其の壱

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「……お館様?」 「この国には優秀な家臣が揃っている。城主とはいえ若造の俺がおらずとも問題無かろう。それよりも……」  未だ息を切らしている吾狼を見ながら、阿龍は腹を抱えて笑った。  一体何事か。  きょとんとして立ち尽くす吾狼の視線に気付き、ようやく阿龍は笑いを収める。 「この黒鹿毛は、人を見る目がある。腹に一物ある奴を見抜くのだ」  支度を整える間大人しくしていたところを見ると、どうやらお前は信用に足る人物のようだな。  そう言い再び笑い始める阿龍。一方の吾狼は何を言われているのか理解できず、悠然と草をはむ黒鹿毛を見やった。 「お前の前に送られてきた者に馬を引けと命じたことがある。と、奴は手ひどく踏み付けられていた」  そう言われても、吾狼はにわかには信じることができなかった。  黒鹿毛を洗ったり刷毛(はけ)をかけたりしたことはあるが、その間彼は大人しくされるがままだった。その黒鹿毛が荒々しく人を足蹴にするなど、想像だにできない。  そんな吾狼の心の内を知ってか知らずか、阿龍はつぶやくように言葉を継ぐ。 「その直後だったか。そ奴の故国が兵を挙げ、我が国に攻めかかってきたのは」  たいして大きな声ではなかったが、吾狼を青ざめさせるには充分だった。  さすがの吾狼でも、先の戦のことは知っている。  阿龍の従兄弟筋に当たる飛燕(ひえん)が治める峠城(とうげじょう)は、阿龍配下の頂城軍によって落とされたのだ。
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