黒と黄色の偽造-2

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黒と黄色の偽造-2

 ガラガラキイキイという耳障りな音と共に引き戸が開く。明智は甲高い音が苦手なのか顔をしかめたが、その耳障りな音以上に許しがたい惨劇が起きた可能性のある部屋がその引き戸の先にある。 「ふむ。まだ匂いが取れてませんね」 「どんだけハッカ油使ったんだ……。あ、そういえばハッカ油をまいたのは第一発見者だそうだぞ。パニックになってこぼしてしまったらしい。それがこのハッカ油だ」  加古は袋に入ったハッカ油の容器を明智に渡す。それを受け取った明智は袋の上から中のハッカ油の量を確認した。 「思ったよりはまだ残っていますね」  だがまだ部屋の中には鼻が少し痛くなるレベルの量のハッカ油が残って居るようだ。先程はマスクをつけて中に入ったので少し匂う程度だったのだが、外した状態だときつかった。  部屋の中で鼻をつまみながら立ち尽くしている加古とは対照的に、明智は部屋の中を調べてまわっている。歩いては屈み、屈んでは歩きを繰り返し、たまに寝転がって部屋を見回す。 「すいません。ちょっと冷房つけてくれます?」  窓際に移動した明智にそうお願いされ、加古は何が何なのかよく分からぬままに冷房を付けた。よく見ると明智の手には温度計が握られている。どうやら室外機の作動時の外の温度を測っているようだが、なぜそんなものをいつも持っているのか、普段旅行に行かない加古には分からなかった。 「……48度か。なるほどねえ」  明智は温度計のモニターを見て、にやりと意地の悪い笑みを浮かべた。それは演技のようにも見え、本当に意地悪く笑っているようにも見える。加古はこういう相手が一番厄介であることを刑事としての長年の経験から学んでいた。明智に心を許しきれないのはこれが原因なのかもしれない。  次に二人は外に移動した。明智は外でも相変わらず歩き回ったり、汚れるのも構わず匍匐前進で地べたを観察している。五分が経過した頃だろうか?「お!」と明智が何かを発見したようで、勢いよく飛び上がりながら立ち上がった。加古が近づいてみてみるとその手には長いピアノ線が握られている。二メートル以上は確実にあるだろう。 「これ、保存袋に入れておいてください。重要な証拠品です」 「分かった……が、なんでピアノ線が?」  明智はそれには答えず、加古の横を通り過ぎ、旅館の方へと向かって行く。 「さて。現場はもういいです。次は被害者の同行者の方々の話を聞きたいのですが……よろしいですね?」  幸いにも被害者の同行者たちはまだ東京には帰っておらず、沖縄に留まったままだった。どうやら視察だけでなく新人一名の研修も兼ねていたらしい。まず、その新人の間山大地が明智と加古のいる部屋に入ってきた。 「とてもいい上司でした。いつも僕のことを気に掛けてくれて……。まさかこんな事故で亡くなるとは……」 「心中お察し致します。ところで、染谷さんに恨みを持っている方は……」  加古が最後まで言い切る前に、間山は加古を鋭く睨みつけた。 「そんな人いるはずがないです。第一あれは蜂に刺されたことによる事故なんでしょ?」 「まあ、そうなのですが……」と明智の方を見るとなんと彼は優雅に読書をしていた。 「おい! 何している?」  加古が明智を睨みつける。しかし明智は涼しい顔をしたままだ。しまいには「ご協力ありがとうございます。退出していただいて結構ですよ」と加古の指示を待たずに間山を外に出してしまった。 「あの人はほんとに関係ないですよ。大丈夫です」 「だからといって……」  人の話を聞いている時に読書は無いだろうと言おうとした加古の文脈を読み取ってか「自分の考えを整理するにはちょうどいいのですよ。このミステリーは」と加古に読んでいた本を渡す。その本は何度も読まれたのかぼろぼろだった。 「この本なら俺も知ってる。有名な賞取ったやつだろ。でもしばらくこの作者の最新刊は出ていない。行方知らずだ」 「お詳しいですね」  明智が目を三日月のような形にして微笑む。その少し開いた目の隙間から加古を観察しながら。 「さて、次の方が来ますよ」明智が本に向き直ったと同時にドアがノックされる音が部屋に響いた。  次に来たのは星望(ほしのぞみ)という女性社員だった。星が入ってきた途端、今まで本に顔を向け周りのことなど見ていなかった明智が顔を上げる。まるで長い間会わなかった大切な人が横をすれ違ったみたいに。 「……いい香りです。シトラスですか?」 「え? ええ。ありがとうございます」  星が気味悪いものでも見たかのような表情をしながら席に着いた。加古はその場を空気を取り繕うために咳ばらいを一つする。 「星さん。今回の被害者である染谷さんに恨みを持っている方っていらっしゃるかわかりますか?」 「ああ。まあいるとは思いますけど……」  さっきの間山の時とは違い、有力なヒントが出たことから加古は机から身を乗り出した。 「どういうことです? 誰かいるんですか、恨みを持っている人が」 「いえ、誰かはわからないですが……。でもあの人はいろいろ恨みを買うようなことしていましたから。パワハラにセクハラ、おまけに人のアイデアを盗んで開発を進めたり……」 「でも先ほどの間山さんは……」 「それは最初だけです。あの人は新入社員に対しては態度よかったですから……」  次に部屋に入ってきたのは、事件の第一発見者である武部宏樹(たけべひろき)だった。事件の第一発見者というだけあって、本人の精神的な動揺、そしてその後の捜査協力からかかなり疲れているように見える。加古は武部のことを考えて早めに切り上げることを心の中で決める。  だが、隣に座る明智は違うようだった。今までにない目の鋭さで武部を見据えている。 「まずは色々大変だったでしょう。協力してくれたこと、心から感謝いたします」 「あ……どうも……」  武部の目の下には鉛筆で描いたような隈が浮かんでいた。調書に貼られている証明写真の利発そうな青年の顔は見るまでもない。 「ほんとーにご協力感謝申し上げますです。ところであなたは事件の第一発見者だそーですが、染谷さんを刺した蜂を見ましたか?」 「はい。見ました。その時私もパニックになってハッカ油をひっくり返してしまったんですが、そしたら蜂が逃げたので……」 「ふむ。ところでその蜂ってこの中のどれかわかりますか?」  明智はリュックの中から3匹の蜂の写真が印刷されたコピー用紙を取り出した。加古は明智を訝しく思ったが、その紙を見ると3匹の蜂はそれぞれ別の種類のようだ。  武部も眉を細めて明智を見ていたが、紙の上の蜂におずおずと指で触れた。3種類の中で一番大きく、濃いオレンジと黒の模様が禍々しい。だが、加古はそれを見た瞬間、とてつもない違和感に襲われた。 「まて、その蜂は確か……」 「この蜂で間違いありませんね?」 「……はい。間違いないです」  明智はそれを聞いた瞬間、唇をゆがませて笑みを作った。獲物を見つけた獅子が牙をむいているような、そんな笑みを。 「武部さん。この事件の犯人はあなただ」
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