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 もう、どうなってもいい。もうこの絵は塗り潰す。  そんな気持ちだった。 「俺は!あんたを見たいし、見たくないんだよ。どっちじゃねぇんだよ。ああそうだよ、あんたは俺の理想的なモデルだよ。めちゃくちゃ綺麗だと思うし、すげぇ好きなんだよ。だから!だから見ると描きたいし、触りたくなる。正直なところ今は触りたいの方が強いんだよ。だから俺の前をウロウロすんなよ!早くいなくなってくれよ!」  一気にそこまで言った。息が荒くて肩が揺れる。  後は先輩が出ていけば、この破壊工作は完成だ。  いっそ清々しいくらいだ。  弄り回して何とか修正しようとかしてないで、破り捨てた方がいい絵だってあるんだ。  早く出て行ってくれと思いながら足元を見ていた。  なのに先輩の足が動かない。  何で出て行かないんだよ。  どうしていつまでも俺の前にいるんだよ。  さっきの清々しさは消え去って、急速にイライラしてきた。  俺の方を向いているつま先。上まで辿ると、綺麗な瞳と目が合った。  その目元が、頬が…赤い?  耳も、ほんのりとコーラルレッドに染まっている。  ぎゅっと噛んだ薄塗りのピンクマダーの唇。  その唇が、開く。 「…それは…お前に触られてもいいなら、いなくならなくてもいい…って事?」 「…え?」    言われた意味が分からない。頭の中に入ってこない。  呆然と先輩を見ていると、一歩前に出た先輩に腕を掴まれた。 「な…」 「ほら」  そう言って、先輩は俺の手を自分の頬に触れさせた。  指先に感じる滑らかな感触。恐る恐る指で辿る、シャープな頬のライン。  細い顎。  どくどくと心臓が爆ぜている。 「なん…で…?」  触れながら、目の前の作り物のような顔を見た。  目元を朱に染めた先輩が俺を見返してくる。  目の色はバーントシェンナ。吸い込まれそうだ。 「お前、オレが3年だって分かってる?」 「…そりゃあ…」  また何を言い出すんだろう、この人は。 「3年は、来なくていいわけ。もう、学校に。なのに何でオレが来てたのかぐらい分かれよ」  睨みつけてくるのに、目が潤んでるからちっとも怖くない。  歪んだ口元と、顎にできたシワが可愛い。  頬を撫でていた手で、髪に触れてみた。  思っていた通りの柔らかい感触と、小さい頭。  引き寄せると何の抵抗もなく俺の腕の中に収まった。  先輩の腕が俺の背中に回るのを感じて体温が上がる。 「好きです、先輩」  ずっと誤魔化してきた気持ちを、言葉にのせる。  触れたくて堪らなかった存在が、腕の中にいる。 「……うん…、オレも……」  聞き取れるか聞き取れないか、ギリギリの掠れた声に心拍が上がった。  やたらと喉が渇いてきて細い身体を抱きしめる。 「なあ」  腕の中の先輩の声が、心なしか甘い。 「鍵、かけて来いよ」  呼吸が、上手くできない。  身体の動きが、ぎこちない。  脳がバグを起こしている。 「ほら」  背中をぽんと叩かれて、びくりと身体が跳ねた。  そろりと腕を解き、先輩の顔を見た。  いつもは白い肌が、今はシェルピンク。    一歩後ろに下がる。  美術室のスライドドアが目に入った。  俺は弾かれたように、ドアに向かってもつれる足で駆け出した。    了
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