ヘッドホンとイヤホン

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「何聞いてんの?」 「…………」 「無視しないでほしいなぁ、同じクラスだろ?」  わざわざ駅のホームの一番端のベンチに座っているというのに、あたしに話しかけてきた声の主は、あたしのとなりにドサッと荷物をおいた。授業のとき以外はずっと耳につけているヘッドホン越しに間延びした声が届く。 「おーい、安茂里(あもり)さん。なーに聞いてるの?」  声の主のメガネ男子はあたしの目の前に立つと、わざとらしく手でメガホンをつくって、語りかけてきた。 「きーこーえーまーすーかー」 「何を聞いていたって良いでしょ、うるさい」  あたしは両耳を塞いでいたお気にのヘッドホンを外して首にかけた。冷気が耳孔に忍び込んできて寒い。 「いい加減、うっとうしいんですけど」  最近よく話しかけてくる男子、屋代(やしろ)くんに向けて、あたしは睨みを利かせた。性格が良くて友達が多くて、頭は良いけど、所詮は中学生っていう感じの男子だ。空気が読めないっていうか、人の気持ちがわからないっていうか……。  屋代くんは壊れたテープレコーダーみたいに同じセリフを繰り返した。 「やっと、答えてくれたね。で、何聞いてんの?」 「だーかーら、何だって良いでしょ」 「そうやって焦らされると、もっと知りたくなるじゃないか」  目の前の男の子はテレビドラマの探偵みたいに、自分の細い顎を撫でる。マフラーも手袋もしていない彼はとっても寒そうに見えた。顔も首も手も青白くて、吐く息の白さのほうがいくらか健康的に思えるくらいだ。それくらい、彼の服装は十二月に見合っていなかった。 「屋代くん……その格好、寒くないの?」 「なに、心配してくれんの?」 「違う」  彼と少しでもコミュニケーションを図ろうとしたあたしが馬鹿だった。外したばかりのヘッドホンをつけようとすると「ああ、待って待って!」と彼が制止してきた。  コホンと咳払いする屋代くん。 「寒いといえば寒いかもしれない。でもそれは寒いと思うからであって、寒くないと思えば寒くないのでは……」 「言いたいことはそれだけ?」 「おーっとまった」  またヘッドホンに手を伸ばすあたしと、両手を開いて動物を落ち着かせるような仕草を取る彼……ん?それじゃあ、あたしが動物みたいじゃん。  あたしはムッとして言った。 「言いたいことがあるなら早くしてよ。耳が寒いの」 「ごめんごめん。でも言いたいことはさっきからずっと言っているじゃないか」 「何を聞いているかってこと?」 「イエス、わかってんじゃん」 「なんでそんなことが知りたいの?」 「単純な興味さ」  屋代くんは気取ったようにメガネをクイッと上げた。でも、フレームの向こうの眉は真剣そうにひそめられた。 「安茂里さんについては知りたいことがたくさんあるんだ。教室でも電車でも登下校の時でも頑なにヘッドホンを外さない理由とか、いつもホームの端っこに一人で座っている理由とか、電車の時間を他の大勢の生徒とずらしている理由とか、学校で誰かと話しているところを見ない理由とか」  急にあたしの生活に関わることを口に出されてしまい、考えこむ。  たくさんある彼の知りたいことに比べれば、今聞いている音楽を教えたほうが面倒事を避けられるのではないか。パパっと教えたきり、また無視をすれば良いのだ。無視を続ければ、折れてすぐに話しかけてこなくなる。いつだってそうだった。そのまま三月まで、これまでと同じように耐えていればいい。そうすれば、全部リセット、辛いことも嫌なことも。  でも、待てよ。  こういうお節介さんは、一つでも腹の中を明かしてしまえば、こちらが気を許したと勘違いして、さらにズケズケとあたしの領域に踏み込んでくるに違いない。これまでだって何度も同じような事があった。そして、その度に裏切られたり、見捨てられたりした。だから無視を決め込んだほうが絶対にいい。あたしがあたしを守るためにも、そして屋代くんが無駄骨を折らないためにも。  あれ……でも、あたしはヘッドホンを外してしまった……。  なんで、彼の声掛けに応じる素振りを見せてしまったのだろう。  なんで……。 「教えてくれないなら、先に可能性を潰しておこうか」  いつのまにか隣に腰を下ろした屋代くんがこちらをじっと見て言った。メガネの奥の黒い瞳があたしの心の奥の方まで見据えている気がして、やや身を反らしてしまう。  屋代くんは決めていたセリフを再生するように、流暢に言葉を発した。 「まず安茂里さんがずっとヘッドホンを付けている理由、それは周りの人間が言っていることを聞きたくないからだろう?聞かなければ言われていないのと同じだし、知らなければ責任を取る必要もない。無関心を装って壁を張って、傷つかないようにしているんだ。いいや多分、傷ついているのを悟られないようにしているんだ。ヘッドホンは耳を塞いでいることの明らかなアピール、要するに自分一人の世界に籠もっている証拠だからね」  イヤホンとかよりもいささか攻撃的なアピールだねぇ、と屋代くんは一人で頷く。 「……つまり、何が言いたいの?」  あたしは半分くらい図星を付かれてしまって、取り繕うのも忘れて、続きを促してしまった。自分の行動を言葉に起こされるのは、なんだかむず痒くて、タイツを履いた膝をすり合わせた。  屋代くんはそれまであたしの方を見ていたのに、急に正面の暗闇に目を向けてしまった。夕方は完全に夜に変わり、中学生はもう家にいる時間だった。しばらく、夜に焦点をあわせていた彼は、不意に優しい口調で言った。 「つまりね、安茂里さんはそのヘッドホンで何も聞いていないんじゃないか、そう言いたいわけなんだよ。周りと壁をつくっているアピールなら、何も聞く必要はないからね。第一、僕の問いかけに、何聞いていたって良いでしょ、と答えたじゃないか」 「ええと……残念でした」 「ええ!僕の推理間違ってたぁ!?」  さっきまでの落ち着いた雰囲気が嘘みたい。  屋代くんは慌てたように立ち上がって、耳を真っ赤にしてうろたえたのだ。その様子が馬鹿らしくて、少し笑ってしまった。この人になら、少しだけ打ち明けても良いのではないか、と思ってしまった。 「屋代くんの推理はだいたい合ってるよ。周りと壁を作っているのは本当。そのためにヘッドホンをしているのも合ってる」 「理由としては、友達関係がうまくいっていないってところか。あの人達をみると」  屋代くんはあたしの周囲にいた人物を思い浮かべたのか、妙に苦い顔をした。 「ああいう陰湿なのって僕は嫌いだね」 「嫌いって言うくせに皆なにもしないんだから」 「それ……ええと……」  屋代くんはしゅんと口ごもって小さくなる。あたしはボソリと言った。 「ごめん、八つ当たりした。悪いのは彼女たちだけど、声が大きい人はいつだって正義になっちゃうからさ。みんなが関わりたくないのはわかるよ」  話題を戻さなきゃって思って「で、音楽の話なんだけど」と明るい声色で続けた。 「あたし、音楽は聞いているんだよ、いつも小さい音でね」  見た目によらず遮音性が低いんだよ、と伝えると、屋代くんは頭を抱えて残念がる。 「ああ、そうなのかぁ。だいたいこういうのって、壁を作ったふりして、聞き耳を立てているっていうのが、よくあるオチだと思うんだけどなぁ」 「もしかして、あたしのこと推理小説の犯人か、コントのネタか何かと思ってない?」  滅相もない!と言い張る屋代くんの耳が、さっきにまして赤くなっているのを見て、あたしはまた笑ってしまった。 「で、何を聞いているかは教えてくれないの?」 「ここまで来たら教えてあげたいのは山々だけど……」  曲名とかを口に出して伝えるのはなんだかはばかられる。今どきの女子は絶対にこんなものを聞いていないから、言っただけじゃわかってもらえない。それに、きっと引かれる。当たり障りないものを教えてもいいけど……それはなんだか違う気がする。  かと言って、直接聞かせるわけにもいかない。  起きている時は大抵つけたままにしているヘッドホン。汗とか涙とかが染み込んでいて、多分臭い。手入れはこまめにしてきれいな状態を保ってはいるけど、こんなものを他人に、まして男子に渡すなんてできない。正直……恥ずかしい。 「なるほど、そのヘッドホンは大事なものなんだね」  屋代くんはそう言うと、制服のポケットをガサゴソと探り、コードの細いイヤホンを手渡してきた。 「これつなげて、聞かせてよ」 「わ、わかった。でも、変とか言わないでよ」  渡されたイヤホンをスマホのジャックにつないで、彼が耳に付けるのを待つ。 「よし来い!」  腕を組んで構える屋代くんの耳にはあたしのスマホにつながったイヤホン。 「ああぁ、ええいままよぉ!」  あたしは再生ボタンを押した。  右向きの三角が平行な二本線に変わり、曲が流れ出す。  しばらくすると、屋代くんはあたしから顔をそむけてしまった。そうして、何かをこらえるように肩をプルプルと揺らし始めた。 「もしかして、笑っているでしょ!」 「いひ、いいや。ちょっと寒くてね。エヘへ。震えが堪えられないだけでぇへへ」 「さっき寒くないって言ったじゃん!」  恥ずかしくて、顔が熱い。きっと真っ赤になっている。後ろから見える屋代くんの耳と同じくらいに。  一曲流し終わると、屋代くんはエネルギーを一気に放出するみたいに、こらえていた笑いを吐き出した。涙まで流して、相当愉快らしい……。 「い、いやぁ、まさか演歌を聞いているとは思わなかったなぁ」そう言って屋代くんはまた笑う。 「だから教えたくなかったんだってば。でも、勘違いしないでほしいのは、あたしの趣味じゃなくて、おばあちゃんの趣味だからね」 「でも聞いているんだろ?」 「たまにだし。周りに人がいる時は流行りの曲とかクラシックだし」 「じゃあなんでそっちを聞かせてくれなかったわけ?」 「いや……その……」  あたしが黙り込んでいると、なぜか屋代くんは顔を耳と同じくらいに赤くしてしまった。  何か口に出そうと考えているうちに、屋代くんが乗る電車がやってきてしまった。二両編成の車両は人のまばらなホームの真ん中あたりに停車した。 「帰らないと」屋代くんはそう言って、イヤホンを落とすように耳から外すと、急いで荷物をもって、電車の乗車口へ走っていってしまった。ホームの端からは少し距離があった。  小さくなっていく後ろ姿を呆然と眺めていると、乗車口のところで彼は急に振り返った。 「ああそうだ」  電車に片足を乗せた屋代くんは口早に言った。 「携帯電話が禁止されていない自由な中学校で本当によかったね!普通の学校だったら、周囲に壁を張るためにダサい耳あてをすることになっただろうからね。可愛い子にがダサい格好をするなんてもったいないよね!それじゃあ!」 「か、かわ……いい?てか、そもそもこんな学校とクラスじゃなきゃあたしは……」  あたしがことばを返す前に、彼は電車に乗り込んでしまった。そのわずかあとに電車のドアはプシュと締まり、ゆっくりと加速し始めた車体は、赤いランプの光を暗闇に残しながら、ガタゴトと遠ざかっていってしまった。  急にしんとするホーム。ヘッドホンを外した世界は柔らかな静かさが漂っていた。  ふと、握っていた手の中を見ると、屋代くんのイヤホンがあった。どうやら、せっかちでお節介な彼は忘れ物をしていったらしい。  手元に残された屋代くんのイヤホンをどうするか、決めあぐねた挙げ句、あたしは意を決して耳につけてみることにした。  手の中にあったのにイヤーピースはひんやりしていて、耳の穴にはめる時に体がブルッと震えてしまった。彼のイヤホンはあたしの耳にピッタリとフィットした。  思い切って再生。  彼のイヤホンから聞こえてくる音は、あたしのヘッドホンよりも力強くて、すこし、うるさいくらいだった。でも、わざわざ音量を下げるまでの不快さはない。不思議な心地よさだった。  自分が乗る電車が来るまでの間、あたしは指先でイヤホンとヘッドホンのコードをずっと弄っていた。絡まったコードは解くのに苦労しそうに見える。  彼の志望高校はどこなんだろうか。十中八九あたしとは違う。でも、3月の卒業までは、多少楽しく過ごせるかもしれない。  あたしは白い息をふうと吐いた。遠くから踏切の音が響いてくる。  いくら高い壁を立てたって、どこからか繋がる線は必ずあるんだな。そう思った。
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