雪ん子の想い出

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わたしは傘をさして坂道をのぼっている。今はひとりで。  あの想い出の時とは違い、雪が静かに降っている。まわりの音を吸いとりながら落ちて、地面に消えている。  のぼりきると、懐かしい雪の野辺。まるでカップアイスのような。人は誰もいなかった。あたりまえだけど、雪ん子もいない。  ……そうだ。いるはずがない。わたしは雪ん子の想い出を消し去ってしまおうと、かけだした。あの時と同じように。すぐに、すべってころぶ。  またやってしまった。わたしには、よくころぶ悪い癖があるのだ。手を離れた傘が、すぐかたわらに転がっている。  ゆっくり上半身だけ起こすと――目の前には、雪ん子が立っていた。あの想い出とぜんぜん変わらない姿で。 (やっと来てくれたのね。ありがとう。ずっと待ってたのよ。この場所に来てくれないと、お引っ越しできないから)  なに? これ。想い出のつづき? (想い出……かな。ちがうよ。これは出会いだよ。あたしたちとの想い出は、これからつくってゆくんだよ)  あたしたち――いつの間にか雪ん子の後ろには、多くの雪ん子たちが、楽しそうに雪合戦をして遊んでいた。わたしは幻を見ているのだろうか。 (あたし、今はね、ゆかなって名前なの。結ぶ香りのおなっぱの菜。これからよろしくね)  結香菜は、いきなりわたしに抱きついてきた。雪ん子は冷たかった。わたしを抱きしめる強い力。耳につたわってくる息づかいの音。声はしないし、雪ん子の体からは匂いもしないけど、これはやっぱり現実。 「ちょっと待って。お引っ越しってどういうこと」 (あたしたち、これからあなたの心の中に引っ越すの。今住んでいる人はね、もうすぐ結婚するんだ。すごく幸せそうで、そろそろ限界。あなたが来てくれなかったら、お空の高いところまでいって、ふわふわしちゃうところだったの) 「……わたしの心の中って。どうして、わたしなの」 (あなたは、ひとりぼっちだから。ひとりぼっちを必死にがまんしてるから。そういう人の心の中にだけ、あたしたちは移り住んで生きることができる。そういう雪ん子なの。……さあ、遊ぼ。みんな、あなたを待ってるよ)  わたしは、結香菜に手を取られて、雪ん子たちの遊びに加わった。  それからわたしたちは、いっしょにいろんな雪遊びをした。雪投げ、雪かけ、手形遊び、だるまやウサギをつくったり。雪はいつの間にかやんでいた。  雪遊びの最中に、雪ん子たちはわたしに自己紹介をしてくれた。加奈留、湖都美、亜矢乃、真名花……。けれどちょっと多過ぎて、わたしは雪ん子たちの名前を、ほとんど覚えられなかった。みんな今風の名前だけど、時代に合わせて変えてるんだって、その子たちの誰かが言ってた。雪ん子たちは昔からずっと生きているらしい。  ……遊んでいるうちに、体が冷えてきた。手袋をしてこなかったので、わたしの両手は真っ赤になっていた。 (そろそろ帰る?)  結香菜の言葉に、わたしはうなずいた。 (じゃあ、またね。遊んでくれてありがと。あたしたちも疲れたから、もう眠るわ。あたしたちに会いたくなったら、ほんとうの雪があるところに行って、雪を触ってみてね。その時、起きてたら会えるから)  そう言うと結香菜は、すっと消えてしまった。ほかの雪ん子たちも次々に。  消えたといっても、わたしの心の中に入り込んだんだろうけど。たぶん。  ……残ったのは、白い野辺。でもそこには、さっきまでわたしたちが遊んでいた証拠に、たくさんの足あとや雪を掘った穴とかが残っていた。  胸に、ちりっとした痛み。わたしは、さみしさを感じていた。  でも、ここは雪国。また明日にでも会える。  わたしは、これから雪に触れるのが楽しみになるんだろう。雪を求めて、世界中を旅行するかもしれない。そのうちに、素敵な人にも出会えるような予感がした。わたしの前の宿主さんのように。  もうすぐ結婚するというその人も、かつてはひとりぼっちだったはず。  そんなことを考えながら、わたしはホテルに向かって、坂道をころばないように注意しながら下りて行った。 (了)
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