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Aー4
視線を、上げる事ができない。
至近距離で先輩がじっと俺を見ている。
何なんだ。何のつもりなんだ。
「…その眉間のシワ」
ハッと笑った先輩が俺から離れて作業台に腰掛けた。
相変わらず胸は痛い程高鳴っているけれど、目の前からあの顔がなくなった分ラクになった。
手が届く距離にあると、触りたくなる。
あの美しいシャープな頬のラインを、指で辿りたくなってしまう。
「お前、あんなに熱心にオレを描くくせに、何でそんなに嫌そうな顔すんの?」
作業台に腰掛けた先輩が、横目でこっちを見ているのを感じる。
先輩は俺から視線を外してため息をついた。
「お前さ、こども県展、見に行ってた?」
「は?」
突然何を言い出すんだ、この人。
「オレは親に連れられて行ってた」
「…賞、とってそうですもんね、先輩」
「お前も毎回とってたじゃん」
え?
驚き過ぎて声も出ない。思わず先輩の方を見た。
「お前、風景とかすごいキレイに描いてんのに、いっつも人物にやる気がなかった。ちゃんと描けてる風だけど、どこか投げやりな感じがしてた。なんでだろうって毎回思ってた」
先輩は猫背気味に背中を丸めて作業台に腰掛けて、視線を落とし、絵の具の染みの残る床を見ていた。
ほんの少し下唇を曲げた、綺麗な横顔。
「ちゃんと描けば描けるだろうにっていつも思ってた。実際お前はオレの事は上手く描いてた。ああ、オレをモデルとして気に入ってんだなーって思った。まぁそれはそれでいいかと思ってた」
ダメだと思うのに、俯き気味の横顔から目が離せない。
先輩は曲げていた下唇をギリッと噛んだ。
そして苦い声で言う。
「思ってた、思ってたけどさ。何で?何でだよ。何でそんな顔すんの?何でいっつも目ぇ逸らすんだよ」
「それは…」
触りたくなるから、なんて言える訳がない。
そもそも何でこの人はこんなに怒っているんだ?
見るな、と怒られるなら分かる。
あのデッサンの日まで、かなりジロジロ見ていたのは自覚してるし、今でも後ろ姿は見てしまう。
見てはいけない。
でも見たい。
その狭間で、ギリギリと歯噛みしている。
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