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3 短編デート
美濃、と名乗ったあの大学生は時々カフェに来る。頼むのはいつも珈琲だけで、店内で飲み切ってから店を出る。何のつもりだろうか。私がストーカーをしてしまって焦っている姿を楽しんでいるのだろうか。
「それでさー」
店内の人が疎らになる平日の午後2時半。店員たちは昼休みを兼ねて裏の部屋に行くことになっている。私は勿論行きたくないが、やはり行くしかない。
話の流れを掴んでいるのはやっぱりバナナ姿の店員だ。最近あった愚痴や笑い話を面白おかしく話している。周りの店員も相槌を打ちながら同意している。私も同意するフリをして誤魔化す。
「みんな知ってる?最近出来たあのパン屋。あそこの店の人ってさ、店主はパンを作らないで全部奥さんに丸投げしてるらしいよ」
えーとかうそーとか気持ちの欠片も入っていない台詞が交わされる。確かに客観的に見ればそういう感じなのかも知れない。でも店主はパンを作る努力をしてるし、奥さんだけじゃなくてスタッフを雇ってパンを作っている。虚偽まみれだ。
「そもそも男が働かないなんて駄目よ。それにあの店主の声もクソうるさくて煩わしいから、みんなもあんな店で買いに行っちゃだめよ。ねえ麦野?あんたもそう思うでしょ?」
顔は見えないが恐らく笑っている。雰囲気で分かる。これは逆らってはいけない類の敵だと。逆らえばこの場に居ない店長を除いた6人からの差別と執拗な嫌がらせが始まる。私はその光景を何回も見てきた。そしてここから居なくなったのも、知っている。
「うん、そうだね」
だから私は、こうするしかないのだ。
日常に熱が籠るようになって、私は夏の到来を悟った。学生たちが夏休みに入っても仕事は当然続いた。夏休みを享受できるのが学生だけなのは頭では分かっていた。でも現実として突きつけられれば、やっぱり寂しい。でも寂しさだけではお腹は膨れない。私は働くしかないのだ。
「すみませーん」
土曜日の午後は人手が足りない。元々この辺りでは人気のカフェなので来客には困らないのだが、それに加えて土曜日には「チョコパイ1つ購入でコーヒーS無料!」という看板が店の前に置いてあるので、それ目当てで来る人が多いのだ。
「珈琲のSサイズ1つで」
だから目の前にいる人の顔もとい美濃さんが珈琲だけを頼むのは、異常な事なのだ。
「チョコパイを頼まれると珈琲が無料でついてきますが……」
「大丈夫です」
そう断ると美濃さんはいつもの席に座って美味しそうに珈琲を飲んでいる。友達を連れずに1人で。この光景にも慣れたものだが、いつも美濃さんが来て喜ぶのは私ではなく、バナナ姿のあいつだ。
「お味はどうですか?」
「とても良いですね。豆はどこ産のを……」
「豆はエピオチア産のを使用しています。酸味が強くて癖になるんですよ!」
彼女は仕事もほっぽり出して客と話している。本来はそれを咎めなければいけないのだが、この店のファンが多い理由の1つが彼女の雑談なのだから、誰も咎められない。実際固定客の多くは彼女目当てで来ている節がある。
これは本当に推測なのだけれど、恐らく彼女は美濃さんに好意を持っているのだろう。話し方も他の客より丁寧だし、声も少し上ずっていた。
「これはどうしたら……」
饅頭姿の店員が悩ましそうにこっちを見つめてくる。最近入ってきた新人、らしい。
「私たちは仕事しよっか」
「……はい」
客が増えてきて、彼女は渋々美濃さんから離れた。客がいなければ延々と話し続けていただろう。
「すいませーん」
美濃さんが大きな声で店員を呼ぶ。それも私を見ながら。仕方なくレジを新人に任せて美濃さんの接客に向かう。
「どうかされましたか、お客様?」
「ねえストーカさん。僕とデートしない?」
小声で耳元で囁く。あまりにも突然の誘い。
「……嫌です」
「ありゃ、手厳しい」
「なんで行かないと行けないんですか?面倒臭いですよ」
「そんな事言っていいんですか?あの件を周りにバラしてもいいんですよ?」
人の顔をした悪魔が囁く。元から誘う気など無く脅す気で来ていたのだろう。要求を飲まないとバラす。悪人の典型例だった。
「……分かりました。行きますよ」
「やった!じゃあ明日の9時に渋谷駅で!」
子供のようにはしゃぐ、が声は小声になっている。案外聡い人だ。
美濃さんが店を出た後にバナナに話しかけられた。
「何、さっきの?」
「……珈琲の感想を聞いてただけだよ」
「ふーん。そうなんだ」
腑に落ちないと言った感じだ。やっぱり彼女は美濃さんを狙っている。目がギラついていて肉食獣のように感じられた。
私もそうなれれば、どんなにいい事か。
約束の時間から20分が過ぎた。休日という事も相まって、人でごった返している。今日が比較的まともに物が見える日で良かった。そういえば言われたのは渋谷駅だったが、具体的な場所を教えられていない。これでは出会いようが無い。とんだ笑い話だ。
「すみません。場所教えてなかったですね」
だから美濃さんが私を見つけて一言声を掛けてきた時は、魔法でも使ったのかと思った。
「よく分かりましたね、場所」
「美しい顔が見えたので」
「はあ」
「そんな溜息つかれても……」
彼の格好はいかにも大学生が着そうで青春を謳歌している様な感じだ。配色も良く、センスの良さが滲み出ている。
「今から何処に行くんですか?」
「今から家電量販店に行って、ミキサーを買いたいんです。付き合って下さい、ストーカーさん」
ケロケロと笑っている。きっと彼の過去には疚しいことなんか1つも無くて眩しい未来しか待っていないのだろう。家族に愛され、友達に囲まれ、未来に希望がある、私と正反対の人。そう決めつけられるほどに幸せオーラが漂っている。
店に着くと、周りにはオーブンとか冷蔵庫で溢れていた。綺麗なものばかりで、私の部屋にある同型のものと比べても、違いが際立つくらいだ。
「どうしてミキサーを買うんですか?」
「ミキサーが好きだからです」
「何をミキサーにかけるんですか?」
「んーと、人とか?」
背筋が凍る。もしかして彼は本当に食人が好きで、好きな食べ物が人だから顔が人のままなのかもしれない。流石に無い━━━━━とは言いきれないのが、恐ろしい。
「……へえ」
「ん?冗談ですよ……って流石にか」
「確かに美濃さんならやりそうですね」
「え!?」
ミキサー売り場に着くと、彼は真剣な眼差しで吟味を始めた。
「そういえば、あの……金髪の店員さんの名前ってなんでしたっけ?」
「え?」
「気になっただけですよ。他意はありません」
ミキサーを触りながら美濃さんは語りかけてくる。金髪の店員というのはバナナ姿の店員だろうか?名前は……何だったっけ?
「えーと……すみません。分かりません」
「分からないって……そんな事ありますか?」
怪訝な目を向けられるが、知らないものは知らない。分からないと答えるしかなかった。
結局それ以上彼女について問われる事はなかった。ほかの店員も1人も名前を覚えてないことは、黙っておこう。
彼は30分くらいじっくりとミキサーを比較すると、赤い色のミキサーを購入した。桁が私が想像したものより1桁多かった。
「帰っていいですか?」
「駄目ですよ。むしろこれからなんですから」
ミキサーの入った袋をブラブラさせながら、ご満悦の表情だ。
「次は昼ご飯を食べましょう。それもとびきりのを」
時刻は正午近くになり腹の音も鳴き出しそうな時間帯だった。
「ここは……?」
「僕の行きつけの店です」
目の前の看板には「カラオケ」の文字と目に毒にしかならない眩しすぎる蛍光灯があった。
「折角ですし、歌でも歌いながらと」
「もし、断れば?」
「バラします」
「ですよね……」
彼は歌う気のようで空気をマイクに見立てて練習をしていた。ちょっと音痴だ。
受付で必要事項を紙に書いて提出する。カラオケなんて何時ぶりだろうか。高校生の時に1回だけ友達と行った記憶がある。本当に記憶だけ。
その店はドリンクバーが付いていて、私は紅茶を、美濃さんは冷たい珈琲をそれぞれグラスに注いだ。
「何歌いますか?」
「私あんまり曲とか分からないのでお先にどうぞ」
「じゃあお言葉に甘えまして……と」
最近流行りの曲でも歌うかと思ったのに、選択したのは演歌だった。それもかなりマイナーなもので、ちょっと調子が狂う。更に音程バーからかなり外れていてお世辞にも上手とは言えない出来だ。でも、楽しそうだ。
私の番が来た。とにかく何か選曲しないとと思い、人気のアニメソングを入れてみる。私が拙く歌っている間、美濃さんは電話で何か注文したり、タンバリンで盛り上げてくれた。
「上手ですね!」
他愛もない一言なのに、嬉しかった。
ドアのノックと同時に店員が入室してくる。お盆(この日は正常)の上に乗せているのは、巨大なフライドポテトと、ハイボール2つだった。
「休日のお酒は良いですよね!それも真昼間からなんて、風流ですよ!」
「風流では無いと思いますけど……」
密室に漂うアルコールの香り。1口飲めば理性が壊れるのは間違い無かった。それでも構わない。私は喉に危険物を流し込んだ。
「ええ!?それ僕のですけど!?」
「え?2つ頼んだんだからてっきり私の分かと……すみません」
「いやいいんですよ。やっぱりアルコールには誰も勝てないな……!」
「何達観してるんですか」
やっぱりタガが外れて、いつの間にかお酒消費全自動マシーンになってしまった。私1人でポテトを食べている気がするが、気の所為だ!
「ははははは!」
「うおっ、ストーカーさんって酒飲むと人が変わるって言われませんか?ちょっと怖いんですけど!?」
「大丈夫大丈夫!大人だから、あたし。」
曲も何を入れているか分からなくなってきた。適当に若者が歌いそうなものを片っ端から入れていく。
「なんというか、青春って感じしません?」
「青春?あたし大人ですけど!」
「いや青春って学生だけの特権じゃないですから。大人だって青春していいんですよ」
確かに青春って不思議な言葉だ。青年時代だけの言葉のように思われるが、具体的な線引きはあまりないのかもしれない。
「あたしは無理だよ、そういうのに憧れるけど虫みたいなもんだから、キラキラしたものに焼かれて死んじゃうよ」
「詩的な表現ですね。人の名前を覚えないのもなにか理由とか?」
「それは面倒臭いから!」
「……ふふっ」
彼はちょっと困ったような顔で笑う。やっぱり綺麗だ。本当に。
「そういえばなんですけど、前会った時にパン買えなかったじゃないですか。あたし一応買ってきたんですけど、要ります?」
鞄からチーズパンとメロンパンを取り出す。店主のメロンパンは形は少し整ってきたが、味はまだ食べてないので不安ではある。
「あ……じゃあ、いただきます」
何故か言葉に詰まりながら、たどたどしく言葉を紡いでいる。見れば額には汗が浮かんでいて、小刻みに全身が震えていた。
「……大丈夫ですか?」
「あ!いえいえ、大丈夫ですよ!」
そう言って美濃さんはメロンパンをその手に掴んだ。視線はただ1つメロンパンに集中していて、まるで長年の宿敵の死体を見て動揺しているみたいな感じだった。
美濃さんはメロンパンの表面の硬い部分を丁寧に剥ぎ取った。そのまま震えながら噛み、飲み込む。
「どうですか……?」
彼は、泣いていた。私はハンカチを取り出して、そのまま渡そうと━━━━━━━━━
「美味しいです、本当に、本当に……!」
彼の嗚咽は止まらない。私はハンカチで涙を塞ぐことも、言葉を紡ぐことも出来ずに、ただ背中をさするばかりだった。
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