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蜂矢魁
昭和二八年、某所。
黒いアメリカ車が、泥を跳ね飛ばしながら、黄色いライトで地面を舐めている。
後部座席にいるのは、立てた刀を一本抱え込んだ男。名前は鬼瓦京作といって、春らしくもない真っ黒い着流し姿、切れ長の隻眼も射干玉より真っ黒い。ただし、今はふさと睫毛が下りている。……
深夜である。
田舎道で、街灯は全く整備されていない。
雨が降るわけでもないのに、何だか夏めいてベタベタした日だった。空には低い雲が垂れ込め、彼らの吸い込む黒い空気まで圧し潰してくるようだった。
運転席には、傷跡だらけの顔をした咥え煙草の男がいる。この蜂矢魁が、まだ十八の若年だと聞いて、すぐに信じられる者は少ないかもしれない。
「月が見えなくなった」
と、機嫌悪く呟いた。つい先程までは満月が出ていて、地元の千葉で見るよりもずっと大きい、赤いと大喜びしていたものである。
「……」
「……親分?」
魁はすぐに車を止めた。
元より安全ベルトはしていない。大きい体を捻って後部座席を覗き込んだ。
「あ……寝てんのか」
十二年上の「親分」は、瞼も口元も引き結んだまま、具合の悪い子供の如く頬を青褪めさせている。
魁はしばしそれを眺め、火の点いていない煙草の先端をゆっくりと上下させた。
「……」
車は太い畦道の手前にいた。
短い雑草の、産毛のように生え続ける一本道。両端には何枚もの畑が広がっている。
静かだった。虫や蛙の声もしない。ぬるい風もいつしか止んでいる。
ライトの届かないところまで敢えて目を投じれば、いくら凝らせども吸い込まれそうな真っ暗闇。目測がくらりとして、ちゃんとそこに地面があるのかもわからなくなってくるようだ。
「……」
魁はもう一度、ほんの僅かに後ろを見た。それからソロッとエンジンをふかして、しかめっ面になり、道――通称「ライス・ロード」へと入っていった。
この農道には幽霊が出るという。
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