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実は一度だけ、紀田さんに嫉妬されたことがある。中学時代に二人で練習してるとき。ふとしたタイミングで言われた。
『俺もこれくらい出来たら、今ごろも現役だったのかな』
さすがに紀田さんも失言だと気付いたらしい。すぐに『ごめん、ごめん』と平謝りされた。でも当時の俺は『大丈夫っす』って言って、それっきり気にしたこともなかった。
紀田さんの現役生活は、決して順風満帆じゃなかった。良くてもスーパーサブの扱い、二軍暮らしも長かった。ドラフト下位でプロ野球の世界に飛び込み、時にはトレードの駒にされ、時には戦力外宣告されてトライアウトを受けた。結果的に4球団を歩き回ることとなった。
そんな紀田さんからしたら、俺の才能が羨ましいに決まってる。いま考えて、ようやく分かる。
そして俺は、その才能を捨てた。
紀田さんはすぐにいつもの調子に戻った。通話口でも笑顔が見えるような声で、話をもとに戻した。
「ねえ、哲也ってすげえ良いヤツなんだよ。会ってやってよ」
「誰も嫌だなんて言ってないですよ。ぜひ会いたいです」
「とりあえず、哲也に空いてる日を聞いてみるね。分かったらまた連絡する」
「お手数おかけします」
「渡くんのためなら、何でもできるよ。――じゃ、また。珠ちゃん達にもよろしくね。お疲れ様」
「はい。ありがとうございました。失礼します」
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