16人が本棚に入れています
本棚に追加
友哉もゆっくりと足を進め、あかりの前の、自分の席の椅子を跨いで後ろ向きに座る。
「なぁ、なんで急に俺達と話す気になったんだ?」
花びらをくすぐっている杏璃の横顔に話しかける。
杏璃は聞かれるとわかっていたのだろう。友哉の目を見て口角を上げた。
「私ね、もう、子供を卒業しようと思って」
「?」
予想に無い答えに首を傾げたけ友哉を見ながら、杏璃は片側の髪を耳にかけ、続ける。
「ねぇ、友哉。知ってる? マーガレットって、夏は本当は咲けないの。でもね、それをなんとかしてみたくて園芸部で研究を重ねて来たの。夏休み中も部室で温度や光の管理をして……やっと、このひと鉢の一本だけが咲いたのよ。綺麗でしょ?」
「うん。杏璃は植物を育てるのが上手かったもんな……けど、それならあの時、あかりが摘んだのはなんの花……」
言いかけて、すぐに口をつぐんだが、杏璃にとってはタブーではないのか、嬉しそうに笑った。
「友哉、覚えてたんだ。あれはね、多分マーガレットじゃなくてフランスギクって言う野生の外来種だったんだと思う。でも私にはあれはマーガレットで……だから、これ、あかりに見せたくて。あの時せっかくくれたのに、池に置いてきてしまったから」
「……あかりは忘れてるかも」
我ながら意地悪だな、と思った。すっかり大人になれたと思っていたのに、この期に及んで友哉の胸の中には小さな嫉妬心が芽生えている。
「いいのよ。ただ、成し遂げられないことを成し遂げられたら、自分が変われる気がしたの。あの日、あの場から逃げたままだった幼い私を卒業して、あかりにこの花を……」
言い終わる前に、杏璃は再びあかりを見た。
「……ね、見て。夕陽があかりに差して、すごく綺麗」
いつの間にか、教室の窓から見える空は夕焼け空になっている。湿度が高い日が続いた為もあってか、空に広がった雲は紫と赤に染まっていた。
窓際で眠るあかりは入りゆく陽に照らされて、細い髪にも長袖の白いシャツにもその光が溶け込んでいるようだった。
突然、杏璃は鉢の中のマーガレットの茎をぷちり、と手折った。そして椅子から立ち上がり、それを眠っているあかりの髪にそっと挿す。
「起こすのかわいそうだから今日はこれで帰るね。あかり、いつ花に気づくかな?」
友哉に聞いているようで、独り言のようでもあった。
あかりが伏している机のそばにいる杏璃の横顔は髪に隠れていて、友哉からは表情も見えない。このまま杏璃が帰ってしまったら、あの日のように杏璃を見失う気がした。
最初のコメントを投稿しよう!