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私の卒業式がこれから始まる。高校時代は楽しかった。その学校での卒業式なんてもう終わって帰宅の時間になっている。
あちらこちらで別れの言葉や楽しい騒ぎが起こって、時には告白なんて人も見られる。私もその一員となるつもり。
これから私は自分の恋から卒業しようと思っている。
相手は野球部のピッチャー。中学が一緒でその頃は学校のエースとして頑張っていた。けれど、野球の強豪校に進んだ彼は控えの投手として試合に出られない事もよくあった。
それでも諦めない姿を見て私は深く彼の事を愛してしまった。もちろん中学の時から好きだったのは間違いない。この高校を選んだのだって、彼が居るからで難しい受験に合格した時はうれしかった。
自分がストーカー的な人間だというのは解っている。容姿だって不釣り合いだからこの六年間告白なんてできるはずもなかった。それでも私は彼の傍にいたくて野球部のマネージャーになっていた。
しかし、それだってさすが強豪校なので大勢いるなかのひとコマにしか過ぎない。彼とは同じ中学だったけれど、話せる機会なんてそうなくて、業務連絡みたいなことを話したくらいに過ぎない。それでも私はよかった。
そんな喜びも終わってしまう。卒業したら彼は野球の強い大学に進む。もちろん追いかける様に私も受験をしたけれど、今度は学力が彼の傍にいる事を許さなかった。
だからもうこんな恋に終わりを付けようとしている。告白はするけれど、それが報われる事なんてない。
元々彼は野球が好きで恋なんかをしている暇はないと語っていた。それは野球部での会話を聞いたから知っているんだ。
「恋をすれば野球も上手くなるくらいの事だってたしかに有る」
私が汚れた練習着を洗濯機に入れていた時に休憩している部員の声が聞こえた。「おかしな事を言うんだな」とつぶやいてからその一団を見たんだけど、そこには彼の姿もあった。
「どういうことだよ」
「訳がわからんことを言うな」
他の部員たちが騒いでるが、彼は黙って愛想笑いをしている。そんな姿と会話に私は耳を澄ませていた。
「だから、試合に彼女とか好きな人が応援に来てくれたら頑張れるんだって」
「一理あるかも」
「緊張して空回りも有るかもよ」
馬鹿な話をしているなと思いながらも私は彼の想いが気になっていた。
「それでも彼女が居ればな」
話を始めた部員からの言葉に皆が同意していた。彼を残して。
そんな事だったから、彼に肩を組んで「お前はどうなんだよ」という人間が現れる。「ナイスアシスト」と私はまたつぶやいていた。そして彼の言葉に集中する。
「取り合えず、俺はまだ野球の事だけを考えてるから、そこまでの余裕はないな」
確かにそうかもしれない。ハッキリ言うとどこもそうなのかもしれないが、野球部の練習量なんて暇なんてない。ずっとトレーニングをして身体を動かし、休みなんてなかった。真面目な人はそれに自主練も付けているからなおさらだ。
そして、私の意中の彼はとても真面目に野球に打ち込んでいる。一応マネージャーとして自主練習の量も資料にしているから、彼の練習量がどのくらいなのかは知っていた。それは毎日野球以外の時間なんてなくて休みもない。
「じゃあ、お前は彼女いらないのかよー」
また私の聞きたい事を話している。この部員にはお礼が言いたいくらいだ。
「そうだな。好きな人はいるけど、付き合うことは今のところはないかな。多分野球を続けている限り」
ショックな言葉でもあった。どう間違えても私が彼に付き合える事はないということだ。そして彼には好きな人がいる。多分私なんかじゃない。
これが彼の恋愛事情を知った時の事だった。だから私はこれから告白をするけれど、それは彼の事が好きだったと明かすだけで、付き合うなんて事を目的にしてない。
言うならこれを区切りにして彼の事を忘れようとすることだった。
「ホラ! 急がないと彼帰っちゃうよ。ホントに野球バカなんだから、また練習するんでしょ」
これを言うのは私の小学校からずっと一緒の親友で、もちろんそんな付き合いだから私の彼への想いも知っている。そして、今日告白するということも伝えている。
だけど、それは簡単に「告白」だけを言っているので、彼女は私が彼からの卒業をしようとしているなんて知らないから応援してくれてるんだ。多分それを伝えたら彼女は付き合えるようにおせっかいを焼くだろうから。
そして彼は卒業式の今を楽しみながらもはしゃいでこれから遊ぼうという人間からの誘いを断っている。恐らくは彼女の予想通りだ。
彼は野球バカ。それは私だって認めている。でも、そんな彼が好きなんだ。
「ちょっと、待って。やっぱり告白やめようかな」
「なんでなのさ? やっと想いを告げる決心をしたんでしょ。それは勇敢なことだよ」
「だけど、振られるのがわかってるのに」
「どうなるかなんて世界の支配者が居たとしても解らないよ。人間の心なんて話してみないとわからんのでな」
面白い話し方をする彼女なんだけど、いつもその言葉には説得力はある。それでも私は彼を忘れる事を恐れていた。
「断られるって」
だから彼女には言えないが断られるのが怖いと言い、まだ彼の事を慕う生活に戻ろうかと迷った。
「そう逃げてプラスになる訳? 前に進まないといつまでも未来は無いよ」
またおかしな説得力がある。確かに私が彼の事を忘れようと思ったのは未来に向けて進みたいから。彼氏が欲しい訳ではない。取り合えず今の苦しい状況から前に進みたかったんだ。
「わかった。取り合えず、告白はする。骨は拾ってね」
「ガッテン。なんなら援護いたしますよ」
「それは遠慮しておく」
彼女はやはり私の事を応援してくれている。けれど、それは彼にとっては迷惑な事になるのだろう。それは私にとって良い事とは言えない。
楽しそうにしている空間で怖い顔をしているだろう私が進んでいた。みんなが喜び悲しみそれぞれの想いを抱いているところを、複雑な思いで進み彼に向っていた。
彼だって楽しそうにしている。見知った野球部の面子と談笑をしている。声が届かなくてもまあ野球の話をしているくらいの事が分かった。彼が子供のような楽しそうな顔をしているから。
彼は本当に野球が好きで、野球に関係している時は子供になってしまう。素敵だ。
「おっと、なんか用事?」
もちろん部員たちは私の事も知っているのでその集団に近づいたら、気づいた人間が聞いていた。
でも、私はそんな言葉も聞こえてなくて、ただもう見れなくなる彼の姿を見つめ、これから告白をして別れを告げようとしていたのだ。
「俺、に用事?」
ちょっと困惑している彼の表情が近くにあった。
私が黙って彼の前まで近づいたから驚いているんだろう。でも、言葉なんて私は忘れていたから、黙って近づくしかなかったんだ。
「ちょっと、話が有ります」
慌てた私はこの世界に彼と二人きりのような気がしていたけれど、ちゃんとほかの部員たちもいて「告白か?」なんて声もどこか遠くの風の音のような気がしていた。
「私は貴方のことが好きだした。それはもうこんなところまで追いかけてしまうくらいに。それでも終わりにします。迷惑はかけません。聞いてくれてありがとう。さようなら」
取り合えず話せた言葉を悲しいながらに綴って、一息ですべて話してしまった。そして、私は言い終わるとすぐに逃げた。くるっと反転すると、その場に居られなくなって走り始めた。
騒めいているところから段々と遠ざかるとなんの音も聞こえなくなって、ついには私の走っている足音だけになってしまった。だけど、そんな音のない世界に違う音が鳴る。
「ちょっと、待ってよ」
彼の声と一緒に私の腕が掴まれた。
振り返ると、そこには私を追いかけてくれた彼の姿が有った。困っている雰囲気ではなくて、にこやかだ。それを見ると私の心はやすらいだ。
「なんで逃げなきゃダメなんだよ。それにあんな言い方しなくても」
そう言いながら彼は私の頬に落ちている涙をハンカチで「洗濯してキレイだから」と言いながら拭いてくれていた。
「優しくしないでよ。私の恋なんて叶わないことはわかってるから。もう貴方のことは忘れることにしたんだよ」
強く言い返そうとしているのに、私の中の私がそれを拒んで涙を流して言葉を詰まらせた。
「そんな風に言わないでよ。俺も君の事が好きなんだから」
少し照れたように彼が語っているその言葉を聞いた瞬間に、私は彼の顔を見上げた。涙で霞んだ向こう側にはにかんだ素敵な笑顔があった。
「だけどごめん。俺はもうちょっと野球に必死になりたいんだ。ほんとは付き合えたら良いけど、今は君を悲しませることになる。それは望まない」
「うん。ありがと。嘘でも嬉しいよ」
「嘘なんかじゃない。じゃあ、こうしよう。四年、大学を卒業するまで。それまでもし君が僕の事を好きと想ってくれるなら、またこの木の横で会おうよ」
彼が横にある木を見上げていた。この高校で一番古いずっと昔からあって、生徒が昼休みなんかに集まるところだ。
「待つ。嘘じゃないなら、そのくらいは待つよ。ずっとこれからも好きだから」
まだ彼の優しい嘘なんじゃないかと思いながらも私は、彼の言うことにかけてみる気がしていた。
彼の事を忘れてしまおうと思ったあの時、もう四年が過ぎてしまった。私たちの年齢なら長いかもしれないその時間だったけれど、そんな風に思ったことはない。そして、私はまだ彼の事が好きだった。
どうにか彼の時々の事を知れてその度にまた恋に落ちていた。
あの時の木はまだ青々と葉をつけて優しい光に包まれて佇んでいる。彼は現れないかもしれない。私はそれでも良かった。また四年間の夢が見れたのだから。
待つと宣言した以上私は今日を待ち続けていた。卒業式の翌日に約束して、時間までは聞かなかった。だから、残りの時間をまた待っている。待ちぼうけになるかもしれないけれど。
「会えたらどうしようかな」
ふわりと呟きながら待っていると私のほうへ足音が近づいていてそれは幸せなのかはわからないけれど待った意味が有る。
おわり
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