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act.4 君のその声が届く時。
そこに勇がいるということがなんだか信じられないまま、俺にとっては夢を見ているようなどこか現実味のない時間が過ぎていった。
でもこういう業界を目指す若い人たちにはとても刺激のある催しだったらしく、止まらない質疑に予定時間をだいぶオーバーしてイベントは終了した。
参加アーティストが捌けた後、来場者も次々と席を立ち始める。
「すみません。……えと、これ――」
隣の男の子はやっぱり退屈だったのか、途中から母親の膝に頭を乗せて眠ってしまっていたようで、その子を起こすように優しく肩を揺すっていたその人に、俺は自分の手の中のハンカチをどうしたものかと戸惑いながら声をかけた。
「あ、気にしないで。そのままで大丈夫ですよ」
彼女は最初に声を掛けてきた時と同じ柔らかな笑顔で、こちらに向かって手を差し出しす。
三人のうち最後に呼ばれた彼が舞台に上がった時、込み上げた感情が堰を切ってあふれ出した。
長い空白の時間を越えてやっと姿を見ることができて、自分がいるこの空間と同じ場所に勇がいると思っただけでもう……。全然ダメだった。
壊れそうだった心臓は止まらなかったけど、気づいたら涙が止まらなくなってしまって……。
そんな俺の手元にスッと差し出された綺麗な模様のハンカチ。気を遣ってこちらを見ずに、隣の女性が黙ったままそれを渡してくれた。
(――ああ。……恥ずかしすぎる)
貸してくれた温かみのある絵柄のハンカチは、涙だけじゃなく確実に鼻水の被害にもあっていると思われ、それをそのまま返すのはどうしても気が引ける。
「……いや、でも」
手元にあるものとその人との間でためらうように視線が揺れ、口ごもってしまう。
そんな俺の様子に気付いたのか、彼女はまだ眠たそうに顔をあげた子供の髪を直してあげながらクスッと目許をほころばせると、
「じゃあよかったらそれ、どうぞ。何かのご縁ですし。……あ、女性物だからお母さまかお友達に使って頂ければ」
そう言って、そこにある模様のように温かい笑顔を見せてくれた。
その表情を見て、優しく包み込んでくれるような空気を持った素敵な人だと思った。掌のハンカチをそっと握りしめた時、先に席を立った夫と思われる男性に呼ばれ彼女も立ち上がる。
「ありがとうございます」
息子の手を引く父親の後に続いて会場を後にする後ろ姿に言葉を掛けると、最後にもう一度ニッコリと微笑んでくれた。
どこか少女のようなあどけなさを残すその人は、リカと名前を呼ばれていた。
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