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エピローグ
「あのっ! すみませんっ!!」
突然背後から声をかけられて、リンデルは鳥の手綱を引いた。
カースのことを考えるのに夢中になっていて、人の気配に気付くのが遅れてしまったようだ。
反省しつつ振り返ると、そこには二十歳を過ぎたくらいの見慣れない青年が立っていた。
「もしかして、あのっ、勇者様……じゃないですか!?」
人違いだったらごめんなさいっ。と謝りながら尋ねる青年に、リンデルは慎重に答える。
「……そうだとしたら、何かな?」
「やっぱり!!」
青年は跳び上がって破顔した。
嬉しそうなその姿に、リンデルは青年に害意はないと見て鳥から降りる。
山道に差し掛かりそうなこの場所の周囲には、他に人の気配も魔物の気配も感じなかった。
ロッソも、警戒を怠らないよう気を張り巡らせながらも、それに従う。
「俺っ、あ、僕は、以前勇者様に助けられたことがあって、そのっ! お礼が言いたくてっっ!!」
リンデルはフードを外して笑顔を見せる。
ずいぶん昔の事ではあったが、なんとかこの青年を思い出すことが出来た。
「ああ、そうか……。君は妹さんを守ってた、お兄さんの方だね」
先ほど通り過ぎた村には、現役の頃、討伐に訪れたことがあった。
まだ勇者になったばかりの頃で、ロッソに相当手を焼かせてしまっていた時期だ。
「覚えていてくださったんですかっ!?」
青年が嬉しそうにまた跳ねた。
「けれど……、君達からはちゃんとお礼を言ってもらったよ?」
リンデルが疑問を口にする。
「一度くらいじゃ足りませんっっ。俺っ、あっ、僕も、妹も、こうやって暮らせているのは勇者様のおかげだって、毎日感謝してるんです!!」
「……そうか。ありがとう……」
くすぐったそうに目を細めるリンデルの金色に輝く笑顔に、青年が心奪われる。
「………………ぁ……」
「?」
呆然としてしまった青年に、リンデルが笑顔のまま小さく首を傾げる。
ハッと我に返った青年が、僅かに頬を染めて伝える。
「いっ、いやっ、お礼を言うのは俺の方でっっ!!」
あっ僕だっっ。と青年が慣れない一人称にあたふたする姿に、リンデルは勇者就任当時の自分を僅かに重ねる。
「本当にっっ、本当の本当の本っ当ーーーーーーーーーーーっっっにっっありがとうございましたっっ!!」
力の篭った礼に、リンデルは苦笑を飲み込み、極めて勇者らしく微笑む。
「当然の事をしたまでだ」
それは、いままで何度口にしたか分からない、勇者として決められた返答の一文だった。
リンデルは少し考えてから、もう一言添える。
「君を助けることが出来たのなら、私もとても嬉しいよ」
もう俺は勇者じゃない。俺の気持ちを添えたって許されるだろう。
そんな元勇者の姿に、ロッソは微かに目を細める。
思いがけない言葉とその柔らかな表情に、青年が顔を赤く染めつつも必死で伝える。
「おっ、俺っっじゃなくて僕っっ!! 勇者様の幸せを祈ってますっっ!! ずっとずっと、一生っ!!」
熱く伝えられて、リンデルは顔に出さないまでも、驚いた。
一生、自分の幸せを祈ってくれると彼は言った。
今までも、毎日感謝していたと言ってくれた。
ほんの一度だけ、人生でほんの少しの間、関わっただけの自分に。
なんて有難い事なのだろうか。
自分が知らないところでまでも、大勢の人に幸せを願われているのだという事を、リンデルは再度実感する。
俺は、なんて幸せ者なんだろうか。
リンデルは、自身に絡み付く数え切れないほどの見えない鎖を見る。
そこから、たくさんの愛が注がれていた事に、その愛のおかげで、ケルトを愛せたという事に、リンデルはもう一度気付き直す。
真なる勇者の顔をして、リンデルは金色の髪を日差しに煌めかせると、柔らかく微笑んだ。
「……ありがとう。私も君の幸せを祈っているよ」
全力で手を振る青年に見送られて、リンデル達はまた鳥を進める。
リンデルが、誰よりもその幸せを祈っている、男の元へ。
リンデルが、心を囚われたままの、人の元へ。
今度こそ、二人で……いや、皆で。
互いに鎖をかけあって、互いに囚われあって。
幸せだと、笑いながら生きるためにーー……。
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