣人ですか?」 あたしが先回りして聞くと、ノードは驚いたようだった。 皇太子の精鋭部隊と言えば、ランドをはじめ数人の獣人で構成されている。騎士団では表向き人間ということになっているけれど、こうして密命で動くときに彼らは獣であることの利点をいかんなく発揮する。 「よく分かりましたね」 「なんとなく知性がありそうだったし、いかにもユーリックの部下って雰囲気がプンプン漂ってたので」 なるほど、と彼は納得したようだった。 「それより、獣人にはあたしが見えてるみたいでした。こんなふうに触れるかどうかはわからないけど」 どさくさに紛れ、あたしは手を伸ばしてノードの指先を握る。くいっと引くと、彼はそのままあたしの隣に腰を下ろした。 「あの犬はランドという名前です。ランドの他にもユーリックは獣人を騎士団員として側に置いて、こうやって少数で動くときは彼らを使っています」 すでに知ってる情報だけど、あたしは「へえ」と驚いてみせる。 「獣人は人間たちから差別されています。皇太子はそういう風潮に嫌悪を感じているようです。それで、彼らの能力を引き出すため自分の騎士団に。このことは陛下もご存知ありません」 父親にも内緒で差別されてる獣人を雇うなんて、 「皇太子殿下はいい人ですね」 小説を読みながら考えていたことが思わず口からこぼれた。でも、返ってきたノードの言葉は「いい人?」と懐疑的に語尾が上がる。 「獣人を重用するのは使い勝手がいいからです。能力主義者なんですよ、ユーリックは。獣人は運動能力が一般人より遥かにすぐれています。感覚が鋭敏で、ランドにサラさんの姿が見えたのも不思議ではありません」 死ぬ前の世界でも猫や犬には幽霊が見えてたっぽいし、野生の本能みたいなものだろうか。 「獣人の魔力は?」 「個体差があります。もしサラさんのことは見えても触れることはできないなんてことになったら完全に怪しまれるので、獣人たちには近寄らないでくださいね」 あたしは力強くうなずいたけれど、向けられたのは疑いの眼差しだった。どうやらあまり信用されていないらしい。実際、このあとダンの倉庫に行こうと思ってるんだけど。 そういえば、とあたしは話をそらした。 「麻薬はあのままなんですか? 証拠隠滅のために持ち出したりしないのかな。魔塔が動いてるって話は向こうに伝わってるし」 「あそこには罠を仕掛けておきました」 「罠?」 「皇太子殿下の依頼を受け、関係者を確保するために魔術結界を張ってあります。誰でも入れますが一度入ったら出られません」 「なるほど、ゴキブリホイホイですね」 なんですか? とノードは首をかしげた。もしかしてこの世界にゴキブリはいないのか? 「そういうのがあるんです。害虫を駆除するために、こういう平べったい家に餌を置いて、入ったらペタッて足が張り付いて逃げられなくなっちゃうやつ」 一生懸命説明したわりに、ノードはあっさり「ああ」と流して話を続ける。 「白影のことですが、ユーリックに護衛を引き継ぐ過程で魔術師から報告がありました。すでにフィリスにも白影がついているようです。白影同士の会話から、治癒師のフィリスはちょっと面倒なことになるかもしれません」 「彼が麻薬を分析しようとしてるからですか?」 いえ、とノードは考えをまとめるように瞼を伏せる。 「サラさんは……、ナリッサ様のことをどれくらいご存じですか?」 ケケッと、あたしの膝の上でジゼルが笑った。小説の世界ではナリッサが主役だということを以前ジゼルには話したからだろう。 ナリッサのことをどれくらい知っているかといえば、読者のあたしは彼女が気づいていないユーリックへの恋心まで知っちゃっている。でも、今ここであたしが答えていいのはどこまでだっけ。 「ジゼルを召喚したあの少女が皇女のナリッサ様なんですよね」 「ええ」 「ユーリックの妹」 「はい」 「もとは平民だってアンナが話してました。皇宮でもあまりいい扱いを受けてないって」 たぶんこれくらいでいいと思うけど、とノードの顔をうかがうと、ふむ、と彼は片膝を立てて頬杖をついた。 「平民の治癒師が母親だったんだろう?」 何を思ったかジゼルがドヤ顔で口をはさんだ。あたしはヒヤッとしたけど、ノードが不審に感じている様子はない。 「悪魔の情報網ですね」 なるほど! でも違うよ! あたしが教えたんだよ! そういえば、アンナもナリッサの母親が治癒師だと知っていた。侍女だから知っていたのか、それとも誰でも知ってるような有名な話なのだろうか。 「ところでサラさん、治癒師には姿を見られましたか?」 あたしが首を振ると、「でしょうね」とノードは続けた。 「治癒師は魔力を使うことを許された数少ない市井の魔術師なんですが、魔力は微々たるものなので幽体は見えなくて当然です」 「ナリッサの魔力は治癒師くらいですか?」 「治癒師の魔力を二、三人分集めたくらいでしょうか。彼女が皇宮に入ってからわたしが少々助力しましたから。母親が亡くなる前は治癒師の仕事を手伝っていたようです。そういう過去が一部で知られているから白影はフィリスに利用価値を見出したみたいですね」 遠回りした話がようやくフィリスに戻ってきた。あとでフィリスの様子も見に行こう。あ、でも治療院の場所わかんない。 「サラさん」 振り向くと極上の笑みが向けられていた。心臓はないけどドキッとする。 「く・れ・ぐ・れ・も、おとなしくしてて下さいね」 「はいっ」 ジゼルは「無理だな」とあたしの膝から降り、準備運動するようにウーンと伸びをする。 「じゃあ、ダンのとこに行ってみることにします。どうせフィリスのいる場所はわからないし」 「どうしてそうなるんですか」とノードは呆れ顔だ。でも、内緒で出かけてもGPSついてるようなもんだから誤魔化せないし。 ノードは天井を仰いで目を閉じ、深くため息をついた。 「ダンには獣人のランドがついてるはずです。危険なのはフィリスよりもダンの方ですから。獣人には気をつけてくださいと言ったばかりですよね?」 「フィリスの方が利用価値があるのにダンが危険なんですか?」 「白影にとってダンはいつでも殺せるということです」 シュンとなったあたしを、ジゼルが肉球でポンポン叩いて慰める。 「魔塔主殿、主にはぼくがついてるから心配するな」 「そうそう」とジゼルを援護したらノードに睨まれた。 「もともとサラさんが大人しくしているとは思っていませんでしたが、下手に近づいて白影を刺激するようなことは絶対しないで下さい。ダンとフィリスが危險に晒されます」 あたしが余計なことをして二人が死んだり怪我したりしたら猛烈に後悔しそうだ。 「わかりました。遠くから見るだけにします」 「そうして下さい。明日、麻薬置き場の魔術結界をユーリックが解除しに行くことになってます。それまではローナンドに気づかれたくありませんから、何があっても首を突っ込まないように」 「……はい。でも、結界の解除はノードが行かないんですか?」 「サラさん、明日の予定をお忘れですか?」 魔塔主は質問に質問で返すのが本当にお好きだ。 「明日はお茶会か」 あたしが失念しかけていたスケジュールをジゼルが教えてくれた。 明日も色々大変そう。だけど、明日のためにしっかり眠ることもできない幽霊の体。そうだ、そういえば…… あたしは立ち上がってプリーツスカートの裾をちょこっと持ち上げてみせた。マジカル戦士ラブルーン変身前の制服アレンジバージョン。 「ノード、明日はこの服でいいですか?」 「お好きなように。皇宮で気をつけないといけないのはユーリック殿下と側近の獣人たちだけです。麻薬の件で彼らは出払っていると思いますから」 「皇帝陛下は?」 「本宮か銀月宮に行かない限り顔を合わせることはありません。ご心配なく」 三百歳生きる魔塔主も眠気には勝てないのか、あくびで涙目になるのキュンです。 ……とか思ってたら、ノードはおもむろに屋根に寝そべった。この角度の円錐屋根で寝落ちしたら物理的に落ちるって。 「ノード、寝るならお布団で寝てください」 「面倒くさいのでいいです」 「風邪ひきますよ」 「これくらいではひきません」 「ダメですって」 あたしが腕を引っ張るとノードはブルッと体を震わせ、クシュンとくしゃみをした。 「ほらね」あたしが言うと、不機嫌に瞼を持ち上げる。 「風邪をひいたらサラさんのせいです」 ノードは寝たままゲートを開き、ゴロンと転がってベッドに入ったようだった。 「じゃあ行くか、主」 ジゼルは屋根からジャンプし、そのまま羽をパタつかせて空を飛ぶ。あたしは宙を泳いで白猫の尻尾を追った。 いつの間にか、空には赤銅色の月だけになり、星々の輝きが増している。
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