前編

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前編

「ねぇ、それってストーカーじゃない?」  耳に入ってきた言葉に驚いて、俺はさっきまで気にしていなかった後ろの女の子グループの会話に聞き耳を立ててしまった。 「絶対そうだよ。待ち伏せされたんでしょう。エスカレートする前に警察に相談した方がいいよ」  ここは大学内のカフェテリア。  たくさんの人が集まる場所で交わされる会話にしては、ちょっと危険な気配に俺はますます耳を傾けてしまった。 「リナ、可愛いから。どこかで目をつけられたんだよ。マジ怖い」  ふんふんと思わず同意してしまいそうになった。  会話の中心になっているのは、同じ学年でリナという名前の女の子だった。  ハッキリした目鼻立ち、育ちの良さそうなお嬢様的な可愛さのある子で、俺もこっそり憧れている一人だ。 「実はこういう事って、よくあるの。突然可愛いねとか、綺麗だねとか声をかけられたり、高価なプレゼントを急に渡されたり……この前も◯ィトンの財布を……」  元気のない声が聞こえてきて、ああリナちゃん大丈夫かなと、勝手に心配になってしまった。 「ええっ、怖いー。本当リナって、モテるけど変なのも寄ってくるから、可哀想すぎる」 「リナに似合うのは財前くんクラスだよね。その辺の平凡が惚れてんじゃねーよって感じ。ほら、今もどこかでリナのこと気にしてる童貞ストーカーがいるよ、きっと」 「ぶっっ…がっゲッホ、ゲホッ」  突然自分が名指しされたような気がして、俺は思わず飲んでいたコーラを噴き出してしまった。 「大丈夫かよ。ユキ」  明らかに不自然なタイミングすぎて、心臓がバクバクと鳴ってしまう。  まさか変に思われていないだろうか……。 「おい、後ろの女子達が、お前のこと睨んでるぞ」 「え!?」  そう指摘されても振り返るなんて恐ろし過ぎてビクビクしていたら、後ろから、キモー、ヤダー、サイテーと、重めのパンチが連続で飛んできて思わず顔を手で覆った。  すぐにガタガタと人の動く気配がして、しばらくしたら静かになった。 「女の子達……行った?」 「行ったけどさ、さっきの……何?」 「ぬ……盗み聞きするつもりはなかったんだけど、話が気になっちゃって」  俺を呆れた目で見てくるのは、大学に入ってから仲良くなった友人で、関勇次(せき ゆうじ)。  コミュ障気味で高校時代もずっとぼっちだった俺に、やっとできたお友達だ。  銀フレームの眼鏡の似合う勇次は、いかにも神経質そうという第一印象だったが、これがかなりの世話好きだった。  一度話したらすっかり打ち解けて、今では色々と相談に乗ってくれる良き友人だ。 「どうせ山口リナがいたから気になったんだろう。好きなら告白しろよ。隠れて見ていたらストーカー扱いされるぞ」 「あっっーー! 勇次も話を聞いていたな、自分だけ知らん顔して!」 「あんなにデカい声で話していたら嫌でも聞こえる」  確かに周りを見渡すと、チラホラ話を聞いてそうな男はいたが、どうやら童貞の言葉に反応してしまったのは俺だけらしい。  悲しき習性に乾杯。  女の子達からキモいと呼ばれてしまった俺は、彩恩寺雪哉(さいおんじ ゆきや)。  派手な名字と名前で無駄にイケメンネームだが、見た目はどこにでもいる日本人の大学生だ。  平均身長、モサっとした黒髪に薄い顔、小学生時代のあだ名はコケシだった。  顔の薄さに比例するように存在感も薄く、林間学校や修学旅行など、みんなで行動するイベントではだいたい置いていかれた。  ちなみに、実の親にも遊園地に置いて行かれたことがあるから筋金入りだと思っていい。 「べ…別に……告白とか……。すす…好きじゃねーし」 「おい…、童貞丸出しの回答はやめろ」  キッと睨みつけたら、勇次は涼しい顔でさっさと飲み終わったカップを片付けに行ってしまった。  ムカっとした俺は勇次の後を追って話しかけることにした。 「さっきの、警戒されちゃったかな」 「警戒も何もお前のことを知っているかも謎だ。それに、山口には好きな男がいるって噂だろう」 「ああ、財前正巳(ざいぜん まさみ)」  その名前を思い出したくなかったと頭を手で押さえてよろめいた。噂をすればで、カフェテリアに入ってきた長身の男を見つけてしまい、ゲンナリした気持ちになった。  これまた立派な名前だが、彼の場合は名に恥じないスペックの持ち主だ、  先祖にハーフだかクウォーターだかがいるのか知らないが、日本人離れしたスラリとした長身で、顔は小さくて手足が長い。色白で透き通るような肌、金に近い髪の毛に、薄い茶色の瞳で遠目でも分かるくらいの整った目鼻立ちをしている。  キリッとした眉は男らしいのに、垂れた目がやけに色気を感じさせて、薄い唇の横には小さなホクロがあった。  同じ学年だが、あれが同じ人間ですかと、神の胸ぐらを掴みたくなるようなルックス。  そして、大学内では高い偏差値で難関と呼ばれた学部に在籍して、これまた名高い教授に認められているとか。  そして頭も良ければ、家柄も良い。  父親は誰もが知る有名企業の社長で、母親はハリウッドでも活躍する女優。  見目麗しく誰もが心を奪われる見た目に、恵まれた才能と約束された将来。  俺とはレベルが違いすぎて、ため息しか出ない。  というか、あんな貴族みたい男とは吸っている空気すらも違うと思う。  女の子達がこぞって今日の財前様とSNSに毎日上げるくらいの大人気だ。  俺の気になる白雪姫(リナ)も、財前のファンらしく、よく話しかけている。  本来ならば学部が違うとあまり見かけることもないはずなのに、なぜかこの財前はよくウチの学部に顔を出すので、これはもうリナちゃん目当てだと言っていいだろう。  正直二人の接近していく様子とか生中継で見たくもないのに、財前の野郎は俺が頻繁に顔を見るくらいこっちに来ているので、その度に荒んだ気持ちになってしまう。  今だってきっと、リナちゃんを追いかけてカフェテリアまで顔を出したのだろう。  さっき、俺をストーカーだと勘違いして出ていちゃいましたよバーカと、心の中で毒づいておいた。 「……おい、ユキ。お前……財前になんかしたのか?」 「えっ……、別に……。頭の中では三回くらい飛び蹴りはしたけど」 「いや……気のせいかもしれないけど、こっち見てたから……」 「は? 話したこともないし。地味顔のモブがうぜーなくらいに思って睨んだとかじゃね? ほら、もう講義始まるから行くぞ」 「睨むとかじゃ……、って、おい。待てって」  その時、俺は何も気づいていなかった。  絡みつくような視線も気のせいだと一ミリも疑わなかった。  だってそうだろう。  生まれてこのかた。  親にすら、あらいたのと言われるくらいの空気の俺が……。  あんなことになるなんて……  この時は思いもしなかった。  ⭐︎ 「ユキ、これ七番テーブルに」 「はい、今行きます」  トレーを手に持って華麗に……とはいかず、もたもたしながらカクテルとおつまみを持って指示されたテーブルに近づいた。  俺がバイトしているバー星屑は、もともと勇次がバーテンとして働いていた店だ。  前のバイト先がつぶれて金欠の俺は、勇次に頼み込んで仕事を紹介してもらい、接客担当として働き始めた。  店はゲイ向けだと聞いていたが、誰でも入店できるので女性客も多い。  薄暗い店内ではムードのある照明と音楽が流れていて、一人で気軽に来れる居心地のいい空間だと思う。  最初の頃、勇次は俺がぼけっとしているから、変な客に食われたりしないか心配だと言っていたが、正直言ってそんな心配は無用だった。  女の子からモテない俺は、当然のように男からもモテなかった。  番号を聞かれた時の対処法なんて教えてもらったが、ひと月働いてもそんな場面はなかった。  新人は常連からセクハラされるなんて聞いていたのに、チラリと視線を感じてもみんなすぐに興味を無くしたようにそらしてしまう。  それでいいのだけれど、結局ここでも空気くんかと思いながら、若干寂しくはあった。  食器を洗いながら、俺はある男の顔を思い出してしまった。  店には色んな客が来るが、俺が見てきた中でイケメンといえば、思い浮かぶのはあの顔だった。  悔しいけどアイツは別格だ。ホストのお兄さん達よりも何十倍もカッコいいとは思う。  ていうか、なんで俺、アイツのこと考えているんだと頭を振っていたら、オーナーに名前を呼ばれた。  オーナーはやり手だがまだ若く、実は勇次とは恋人関係にある。 「奥のボックスにいる客がユキを指名してきたんだよ。どうする? 休憩中だが勇次を呼ぶか?」  何のことだろうと俺は目を瞬かせた。  勇次の他に友人なんていないし、家族や知り合いにもバイトのことは話していない。  常連客で声をかけてくれるくらい仲良くなった人もいなかったので首を傾げながら、大丈夫ですと言って俺は注文されたドリンクを持って席に向かった。 「お待たせしましたー……」  ボックス席はそこだけ壁とカーテンで区切られていて、中に入らないと誰がいるのか分からない。  声をかけながらカーテンをちょいと浮かせて中に入ると、黒いキャップを目深にかぶった男が座っていた。  地味なシャツとパンツという格好だが、座っていても手足が長くてスタイルの良さを感じた。  こんな客が来ていたら記憶に残っているはずだ。  誰だろうと思いながら、ドリンクを机の上に置いた。 「あのー、俺を指名していただいたみたいですけど……、前にも来ていただいた方ですか?」  男はおもむろにキャップを頭から外して顔を上げてきた。  俺はその顔を見て口を開けて思わず叫びそうになった。 「あっ……おまっ……、ざっ…ざっ…財前!?」  そこにいたのは、薄暗い照明でも見間違えることはない光り輝く彫刻ような美しい顔の男、同じ大学に通う、あの財前正巳だった。  まさかあの財前がこの店に?  いや、しかもなんで俺指名?  罰ゲーム? 何のだよ!?  ぐるぐると疑問だけが頭を駆け巡りパニックになっていると、財前の方は両手で口元を覆って何やら目元を潤ませていた。  こっちはパニックなのに、なんだその反応はっ!  俺は混乱しながらも頭の中でツッコんだ。 「名前……」 「え?」 「俺の名前、知っていてくれたんだ……」  そこかよっ!  再び頭の中でツッコんだが、財前は変な冗談みたいに本当に顔を赤らめて嬉しそうにしていた。 「……は? ……え? な、何の用?」  完全にネジが外れた俺は、いちおう客である財前に向かって、そんな言葉しか言えなかった。 「ごめん。会いに……来ちゃった。どうしても……我慢できなくて……」  俺の聞き間違いでなければ、財前は付き合いたての彼女が彼氏のバイト先に突撃したみたいな台詞を吐いてきた。  処理速度が極端に低下して、今の台詞をどう理解しようかと、俺は立ったまま固まってしまった。  そんな俺のことを財前はチラリと見た後、また頬を染めた。  目の前で繰り広げられるのは、完全完璧なイケメンが演じる下手くそなホラー映画にしか見えない。  そして頬を染めた財前の次の言葉に、足から崩れそうになった。 「やばい…、白シャツに黒いジレ……可愛すぎる」 「はっっっ……なっっ!」  赤くなるというか青くなって、ボックス席の机に掴まったら、足がフラついてそのまま椅子に座ってしまった。 「嘘っ……、雪哉と同じテーブルに……しゃ…写真一枚いいかな?」  記念なのでみたいなノリでスマホを出してきた財前を見て、ようやく頭の線がつながった俺は待ってくれと止めた。  そして今気がついたが、なぜか名前で呼ばれていて、ゾッとして寒気がした。 「ちょ…ちょっ…と、待て。あの、同じ大学の財前正巳だよな?」 「えっ…嬉しい…名前まで……」 「いや、いいいーから、そのノリはもうヤメてくれ。何なんだよ。俺ら話したこともないだろう? 何でこのバイト先……っていうか、揶揄いに来たのか? 俺になんか恨みでもあるの?」 「恨みなんて…そんな! 揶揄うとかじゃなくて、俺は真剣に……。ずいぶんと思い悩んでここに……」  財前はイケメンフェイスを崩して、真っ赤になってもじもじとしながら、押し黙ってしまった。  どう考えても理解できない状況に、何を言われるのだろうと俺は財前の言葉の続きを待った。  接点といえばリナちゃんくらいだ。  財前はリナちゃんが好きで、少し前に怪しい動きを見せた俺に、近づくなと警告に来たのだろうか。  おかしい……。  わざわざバイト先まで調べ上げてなんて、そんなのどう考えてもおかしい。  しばらくデカい体を縮こませてもじもじとしていた財前だったが、意を決したようにバッと顔を上げて俺のことを真っ直ぐに見てきた。 「ずっと、ずっと見ていました。好きです」  今幻聴が聞こえたようだ。  俺はついに耳がおかしくなってしまった。 「あ……あ……あの、よく、聞こえなくて……もう一回」  よせばいいのに、俺は現実か悪夢かを確かめたくて聞き返してしまった。  すると財前は、俺が興味を持ったのだとでも思ったのか、もっと嬉しそうになって机に乗り出してきた。  俺は、とんでもない物に火をつけてしまったらしい。 「何度も言わせてくれるなんて嬉しい。好きです。ずっと好きでした。毎日家まで後を付けて、部屋に入ったら外から見ているし、大学でも見に行っていて、学食では雪哉が頼んだランチをいつも食べてるし、SNSは全部フォローしていて毎回イイネしてるよ。あっ、それと、この店はSNSに上げていた画像を解析して調べたんだ。たまに入り口から覗いていたんだけど、ほら、雪哉目当ての客が来るから気が気じゃなくて、こうなったらもう気持ちを伝えようって……、突然でごめんね。迷惑だったかな……?」  迷惑とかそういうレベルではなくて、思った以上にどデカいパンチが返ってきて、俺の頭はついにパンクした。 「あれ? 雪哉? ちょっ…、雪哉、大丈夫!? ゆきやーーーー!」  なぜ初対面のこの男に雪哉と連呼されるのか、うるさいしやめてくれという思いしかなかった。  その場で過呼吸になった俺は、バイト中にもかかわらず、そのまま横に倒れて気絶してしまった。  愛の告白に気絶、そんな初めて尽くしの経験はいい思い出というより最悪の思い出になった。  唯一分かったこと。  財前正巳は、俺のガチのストーカーだった、ということだった。 「おい、ユキ」 「なに?」 「お前のストーカーがこっち見てるぞ」 「……知ってる。あれは幻だと思ってくれ」  キャンパスの並木道を歩いていたら、勇次が膝で俺を突いてきた。  痛いほどの視線を感じて嫌でも気がついているので、俺はあれを幻だと思うことにした。  あの悪夢の告白から一週間経った。  俺はキャンパス一のモテ男から、ずっと追いかけられている。  あの日は大変だった。  ぶっ倒れて気絶した俺が気がついた時は、従業員休憩室に寝かされていた。  すぐに様子を見にきてくれた勇次から、突然気を失って運ばれたのだと聞かされた。  少し前まで財前がおいおい泣いて大騒ぎしていたが、他の客の迷惑になるからと説得して帰ってもらったと聞かされた。  どうやら俺が気絶したことで、嫌われたと思い込んで大泣きしていたらしい。  勘弁してくれと俺は頭を抱えた。  勇次によると、財前は確かによく俺を見ていたらしく、その度に俺に伝えたが全く話を聞かなかったので、それ以上伝えることができなかったと言われてしまった。  思い返してみれば、勇次はよく財前が財前がと言っていた気がする。  俺は劣等感と勝手にライバルとして意識していたので、とにかく頭から排除するようにしていた。  そのため、ヤツの執拗な視線に気がつくことがなかった。  それからあの告白は宙ぶらりんの状態で、財前は話しかけてこないが、どこを歩いていても財前の視線を感じる。振り向けば、目を潤ませた財前が話しかけてオーラを放ちながら俺を見ているので目眩がしてしまう。  それは一週間経った今日も変わらなかった。  よくあの目立つ男が今まで俺のストーカーなんてやっていたなと思う。  今だって、木の陰に隠れて顔を半分だけ出してこちらを見ているが、さっきから数人にどうしたのかと話しかけられている。  あんな姿を見ても、まだこれがネタだとしか思えない。  しかし、ずっとこのまま続いたら、俺は気が狂うなと思い始めていた。 「ユキ、どうする? 昼は学食にするか?」 「ちょっと待って。もうハッキリさせよう」  昼食の時間がチャンスだと考えた俺は、クルッと回転して、木の陰に張り付いている財前の方を見た。 「おい、財前」  俺が声を上げると、財前は分かりやすく飛び上がって、ボールを咥えた犬のごとく物凄い速さで俺の横まで走ってきた。 「雪哉! やっと…やっと、話しかけてくれたね……嬉しい!!」 「ちょっと! いきなり手を繋ぐな! 距離感がおかしい!」  さっきまで付かず離れずで追いかけてきたのに、声をかけたら待ってましたとばかりにくっ付いてくる財前に、おかしいとピシャリと言ってやった。  しかし本人はヘラヘラと笑っている。  怖い……、無駄にイケメンだから、こんな頭がおかしな行動は似合わな過ぎて不気味でしかない。 「この前はごめんね。雪哉と話せたと思ったら、つい嬉しくなっちゃって、あんな所で告白してしまって本当にごめんなさい。ショックだったんだよね、だから……」 「いやいや、場所の問題じゃなくて……、はぁ、あのさ、財前。とにかく話し合おう、昼飯これから一緒に食べないか?」  勇次を巻き込んで話し合おうと、苦肉の策の提案だったが、財前はパァァァーと頭から金粉でもかぶったように輝きだした。  それを見たら俺はまた目眩がして、頭に手を当ててため息をついた。 「と、いうことは、財前がユキのことを好きだってのは、間違いないんだな」 「本気だよ。雪哉が納得してくれるなら何をしてもいい」  とりあえず人気のないところへ行こうと、三人で昼食を買って、中庭のベンチに移動した。  俺と勇次がベンチに座り、財前は積まれたブロックの上に腰を下ろした。  俺を不憫に思ってくれた勇次が音頭をとって話を始めてくれたが、財前は相手が勇次だと急に人が変わったように冷たい口調になったので驚いた。 「ええと、それはいつからとか、恋のきっかけみたいなものは聞いてもいい?」 「申し訳ないけど、それは俺にとって大事なことだから、君がいる場所では話せない。それ以外なら何を聞いてもいい」  さっきまでヘラヘラしていた男がピシャリと線を引いてきたのでまたまた驚いた。  そういえば、今までの俺の財前のイメージとはこんな感じだったと気がついた。  クールな王子様とか呼ばれて、誰に対しても塩対応で有名だったのだ。  それがなぜかあのヘラヘラ顔だ。  同一人物だと思えなくて二度見してしまった。 「オーケー、じゃあ、財前はもともとゲイなのかな?」 「男が好き、とかじゃない。俺は雪哉が好きなんだ。雪哉かそうじゃないか、それが俺の指向だ」  どっかで聞いたような俺か俺以外かみたいに言われても、どう反応していいか分からない。  とんでもない回答に驚いたのは俺だけではなかった。普段割と冷静な勇次まで呆気に取られていた。 「俺はそうだが、雪哉が男を受け入れてくれると思わなくて、ずっと悩み通してきたが、あの店で働き始めたことを知って、告白する決心がついたんだ。少なくとも、抵抗はないのかもしれないと」 「てっ…抵抗って言うか……。他のやつがその道を選ぶなら好きにしてもらえばいいけど、俺自身がっていうと……また話は違うというか……」 「雪哉……」  さりげなく拒絶の意思を示してみたら、財前はまた目を潤ませて泣きそうな顔をしてきた。 「って! 財前! すぐ泣くのやめろよ。だから、男がどうとかの前に、俺、財前のことよく知らねーし、そんな状態で告白されても……」 「……そうか! 戸惑う、だけだよな。分かった。雪哉、まず友達になってよ、それで俺のこと裸にして隅から隅まで観察して……」 「しないしないしない! なんで裸!? やだよ」  そんなことはやめてくれと俺は立ち上がって、財前の腕を掴んだ。  本当にこんなところで脱がれたらたまったもんじゃない。  その時、堪えるような笑い声が聞こえて、すぐに勇次が噴き出して大笑いしてきた。 「はっはははっっ、おかし。財前、一周回って面白いヤツじゃん。いーじゃん、ユキ、友達だったらいいだろう。仲良くしてやれよ」 「おーっと、まさかの味方に裏切られるとは……」 「雪哉、関くんもそう言ってくれていることだし。まずはお友達からで、来月くらいには恋人を目指そう」 「は? 勝手に目標決めんな!」  側から見るとコントみたいな二人のやり取りに、勇次だけが爆笑するという事態になった。  困った流れになってしまった。  ここは勇次にいい加減にしろとガツンと言ってもらうはずだった。  それがなぜか、ストーカー野郎とお友達になろうという会になってしまった。  とにかく付きまといや、待ち伏せはしないようにと約束はしたが、どうにも信用できない。  こんな事態、友達も少なければ、恋人すらいたことのない俺には、円満な解決策なんてちっとも浮かんでこない。  しかし、やるしかない。  このままだと俺はこの無駄にイケメンの変態の餌食になりそうな気がする。  いや、考え方次第だ。  ここは、やつのストーカー思考を、まともな人間の思考に戻せるチャンスかもしれない。  俺はそう思うことにした。 「はい、お弁当」  俺の前にぽんと置かれた、花柄のピンクのランチボックスを見て、変な声を上げそうになった。  友達になろうと勝手に話をまとめられた翌日、財前は何を勘違いしたのか俺に手作り弁当を渡してきた。 「朝、早起きして作ったんだ。出汁もちゃんと昆布からとって卵焼きにしたから……」 「うっっ……」  つき返そうと思っていたのに、そんな言葉を言われたら無下に断れなくなってしまった。  実を言うとランチ代は非常に痛くて、現実的には非常に助かる状態だった。  さすがに狙われているのにマズいだろうと思ったが、お金とは人の心を変えるものである。  友達が作ってきてくれたものだからと、俺の頭は簡単に切り替わって、ありがとうと言って頂戴することにした。  今日のお昼時間に勇次は教授に呼ばれていないので、いたら絶対呆れられたなと苦笑した。  蓋を開けると、栄養バランスを考えて作られたようなラインナップのおかずが並んでいた。  野菜の切り方やなどは不恰好ではあるが、一つ一つ丁寧に作られた感じがして感動してしまった。 「大丈夫だよ。体液とか髪の毛とか、変なものは入れてないから」 「おい、いきなり、食欲をなくすようなことを言うな! ……ったく、食べ物に罪はないんだからな……。ああ……うん、美味い」  のっけから変態臭を漂わせてきたが、味は普通に美味しかった。焼き過ぎとか好みの問題はあるが、ここまでちゃんと作ってもらって文句のつけようがない。  俺は素直に美味しいと言って残さず綺麗に食べた。 「明日からも作ってきていい?」 「……いいけど、これって友達の範疇なのかな」  友達という枠組みが俺の命綱なので、そこは超えたくないと思っていると、財前は大丈夫だと言って笑った。 「よくあることだよ。友情に基づく親切心だと思って」 「うー……ん、じゃあ、まあ、いいけど」  何やら丸め込まれた気がするが、しかしこれで明日からのランチ代が浮いたので、ラッキーだと俺は軽く考えていた。  ふと、目に入った財前の親指に絆創膏が巻かれていたので、気になってしまった。 「財前、お前、指どうかしたの?」 「…ああ、これ。ちょっと火傷しちゃって、大丈夫。大したことないから」  俺は言葉通りそれをそのまま受け取って、気をつけろよーなんて、これまた軽く返した。  こうして胃袋を掴もうとする財前の作戦なのか、弁当も作ってもらう日がしばらく続いた。  しかし、財前の指の絆創膏は日に日に増えていき、ついに両手の指が全部絆創膏で覆われたので、さすがにこれはマズイと財前を中庭のベンチに呼び出した。 「財前、お前。その手はなんだ? もしかして俺に弁当を作るために無理して怪我をしているのか?」 「……これは、俺が不器用だからだよ。それでも、雪哉にお腹いっぱい食べて欲しくて……気にしないで、ね」  俺より背がデカいくせに、まるで叱られた子供のように小さくなりながら答える財前を見て、胸がザワザワとしてしまった。 「バカだな……。気になるに決まってるだろう。怪我なんかして欲しくない。もう明日からはいいよ。悪かったな今まで」 「そっ……そんな、お弁当が……お弁当がなかったら、雪哉は俺とお昼を食べてくれないでしょう」  またまた財前は目を潤ませている。  まるでハリウッドスターが失恋の一場面を演じているみたいに様になるので、先ほどからこちらをチラチラ見ていた女の子達からキャーっという声が上がった。  どう見てもあの財前を、俺が泣かせたという構図が完成していて、女の子達からの冷たい視線に耐えられない。仕方なく俺は折れることにした。 「あーー、もう。弁当とかなくても一緒に食べるから。本当に泣き虫なやつだなぁ……。もらってばかりじゃ悪いからさ、今まで作ってもらったお礼したいけど……情けないことに給料日前だから先立つものがなくて」 「お礼って!?」  財前の目が今度はギラギラと光って、食い気味に顔を近づけてきた。  その圧がすごくて俺は後ろに引いた。何か凄いもの期待されても困る。 「いや、大したものじゃないよ。例えば俺も料理を作ってやるとか……しかし、さっきも言ったようにピンチだからもう少し待ってもらえると……」 「うちに来る? キッチンもあるし、食材も結構余って捨てちゃってて」  食材を捨てる、と言う言葉に俺の耳は反応してしまった。こちとら、いかに安く買って最後まで使い切るかをモットーにしているので、捨てるというのはどうにも聞き捨てならない。 「でもなー、財前の家、実家だろう。さすがにご家族もいるのに呑気に料理なんて悪いし……あっ! いいこと思いついた。財前、捨てる食材があるなら持って来れる?」 「え? いいけど……どこに……」 「俺の家、来いよ。場所は……ああ、お前ストーカーしてたから分かるよな。俺の家で作ってやるよ。そんで二人で食べよう」 「うぅ……う、うん!!」  食材を使い切らないと、という使命に駆られた俺は、すっかり財前がどういうヤツだか頭から抜けてしまっていた。  口に出してから、喜びに震える財前を見て、あれ、マズかったかなと思い始めた。  というか、最近は勇次が急に教授に呼ばれることが多くて、昼時は財前とばかり過ごしていた。  それで警戒心がすっかり消えていた、というのはまあその通りだった。  その時俺は、やつが変態ストーカーだということを完全に失念していた。 「お邪魔します」  俺の安普請のアパートが、異国の王子様が庶民の生活を訪問の舞台になってしまった。  年季の入った木のドアを、自動ドアをくぐるみたいに財前が涼しい顔で入ってきた。  車で来たらしく、運転手が荷物を持ってきて、俺の部屋の玄関にデカいクーラーボックスと段ボールをドンと置かれた。 「へぇ、中はこうなってるんだ。外からは構造を確認していたけど、コンパクトにできてるね」  手を後ろに組みながら、王子様のお宅訪問が始まってしまった。  俺はクーラーボックスを開けて、どう見ても市場から直送したような新鮮な食材をどうしたらいいのか途方に暮れていたが、財前は楽しそうにここ入ってもいい? なんて聞いて風呂場に入っていった。 「雪哉!? お風呂の中にトイレがあるよ! 大変だ、業者が間違えて設置したんじゃないか!?」 「……うるさい、そういう部屋なんだ。それよりこれどうするんだよ。野菜と肉とは言ったけど、お前ん家でレストラン開いてんのか? すごい量なんだけど……」 「ああ、いいよ。たまたま余ってたから。全部あげるよ」  肉はかたまり肉でどかんと入っているし、野菜も段ボールの中に山ほど入っていた。  米も二十キロくらいはありそうだ。  これなら冷凍すれば当分自炊には困らないので、俺はありがたく頂戴することにした。  財前を奥の部屋に通して、俺は早速料理を開始することにした。  とにかく困ったらカレーが俺の定番なので、材料を切り始める。  奥の部屋ではガタガタ音がしていたが、触れられて困るものもないし、暇だったら寝ていろとも言っておいた。財前はテレビでも見てリラックスしているのだろうと俺は勝手に思っていた。 「よしっ!」  火力を調節して、あとは煮込む段階のところまでいった。タイマーをセットしたので、少しゆっくりしようかと財前の様子を見に奥の部屋を覗いた。 「なっっ……! うわっ! なんだこりゃ!?」  覗いてすぐに、ベッドの上に衣服のかたまりができていて、大きな声を上げて驚いてしまった。  確かに、洗濯した服をベッドの上に積んでいたし、脱いだ服をその辺に散乱させていた。  それでもまさかあれをと、恐る恐るかたまりに近づくと、もそもそと動き出して洋服の山の中から財前が出てきた。 「おーまーえーーー! 何してんだよ!」 「……ん? 巣作り」 「はあ!?」 「雪哉の服の匂いを嗅いでいたら発情しちゃって……、立派な巣ができただろう?」 「はい!? だから、その元ネタなんだよ!? わけ分かんないこと言ってないで、さっさと出てきて片付けろよ!」  ガタガタ音がしていたが、人の洋服で遊んでいたなんて小学生でもしない。  何なんだこの男はと腹を立てていたら、財前はそれはちょっととか言い出した。 「は? いいから、出ててこいって」 「えーでも、下、何も履いてないんだけど、いい?」 「…………」  ホント、ナニコノオトコ。  俺はありえない事態に目眩がして壁に手をついた。落ち着け落ち着けと頭の中で繰り返すしかなかった。 「いちおうマナーとして、さっきシャワーを浴びたから綺麗だよ」 「あ!? 勝手に風呂使ったな……っていうかマナーの問題じゃない! 今度という今度は話がある! とにかくパンツを履いてここに座れ!」 「えー…と」 「なんだ! まだ何かあるのか!?」 「……ごめん、勃っちゃった」  俺は壁に頭を打って倒れた。  もういやだと泣いて叫びたかったが、痛いのに涙は一滴も出てこなかった。  ⭐︎ 「それで? どうしたんだよ」 「どうしようもない。説教してカレー食わして帰した」  今日店は客の入りが悪く、暇をしていた俺は、先日財前が俺の家に来た時のことを勇次に話した。  勇次はテーブルを拭きながら肩を震わせていて、明らかに笑いを堪えている様子だった。 「くくっくっっっ、お前仕事中にやめろって。腹が捩れて死ぬ」 「あのさー、別に面白い話しているわけじゃないんだよ」 「それのどこが、真面目な話なんだよ。マジで最高だな財前。俺もついにファンになったわ」 「キィーー! 他人事だと思って!」  やっぱり話すんじゃなかったと思いながら、相談できる友人など勇次しかいないので仕方がない。  あの変態は、もう俺には手に負えない。 「どうしよう、どうしたらいいんだ……」 「どうしようって、あいつのこと好きになったのか?」 「はあ!? 俺の悩みのどこに恋愛のれの字があった? 好きになるわけねーだろ!」 「俺の所感だが、あれはただ気に入ったくらいのレベルじゃないぞ。そうとう執念深く好かれていそうだから、男は無理とか言って断っても、絶対納得しないと思う。逆にまたストーカー行為を始めそうだ」 「じゃあ……どうしたら……」  まさか自分が誰かに好かれて悩む日がやってくるとは思わなかった。  今まで空気のように存在感がなくて、誰も相手にしてくれなかったのに、それがなぜ存在感のかたまりのような男に好かれたのか、誰でもいいから説明して欲しい。  そしてピッタリな解説策を…… 「付き合ってみたら?」 「はあ!? 何でだよ!」 「理屈で納得するやつじゃない。恋をするってのはどこか夢見がちなるもんだ。頭で考えていたユキとは違うってところを見せつけて、ああ俺とは合わないなって実感してもらうのが一番効果があるんじゃない? というか、それしか思いつかない」  考えただけで頭が痛かった。  俺の服の匂いを嗅いで、勝手に俺のベッドの上で自慰行為に耽るようなど変態だが、上手く言いくるめれば操縦できるかもしれない。 「……よし、名付けて変態はお断り大作戦だ!」 「ぷっ……が…頑張れよ」 「勇次……今笑ったな!!」  もっと話していたかったが、店内が混み始めたので、慌てて仕事に戻った。  俺は勇次の助けもあり、次の行動に移すことにした。  あえて嫌われるような行動をとって、こいつマジ無理と思わせることができたら俺の勝ちだ。  それに賭けてみることにした。 「俺も財前が好きだ。付き合おう」 「ほっ……本当に!?」  翌日、早速人気のない建物の裏に財前を呼び出した俺は、作戦通り告白に応じることにした。 「だっ…ちょっと、最初に言っておきたいんだけど。好きな気持ちとかあっても、俺は何もかも初めてだから、心の準備が必要だ……。だからキスとかそういうのは、急には無理だから……ある程度時間をおいてからにして欲しい」  俺は一晩考えた身を守る方法として、最初に約束をしておくことにした。  まずそれが大前提、嫌だとか言い始めたらやめようと言うつもりだった。 「……いいよ。雪哉と付き合えるなら何でもいい」  散々悩んだのに、意外とあっさり了承されてしまい拍子抜けしてしまった。  この変態のことだから、すぐにでも押し倒してくるかとすら思っていた。  訳の分からないやつだなと思って財前を見たら、俯きながら肩を震わせていた。 「えっ………泣いてんの?」  よく泣くやつだということは知っていたが、いつもこれ見よがしに目を潤ませているのに、今はどう見ても隠すように下を向いていたのだ。 「ごめ……嬉し……、本当に……嬉しくて……」  演技とか嘘泣きかもしれない。  最初はそんな風に思ってしまったが、財前の声は震えていて、それがじんわりと俺の胸を打ってきた。 「ありがとう……、嬉しい、雪哉」  顔を上げた財前は心から嬉しそうな顔で笑っていた。  こいつの笑顔なんて何回も見ている。  しかし、今の笑顔は見ている俺まで幸せな気持ちになってしまうような明るい光に満ちていた。 「うっ……」  こいつ……本気で俺のことが好きだったんだ。  頬を赤くして嬉しそうな財前を見たら、嘘をついてしまったことに良心が痛んだ。  だが、やつが変態であることは変わりない。  男とか以前に変態と付き合うなんて俺には無理だ。  早く我儘に振る舞って嫌われるようにしよう。  こうして、俺の作戦は動き出した。
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