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〈episode1〉
2042年8月24日。「申し訳ありませんでした。」ここで働いてから5年。店長に頭を下げている。今日は遅刻。目覚ましの電池が切れていたんだから、しょうがない。毎日、毎日。俺がやることなんて品出しを黙々と進めることぐらいで、レジに立つのは店長や新人の女の子だ。俺は、笑顔ができないからと、1日で落とされた。昔からそうやって損をする。まあ、楽だからいいんだけど。休憩を挟みつつ、午後の仕事もやっと終わり。
「お先、失礼します。」いつも無反応の店長に珍しく、声をかけられた。
「杉崎、明日頑張れよ。今までまでありがとう。」そう、今日は最後の日だった。「こちらこそ、ありがとございました。」深々とお辞儀。感謝するのもされるのも、久しぶりで照れ臭い。
電車の音だったり、蒸し暑い風。外に出れば、店の中では気づかなかったものが一気に飛び込んでくる。夕方の駅前、人混みの中で同い年くらいの男を見つけた。俯き加減のあいつは蝉の鳴き声にも夕日にもきっと気づいてないんだろう。
「フリーターも社会には必要さ」酒を飲むだけの関係で成り立つおっさんの言葉が頭によぎる。今日は久しぶりに居酒屋によってこうか。集団から一人に。歓楽街の路地裏からは、うぉぉという謎の奇声が聞こえる。
あともう少し。焼き鳥の匂いと夜がだんだんと近づいてきた。
〈episode2〉
2037年8月25日。俺はまだ30代半ばで、土木作業員として働いていた。ちょうど今日から5年前の話。つまりあのゲームが行われた日のことだ。
全てのものが白い部屋。後方には台が三つ。ばかでかいスクリーンの前には沢山の人が集まっている。スーツ姿の男やホステス風の女、はたまたバンドマンも客観的に見れば少し異様な光景が広がる。そろそろ三時。空いている席を探して座ると、ジジジ、嫌な音がしてから、スクリーンに猫のイラストが映し出された。
「こんにちは、こちらは人間浄化委員会。どうぞよろしく。」耳障りな声。「これは人生をかけたゲーム。残念だけど、皆さんは駒でしかない。サイコロ一つ、それがあなた達の価値。。幸運をGood lack!」顔も知らない女の甲高い笑い声が響いて、スクリーンは再び真っ暗に。会場中が静まりかえる。圧倒的な強者に何もかも押しつぶされていく感覚に誰もが下を向いたその時、どこかで叫ばれた声。「お前らなんかに人生決められてたまるか。」わずかの沈黙から、あっという間に輪が広がっていく。そうだ、俺たちは・・・。思い思いに人々が叫び熱気に包まれていく部屋で、役人達は平静を保って、突っ立っている。なぜ止めない?暴走する連中の中で一人感じる不安。予感はすぐに的中した。
「排除を開始してください。」スピーカから流れた声を合図に騒ぎ声が悲鳴に変わった。一瞬。後ろを振り向くと、誰かが覆面の男達に引きずられ、通路に消えていった。遠すぎて性別すらわからなかったが、確かに人間だった。
「何年か前にも同じのを見たことあるんだ。委員会にはむかうなんて、馬鹿な奴らだよな。全く、どこに連れてかれんのかな。」自慢げに話すバカな男。みんなわかっていて黙っているだけなのに、女の苦笑いすら気づいてない。
隣を見ている間にか、前には仮面の男がいた。「先ほどは不都合が生じ、申し訳ありませんでした。」今、現実として人の命が「不都合」一言で済ませられてしまう。残酷だ、とでも言って涙を流せば、よっぽど楽なのに悲しみさえ出てこなかった。
説明が始まる。「ルールは至ってシンプルなもの。まずはサイコロを振り、出た目だけ自分の駒を進める。」スクリーンには駒とゲーム盤が映し出された。「そして、止まったマスに書かれた運命に従って生きていただく。いわゆる人生ゲームの類です。台は三つ、用意しております。お好きな台にお並びください。これよりゲーム開始です。」スピーカから鐘の音。ニヤリと笑う男を一度だけ睨んでから、真ん中の台へと一直線に進む。どうせ結果は同じ。迷いは無かった。人数が少ないこともあって、列はまだ15人ほど。すぐに自分の番が回ってくる。こんなものさえなければ。ため息を吐くと、手のひらに汗が滲む。「早くしてください。」狐目の女の放った言葉で、たった10秒で決められる俺の人生を再認識。情けなくてしょうがなかった。力無くこぼれたたサイコロは、三回転してやっと止まる。5の目。今年もバイト。変わりばえしない背中の後ろで次々と人生が決められていく。俺には下を向く人間の中で、スキップをする日は一生来ないんだろう。次は40歳。今日もメールボックスにはイタズラメールばかりで、大切な人からのメールは届かない。この役立たず。心の中で呟いた。
〈episode3〉
2042年8月25日。家にはラジオが流れ、コーヒーに一つ角砂糖を落とす。久しぶりの朝。誕生日くらいいいだろう。ゲームは2時からか。テレビ画面にアナウンサーが映ると、ラジオを切った。ニュースは気楽でいい。どんなことがあったって、傍観者でいられるから。大抵流れるのは地震、不倫、横領ばかりだけど。おっと、コーヒーがなくなった。ポットを持ってこないと。
昨夜未明、斉藤一樹さんが行方不明になり、警察は・・・。カップがもう一度空っぽになった時、そんなニュースが流れた。聞き慣れ名前に振り返ると映された写真にはピースをつくって笑う男。紛れもなく斎藤だった。これから由美を幸せにするって、1週間前に話してたばっかりなのに。5年前のことが浮かぶ。引きずられていく人々、ざわめく部屋と暗い通路。もしかしたら。玄関で適当な靴をつっかけて、走る。ドアに鍵かけたっけ、体は火照って急ぐのに、心は異常なくらい、いつも通り。これから幸せになるんだろ。お前には沢山借りがあるんだ。生きてろよ。白い塔はもうすぐそこに。通路を抜ければあの部屋がある。何百人もの人混みを押しのけていく。どん、どん、どん。誰かにぶつかったってどうでもよくなった。
「斎藤はどうした。」思いっきり叫ぶと「知りませんね。」と黒いマントを揺らして答える。「人生に死は付き物だ。今日はあなたの番。さあ、サイコロを振ってごらんなさい。」あいつは笑ってそう言った。
―私達はサイコロを振っている。今日も明日も来年も。
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