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卒業式。
一年間に渡り賑やかだったこの教室も今はすっかり静まり返っている。
残念ながら晴天ではない。しかし窓をみれば桜色。雲に阻まれ穏やかに枝を揺らす桜達。まだ雨は降らない。花弁がその代わりにと緩やかに落ちていく。重く重く、街にのしかかる雲の代わりに今日涙をながす人もあるだろう。そこまでいかずとも、じわりと視界がぼやける人もあるだろう。
「んっ……そろそろ送辞をしている頃かな」
「そんくらいじゃねぇか?校長の話はとっくに終わってるだろうな」
この輝かしい日にでも僕達は教室に残ったまま。静まり返った教室でひっつきあって、互いの気持ちを貪っている。
「んふふ、ねぇ?君の身体ってきっとHだ。すごく硬いもの」
「Hじゃねぇよ。オマエが柔らかいんだ」
どうしてこうも違うものか。君は細身なのにゴツゴツとして身長も高い。対する僕はというと、ぶよぶよとした体のチビで色ばかり白い。
「ちぇっ、僕も君と同じだったら良かったのに…」
「ばーか、それぞれさ。オレはオマエの身体、好きだぜ?柔らかくってしなやかで。いい匂いもするし…」
「や、やめてくれよ。恥ずかしいなもぉ…」
違うのは外見だけじゃない。君はいつだって真面目で、どんな時でも一本芯が通っている。僕みたいになよなよしていない。
「それも違う。オレは腹黒だよ」
「ううん。君に裏表がないっていうのは、僕が一番知ってる。君は……傷付き過ぎたんだよ…」
ぞんざいに扱われ、どこでも転がされ、拘束されて閉じ込められたり、踏まれ、蹴られ、ついには刃物ですら傷つけられて、君はその度にどんどん尖っていった。身を削られる度に、その鋭さを増した。
「それでも君は真っ直ぐ。折れたりなんてしなかった。僕には優しいままだったしね」
「折れたよ、何度も。ヘコんでばっかりだ」
そんなに否定するか。
自信なんてまるでなさそうな、そんな君は初めてみた。
「オマエのお陰なんだよ」
「なんでさ?僕は何にもしてあげられなかった」
「ばかいうなって。オマエがいなかったら、ダメになっちまってたさ」
打ち明け話なんて複雑な気持ちだ。聞けて嬉しいようでもあるし、何で黙っていたのかと悔しいようでもある。
「オレが間違った時、オマエがうまく修正してくれて、オマエがちゃんとあのカス共をまとめてくれたから……オマエのお陰なんだ。いつもオレの側にはオマエがいてくれて、だからなんとかやれてたんだ…」
本音なんだろう。本当の気持ちなんだろう。
「オレはトンボさ。真っ直ぐ、同じ場所をいつまでもグルグル回ってる。オマエはパイロットだったんだ。いつもうまくコントロールしてくれてた。良い方にオレを向けてくれて、寄り添ってくれてた…」
本当の気持ちだろうから、僕は切なくなってしまうんだよ。
「だから、オレと一緒になんていたから、オレのせいでオマエまで汚れた。せっかくキレイな身体だったのに……悪かったな…」
ゴメンネ、じゃ、切ないんだ。
罪悪感で、僕を選んでなんか欲しくないんだ。
「ありがとう、じゃ……ダメかい?」
「ん?」
「僕は君のためなら、いくら汚れたって構わない。ねぇ?謝罪じゃない、感謝が欲しいよ…」
素直に打ち明けた僕。君は珍しく「ぁ……うんぅ……」なんてどもって。照れてるのか?まさか。可愛らしいとこもあるじゃないか。
「………ぁ……ぁりがとう…」
「あはは、変な奴だな…」
可愛いな、僕は笑ってやる事にする。なんだい、いまさら。もっと早くみたかった。
少しいじっぱりだったんだ、君も、僕も。
「んふふ……はぁ、そうだね。君のいう通り、僕はいつだって君の隣にいた。君と一緒にいる事こそが僕の存在理由だって思う。それってすごく心地よかった」
この身体が未来、一片も残らず消えてしまうその時まで君に寄り添い、君にこそ全て捧げてしまうのだろうなんて、僕はそう信じていたのに。
「でも……中学校からは別なんだよ…」
どんなに一緒にいたくても、僕達は引き離されてしまう。分かってた、もうすぐなんだ。窓には枚数が数えられるくらいくっきりと写る桜、ひらひら舞って。君は少しの間、黙って僕を見つめていたけど、
「受験、よく頑張ったな。身も心も随分すり減らしてたからハラハラした。どっかで壊れちまうんじゃねぇかって…」
やがて、穏やかに話を逸らしてくれた。
「……んふふ。うん、頑張った。ねぇ?もっと褒めておくれよ。最後まで崩れずやり遂げられた…」
良かった、思わず口から溢れてしまいそうだったから。
「ははっ、えらいえらい。捨てられちまうんじゃないかって、心配だったぜ」
言いたくない言葉はサヨナラ。
「まさか。君だって身を削って頑張ってたじゃないか。僕の方こそ心配だったんだよ?」
聞きたくない言葉も、やっぱりサヨナラ。
「まぁな。あんなに文字でノートを埋め尽くしたのは初めてだったぜ。頭が熱くて熱くて、火が出ちまうんじゃねぇかって、そう思った」
離れてしまうのは、僕の方なんだから。
「うん……」
もうすっかり冷えきってしまった体。それでも離れる事なんてできやしない。君を少しでも長く感じていたいんだ。
「ねぇ?二人でどこかに逃げちゃおうよ」
「どこにもいけやしねぇよ、オレもオマエも…」
「おいおい、腹黒はどうしたんだい?やっぱり君は真面目だなぁ。こんな時くらい騙してくれたっていいじゃないか。なんで頷いてくれないんだい?」
卒業式はじきに終わる。君とのこの時間も間もなく終わってしまう。
「オレらは結局誰かの所有物さ」
「そんな事ない。僕はモノじゃない」
僕はハッキリ、否定した。
「……ああ、そうだな」
悲しそうに、肯定する君。
「ねぇ?ずっと一緒にいてよ」
「ああ、ずっと……一緒にいよう」
僕の望む通り、君が優しく僕を騙してくれたところで、とうとう卒業式を終えた彼等が教室に戻ってきてしまった。きっと良い卒業式だったんだろう、泣いている人もいる。
最後のホームルームを終えて、みんなそれぞれの帰路につく。とぼとぼと、危うげに踏み出すそれぞれの道。
重くのしかかる曇天。間もなく雨も降るだろう。どうにもならない僕達の代わりに、きっと涙を流すのだろう。
終わらなければいいのに、続けばいいのに。残された時間、僕達は色んな話をしたね。でも決して口にしなかったサヨナラ。
それは中学校に入学する1週間前。
ついに君は机の引き出しにしまわれてしまった。
鉛筆は小学生で卒業。僕は春からシャープペンシルで書かれた文字を消す事になる。
随分とチビた身体になってしまった。いずれ捨てられてしまうだろう。
きっと、君と再会する事はない。
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