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怠事
猫の手でも借りたい。
多忙を極める人がよく言う台詞だ。俺も今まで幾度となくぼやいてきた。
――が、実際に借りてしまった結果、俺は猛烈に後悔している。何故ならば。
「にゃー」
「……頼む、退いてくれ」
「にゃー」
「頼むから……」
ひっきりなしに耳元で聞こえる、にゃーにゃー声。しかも両耳だ。俺の両側で、2人の少女がにゃーにゃーと喚いているのだ。
そっくり同じ顔をした少女たちの頭には、ふわふわした白い猫耳。当然後ろでは尻尾も揺らめいている。たまたま出くわした野良猫を使い魔にしたのが間違いだった。
無論可愛いことは可愛い。だが、今は忙し過ぎる。正直こいつらを躾けている場合ではないのだ。それに弟妹などいない俺は小さい子供への免疫、もとい忍耐がないに等しい。どうしたらいいんだろうか。
頭を抱えた俺を責め立てるように、甲高い鳴き声が鼓膜を震わせる。目眩がしそうだ。
「師匠、お疲れ様でーす……うわあ……」
外回りから戻った弟子が、俺の惨状を目の当たりにして眉をひそめる。
「何してるんですか師匠、いくら疲れてるからって……」
「……おい、何か誤解してないか」
「いえ別に……」
胡散臭そうにこちらを見詰める弟子をきっと睨めつける。
「俺だってこうしたかったわけじゃないぞ、たまたまこいつらが道端にいて、使い魔にしてみたらたまたまメスだっただけだ」
「言い訳するなんて往生際が悪いですよ、しかもメスだなんて酷い言い方」
「事実だ……!」
何だか泣きたくなってくる。純粋に助手が欲しかっただけなのにどうしてこうなった。
というか猫の手を借りてしまった結果と言ったが、よく考えれば全く手助けされていない。全然手を借りられていない。寧ろストレスが倍増している。相変わらず響き渡る、にゃーにゃーにゃーにゃー……
「ああもう、何なんだ!」
我慢の限界を迎えた俺は、パチン、と指を鳴らして術を使う。途端に2人の少女は小さなメス猫へと姿を戻した。猫を使い魔にする人間が同僚に多いので大丈夫だろうと考えていたのに、とんだ誤算だ。まあどう見ても小猫なのに連れてきたのは自分なのだが、あの時の俺はどうかしていたに違いない。
「わあー、可愛いなあ、よしよし」
弟子はのんきに小猫を撫で始め、好き勝手じゃれている。いよいよ頭痛がしてきた。
「良かったなあ、師匠に拾ってもらえて」
「……やはり、自分で全部やるしかないのか」
それなりの立場には責任と重圧が伴うもの。自由気ままに事務所を構えている代償だ、腹をくくるしかない。他人、いや猫に頼ろうとしたのが浅はかだった。
嘆息した俺は諦めて大量の書類を並べ始めた。せっかく事務作業を手伝ってもらおうと考えていたのだが、叶いそうにない。
「おい、明日からは半月ほど出張になるからな」
商店、教会、民家、王城。考えるだけでぞっとする忙しさ。しかしこの時期は仕方ない。あちこちの監査が立て続けに必要になるためだ。毎年恒例の繁忙期。それにしても今年は群を抜いているが。
若干虚ろな目になる俺の耳に、弟子のあっけらかんとした返事が届く。
「はい、師匠!」
にこにこと笑うその足元では、猫たちが楽しそうに喉を鳴らしているのだった。
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