295人が本棚に入れています
本棚に追加
/47ページ
「隣、かまいませんか?」
喰い入るようにフライヤーを見つめていた時、不意に声を掛けられ顔を上げた。
そこにいたのは小学生くらいの男の子を連れた三人組の親子。断りを入れてきた母親のふわりと微笑んだその顔に、どこか見覚えがある気がした。
「あ、どうぞ」
俺と同じように後方入口近くの方が都合がいいのはまだ子供が小さいからなのか、前方にも少し席が残っている場内で敢えてここを希望してきた親子に言葉を返した俺に、その人は柔らかな笑顔のままペコリと頭を下げる。
「匠ちゃん。少しのあいだ静かに座っとける?」
たぶんまだこの子には退屈だろうこのトークイベントを前に、心配そうにする彼女の横から明るい声が返ってきた。
「うん。ママの知ってる人がお話しするんでしょ?」
「そうなの。眠たくなったら言ってね。帰りここのレストランのプリン買って帰ろうね」
聞こえてくる会話にえ? っと思った時、進行役の司会者が壇上に姿を見せ少し会場の照明が落ちた。
にわかに静かになった場内。
代わりにトクンと心臓が音を立てる。
専門学校を代表した数名の若い男女が並べられた椅子に座り、それぞれの自己紹介からイベントはスタートした。
その子たちと線対称の位置に椅子が三脚置かれてあって、たぶんそこに上の会場に展示されている作品のいくつかを生んだ人が座るのだろうことが分かる。
トクントクンと跳ねる心臓が少しずつ速くなる。
こちらは一人ひとり司会者に人物紹介をされながら舞台に上がり着席していく。
さすが新進気鋭の若手アーティストなだけあって、かなり独特なセンスの服装をしている男性がまず拍手で迎えられた。
トクントクンと鳴っていたはずの心臓がドクンドクンと音を変える。
次に姿を見せたのは奇抜な髪の色をした女性で、国籍不明に思えた。いや、それ以前に人間じゃなくてまるで人形みたいに見える。
すごい。やっぱりこの人たち住む世界が違う。
ドクンドクンドクンドクン――。
最後の一人が紹介される頃、これ以上ないほどの音をたてている心臓は壊れそうになっていた。コレもしかして止まるんじゃないのか?
俺、今息してるよね……?
上手く呼吸ができないほどに鼓動が速くなった時、司会者が彼の名前を呼んだ。
舞台の裾から広い歩幅で歩いてきた人。
最初の二人と違って、シンプルなデザインで控えめなモノトーンの細身のセットアップがスタイルの良さを際立たせている気がする。
俺の瞳に、幻ではなくその姿が映される。
ずっと……。
ずっとずっと逢いたくてたまらなかった人がそこに――……。
(――あ)
(――……動いてる)
緊張のあまりフリーズした俺の頭に一番最初に浮かんだこと。それはそんな当たり前のことだった。
高校二年のあの春の日に、俺の前に現れた明るい金色の髪をしていた彼。それはあまりに近寄りがたく、きっと自分とこの人は繋がることなどないと思っていた。
その髪は今シルバーアッシュに色を変え、再び目の前にある。本当に彼がいる。
勇が……。
ここにいる――……。
隣に座っていた男の子のささやく声が、俺のもとに小さく届いた。
「お母さん。お兄ちゃん泣いてる」
最初のコメントを投稿しよう!