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サーカスの団員になりたい
「やめろ」
僕は思わず立ち上がった。スタッフが数名、駆けあがって来るのが見える。綱渡りの男性は、足を踏み外したものの、どうにか体勢を立て直し、渡り切った。僕は翔太がどうしても許せなかった。スタッフが彼の元に着く前に、僕は翔太に辿り着き、奴の胸ぐらを掴んでベンチシートに倒していた。
「なんだ、お前!」
倒れている翔太に怒鳴られ、僕は我に返った。
ーやばい、なんでこんなことしてしまったんだろうー
喧嘩なんてしたことがない。いつも一方的にやられるだけだ。殴られるのは慣れている。筈だったのだが、翔太に殴られた僕は、鼻を骨折する重傷を負った。その直後、翔太はサーカスのスタッフに取り押さえられ、外に出され、彼ら全員が出禁となった。
「大丈夫、朔、ねえ、大丈夫?」
愛用のダッフルコートとマフラーが血だらけになった。これでもかというほど、血が溢れ出た。身体から血がなくなり、死ぬんじゃないかと怖かった。
サーカスのスタッフの人に抱えられ、僕と芽衣は宣伝カーに乗せられ、病院に連れて行かれた。担任の先生は、どうしていたのだろうか、彼の記憶がない。
病院で処置を終えた頃に、母親がやってきた。
「では、わたしは」
母と入れ違いに、ずっと付き添っていてくれた芽衣が帰って行った。そういえば芽衣は、夕方の5時頃になると、いつも急ぎ足で帰って行くな。
1週間程、僕は学校を休んだ。外にも出なかった。これまで人前で殴られたり、蹴られたりしても、恥ずかしいと思ったことはないのに、今回は、恥辱を味わった気分だ。芽衣の前で恥ずかしかった。
久々に登校したが、彼らヤンキーメンバーは僕を、存在しない者として扱ってくれた。それでいい。関わり合いになりたくない。学校の帰り、お礼と謝罪の為にサーカスに寄ると、スタッフさんは、僕のことを覚えてくれていた。あたり前だ。あんな大騒動を起こしてしまったのだから。
「また観においで」
招待券を10枚もいただき、嬉しかった。
その週末、僕は招待券を持ってサーカスに行った。指定席は自分で払い、中央の真ん中の席を選んだ。
「ここがいちばんいい」
全てを見終わると、僕は事務所の戸を叩いた。
中から、いかつい男性が姿を表す。大柄でいかにもって感じの人だった。
「はい?」
話し方も大柄だ。
「あの、僕、サーカスに入りたいんです」
迷いはなかったので、すぐに言葉にできた。男性は、事務所の中にいる数名のスタッフに目をやり、首をかしげた。
「きみ、いくつ?」
「14歳です」
「中学生?」
「はい、2年です」
「じゃあ、卒業したら入りたいってこと?」
「あっ」
といって、僕は呆然とした。そうだ、義務教育中の中学生は就職できない。
「両親と良く話し合って」
ドアを閉められそうになり、僕は両手で抑えた。
「両親はいません。母親しかいません。僕の決心は変わらないんです」
この日を境に、僕はサーカスの残りの一か月間、毎日、通い続けることになる。
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