act.1  あの日の恋心は今もなお。

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act.1  あの日の恋心は今もなお。

如月(きさらぎ)。明日部長出勤してくれるらしいから、部長決済のやつから優先的に俺に回して」  パーテーションの向こうから上司にそう指示され、手元にある案件を(さば)いていく。全然終わんないなと思いながら時計を見ると就業時間をだいぶ過ぎていた。 「あ、お前らもう帰っていいよ」  うちの部署に配属された、入社してまだ二年目の社員二人に先に退社するよう声を掛けた後、パソコンに向き直る。  忙しすぎて失念していた。自分の手元がはけたらさっさと帰ってしまいそうな年代にしては珍しく、たぶん声を掛けてくれるのを律儀に待っていただろう後輩がお先に失礼しますと遠慮がちに席を立つ。  その二人に軽く手を上げて答え、まだまだ大量に残っている案件を優先順位を考えながら検印にまわした。――って言っても、今はもうパソコン上のやり取りだから実際の書類にハンコを貰っているわけじゃないのに、未だにみんなそう言っているこの会社の慣習に気付けば俺も馴染んでしまっている。  大学卒業後、金融関係のこの会社に入社してもう今年で四年目。最初の一年は数ヶ月単位で色んな部署を経験させられるのが新入社員の通例らしいので、何やってたか分からないままあっという間に過ぎていったけど、融資案件を審査するこの部署に配属が決まって三年目になりだいぶ仕事も慣れてきたと思う。 「悪いな、残業付き合わせて。お前今日予定なかったか?」  同じく大量のデータと格闘している上司がついたて越しに顔を覗かせ、申し訳なさそうに俺を見た。 「全然大丈夫です。特に何もないですから」  明日から始まるゴールデンウィークを前に、明けにまた更に大量の仕事が持ち込まれることを予想してどの部署も手元を綺麗にしときたいらしく、まだだいぶ社員が残っているフロアを見まわし苦笑を洩らしながら言葉を返す。  そんな俺の返答に、入社から半年間指導員として俺の面倒を見てくれた先輩であり、今は俺の直の上司である上杉主任がさらに身を乗り出した。 「お前今年も連休予定ないのか? じゃあさ、釣り行かねえ? 釣り。部長に誘われてんだよ。二人とかマジで勘弁して欲しいわ。連休後半ヒマ?」 「……あ。――えっと」  チラッと部長席に視線を送りながら小声で聞いてきた主任の誘いにちょっと口ごもり、手元に視線を落として頭を下げる。 「すみません。今年はちょっと……」  大型連休なのだから予定があってもおかしくないし、別に言い淀む必要なんかないんだけれど、俺の鼓動はにわかにトクンと音を立てた。――……今年の連休は。  ふとパソコンのキーボードを叩く手が止まる。画面上のカーソルも止まったまま同じ場所で点滅している。  言葉を途切れさせた俺に気付き、上杉主任がボソッとつぶやいた。 「……如月にもとうとう女ができたか」 「――え!?」 「思いっきり “すぷりんぐ はず かむ” って顔に書いてあるぞ」  突然言われたことにビックリして動揺した手がそのままEnterキーを押してしまい、書きかけの稟議が変なところで改行されてしまう。慌ててBackSpaceを押すと今度は文字を消し過ぎてしまった。  自分の頬が完全に熱を持っていることが見なくても分かる。  そんな風に焦っている俺を興味深げに見ていた主任がへえーと口角を上げると、 「連休明け、いつもの居酒屋で報告会だな」  そう言って酒をあおるジェスチャーをしながらニヤリと笑った。
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