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 夕焼けが鮮やかに輝きを放つ放課後。図書委員の早川(はやかわ)耕史(こうじ)成田(なりた)綾音(あやね)は、返却された本を棚に戻す作業を手伝っていた。  黙々と、でも楽しそうに作業をする成田を見て、早川は思わず吹き出した。 「成田って本当に不思議ちゃんだよな」  突然話しかけられたものだから、成田は驚いたように目を見開いて早川の顔を見る。 「えっ、そ、そうなの⁈」 「自覚なし? クラスでは群れないで、ずっと電車の本ばっか見てるし」 「……鉄道オタクなの」 「あはは、知ってる。何が一番好きなの?」 「ラピート」 「……知らねえし。しかもピアノめちゃくちゃ上手いんだろ?」 「……まあまそれしか得意なことがなくて……」  困ったように笑うと、スッと顔を逸らす。こういう会話に慣れていないのが伝わってくる。 「ねぇ、音大受けるって本当?」 「……なんで知ってるの?」 「前にお前が担任と話しているのを聞いちゃったんだ」  成田はしばらく黙ってから、何かを思い出したかのように笑顔になる。 「確かに! 前に先生と話している時に、早川くんが日誌持ってきた! あの時かぁ」 「よく覚えてたな。ってか、入試っていつなわけ?」 「実は明後日なの。今からドキドキ」  成田が苦笑いをすると、早川が慌てて成田の手から本を取り上げる。 「おいおい! 入試でピアノ弾くんだろ⁈ こんな重い物を持ったりしたらヤバイって!」 「えっ……そんな大袈裟な……」  その時だった。 「あっ、早川みっけ」  棚の影から、早川と同じ剣道部の長山(ながやま)が顔を出す。 「もう終わる? なんか来月の練習試合のことで聞きたいことがあるって、先生が探してた」 「でもまだ途中で……」 「大丈夫だよ、早川くん。ほら、もう重たい本もないし、私一人で平気だから行ってきなよ」  成田は笑顔で促そうとしてくるし、長山は急かすし、早川はどうすべきか迷う。それから何を思ったか、本に挟まっていた返却日の記された紙を引き抜くと、自分の携帯の番号を記入して成田の手に握らせる。 「すぐに行って帰ってくるから。でももし何かあったらすぐに俺を呼べよ」 「あはは、何かって何?」 「まぁそれはわからないけど。とりあえずすぐに戻るから、無理はするなよ!」 「うん、わかった」  成田に見送られ図書室を後にした早川だったが、話を終えて戻った時には、本はしっかり棚に戻され、成田の姿はなかった。  電話もなかったし、何事もなく終わったんだろうな。当たり前なんだけど、少し寂しかった。  そしてふと、彼女の指に触れた感触を思い出し胸が高鳴る。あんな細い指でピアノを弾くんだもんな……すごいよ……。  早川はため息をつくと、昇降口に向かって歩き出した。  それから数日後、早川のスマホに見知らぬ人物からのメッセージが届いた。 『合格したよ。ありがとう。早川くんを呼ぶ必要はなかったみたい』  それだけで成田からだとわかる。早川はほくそ笑むと、晴れやかな気持ちになった。  あれから十年経った今でも、甘酸っぱい記憶として早川の心から消えることはなかった。
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