黒と黄色の偽造-真相

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黒と黄色の偽造-真相

「……何を言っているんですか?」  武部の顔は今までを通り越して、雪を顔面に塗りたくったように白くなった。実際に寒気を感じているのだろうか? 体も小刻みに震えている。だが、明智はその笑みを崩さず、武部を鋭く睨みつけながら追及を続ける。 「あんた今、この真ん中の蜂を間違いなく見たんだよな?」 「ああ。間違いない。俺が見たのはこの蜂だ」 「なるほどなるほど。武部さん、この蜂は、ああオオスズメバチて名前なんだが、この蜂は」  場の空気が一気に明智のほうに傾く。 「沖縄に住んでるのはこの左端のツマアカスズメバチと右端のコガタスズメバチなんだ。あんたは本州から持ってきたオオスズメバチを操って、染谷さんを殺したんだ」 「バカバカしい。虫をどうやって操るっていうんだ」  武部も反撃に転じるが、余裕をなくしているのは傍観者になってしまった加古の目にも一目瞭然だ。 「順を追って説明しようか。まずあんたは本州でオオスズメバチを捕獲。冷蔵庫で仮死状態にし、ピアノ線を結び付けて小型クーラーボックスに入れて沖縄に来た。あとは染谷さんが一人になるタイミング、今回は一人だけで先に昼食を摂り、ほかの人たちは海水浴に向かったようですが、海水浴に行く直前に仮死状態にしたオオスズメバチを窓辺に括り付けたのです。あとはエアコンの室外機という高温下で目覚めたオオスズメバチに染谷さんを襲わせればいい」 「襲うっていっても、どうやってスズメバチを部屋に誘導するんだ」  加古は明智を横目で観察してみる。見ると明智は事件を解き明かしているという高揚感からかランナーズハイのような状態になっているようだった。 「それはね、星さんの香水を窓辺につけたのでしょう」 「香水を?」 「ええ。星さんの使用している香水の匂いはシトラス、柑橘系の香水です。実は柑橘系の香水って蜂をおびき寄せてしまうのですよ。だから森に行くときは注意が必要なのです」  明智はそこで一息ついた。人は話すだけでも酸素を大量に消費し、それは疲労につながる。だがその疲労は今の明智にとっては麻薬のようなものなのだ。 「高温で仮死状態から覚めたオオスズメバチが柑橘系の匂い物質を感じ取って来てみれば、目の前には生肉に刺身にとスズメバチの幼虫が大好物の蛋白質。部屋に入ってしまうのは当然でしょう。そして……」 「一度蜂に刺されてトラウマになっていた染谷さんがパニックになり蜂を刺激してしまった……」 「そういうことです」 「ここで注意してほしいのは武部さんが第一発見者にならなければならないことです。だってスズメバチの胴体にはどこかに飛んで行ってしまわないようにピアノ線がつけてあったんですから。あとはハッカ油をでまき散らし、部屋にいるスズメバチを追い出した。床が濡れた形跡がなくハッカ油の量がそこまで減っていないのにハッカ油の匂いで部屋が充満していたのはそのためです」 「どうでしょう? 僕の推理は間違っていないですか?」  明智は微笑みながら武部のほうを見る。そこには前に感じた獣のようなどう猛さはなく、ただ純粋に微笑んでいるようだったが、状況が状況だけに少し不気味に感じた。 「……証拠は……あるんですか?」 「証拠? そうですね、まあないです。見つけたものと言ったらピアノ線ぐらいですし。ただ僕の目には推理を話しているときのあなたの表情や反応、図星を突かれた人と同じようになっていましたよ」 「……」  武部は黙ったままうつむいた。加古のほうからはその表情は見えず、そこに浮かぶ感情も推し量ることはできなかった。 「罪を背負ったままの人生も得難いものではあると思いますけど、なかなか救われぬものですよ。なぜって本人が無意識に救済を拒んでしまうのですから。この世で罪の意識から逃れられるものは数少ない。僕にはどうしてもあなたがそれから逃れられるような人間には見えないんです」  いつの間にか明智は武部の目の前に移動し、目線を合わせ語りかけていた。その声音は友に語り掛けるようにも、神が人間を言葉で救わんとしているようにも聞こえる。心の奥底に入り込んでくる音楽のような声だった。 「……実は……」  武部は蚊の鳴くような声で話し始めた。 「結局、星さんの言ってたアイデアの盗作って武部さんのことだったんですね」 「どうやらそうみたいだな。それが動機になって今回のことを引き起こしたらしい」  県警の喫煙室で加古と同僚の刑事がたばこ片手に今回の事件を振りかえっていた。一歩間違えれば殺人犯を野放しにしかねなかったのだ。その人間性はどうあれ明智には感謝せねばならない。 「そういえば、明智って結局何者だったんですかね」 「……さあな」  がたんごとんと周期的な音と振動を起こしながら電車は海沿いを走っていく。緑色の小さな電車の中には年若い男が一人にほかには老人と学校帰りの高校生の一団が乗っている。 「しかし、沖縄での事件はなかなかいい経験になった」  緑色の横長の座席で年若い男がすこしわくわくした子供のような表情でスマホの液晶を軽やかにたたいていた。これから自身の頭の中で展開される物語を想像しているのだ。ここ最近、物語を書こうにも書く気が起きず全国を転々としていた男だったが、沖縄での一件で久しぶりに物語を書いてみようという気になった。 「主人公は強面だけど柔軟で……犯人は……」  液晶を走る指が軽やかに踊る。それに比例して頭の中で世界が形作られていく。 「この小説の名前は、そうだな……」  男はメモ帳のフォルダの名前を変更した。空白だったフォルダ名に文字が羅列され、次なる物語の名前が決定される。 『黒と黄色の偽造』 《了》  
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