遅延電車

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 駅のホームで、男性が飛び降り自殺をしようとしているらしい。迷惑だと思いつつ傍観していると、近くにいた女性が男性を止めようとし、振り払った拍子に転けて手足怪我して警察沙汰。当然のように電車は止まり、仕方なく会社に連絡を入れようとすると、同じように電話をするため一時駅の隅にきた人に「大変でしたね」と言われた。 「まったくですよ。人身事故未満の理由で電車が止まるなんて、お節介な人もいたものだ」 「おや、貴方はそういうタイプなんですね」 「貴方も似たようなものでしょう。挙動不審の男を見て、少しめんどくさそうな顔をしていましたよね」 「見られていたとは」 「目があったくせにいけしゃあしゃあと」  ここが喫煙所であったならば、一緒に煙草でも吸っていたかもしれない。アメリカで吸った分厚い葉巻がいい。彼が好むかは知らないが。 「復旧まで三十分かかるとのことです」  スマホアプリを開いて遅延届をスクリーンショットする。ついでに同じ画像を彼のスマホにも送っておいた。 「それなら朝食をしっかり食べてきた方がよかった」 「のど飴ならありますよ」 「ありがたいですが、自販機の簡易栄養食を買うので」  ちらりとそちらを見ると、今二、三人が赤い自販機の前に並んでいた。三十分後もあるのだから、後で行っても十分間に合う。 「失礼ですが、そちらは営業職ですか?」  のど飴から発想したらしい。顔色を見るに、興味があるのではなく、単に暇つぶしに会話をしたいだけのようだった。 「いえ、残念ながら。不出来な部下を頻繁に叱れば喉を傷めてしまうもので」 「ああ、それは、ご愁傷さまです」  哀れみの混じった声に、彼も同類らしいと推察する。いらないと言われたのど飴をひとつ、押しつけておいた。 「そういえば、あの男性の自殺未遂の理由は調べました?」と、いつのまに買ったのやら栄養補助食品の袋を片手に、もう片手にスマホを開いた彼が尋ねる。 「見ました。最近のネットニュースは耳が早い」 「その分正確性は劣りますけどね。今回のも、どこからの情報かは知りませんが、『永遠に生きるために死ぬ』と話しているのは妙にリアルで面白いです」  さすがに、概ね同意です、とは言わないでおく。代わりに、 「カルト集団にでも入っていたんでしょうかね……」と伝わりづらい協調を込める。 「その線が高そうですね。我々は皆『永遠に死ぬために生き』ているようなものですから、生と死の同一性を根拠に反転させたというのなら、私も共感できる気がします」  めちゃくちゃな理論だが、わからないこともないため、頷いておく。生命に関する部分は未だ境界があやふやであり、それ故カルト集団なども出鱈目な理論の根拠を科学に求めることになる。研究するのは立派だが、中途半端に公表された尤もらしい事実は何も知らない一般人にとってただの毒だ。 「言葉遊びされるような科学なら、ない方がいい」 「それは、私の言った『生と死の同一性』に対する貴方の意見ですか?」 「ええまあ。正確さが売りの数学だって、言葉巧みな詐欺師の手に掛かれば悪質な害虫になり得るのですから」 「確かに、最近の詐欺師は根拠を提示してきますからね……」  お互い遠い目をする他ない。根拠のある話を否定するにはそれより強い根拠が必要だが、いきなり訪ねてきた用意周到な詐欺師相手に知識で戦うのはまず無理だ。無防備な人間は一瞬で喰われる。 「けれど、その点でいえば詐欺師も同じ条件下にありますからね。万が一向こうが根拠を持っていたら、万が一向こうのほうが口がうまければ、よくて失敗、悪くてブタ箱行きでしょう」 「まあ詐欺の手口も明らかになりつつありますからね」 「犯罪にはリスクがつきものですよ」  どんどん元の話題から逸れていくこの会話は、本当に暇を潰すためだけのもののようだと今更ながら自覚する。彼はあっという間に栄養補助食品を食べ終えた。 「話は逸れますが」 「今までも逸れてましたよ」 「男の言う『永遠に生きる』の定義を考えていたんですけど、肉体を破損して永遠に生きることは可能なのでしょうか」  これまた哲学ちっくな問題だ。可能とも不可能とも答えられるけれど、彼が求めるのは私が持つ理由、根拠、根っこの考え方の部分だと思われる。この人もなかなかめんどくさそうだ。 「あの男の考え方は知りませんが、可能と思っていたからには可能なのでは。精神こそが自分説、または魂の存在を信じているか」 「名前や、他人の中の記憶の線はなしですか」 「他人の記憶に留まることを生とするなら、それはあまりにお粗末だ。事件が忘れられるのは一瞬ですよ」 「名前が残ることは?」 「それは老衰でもなんでも残るでしょう。何かを実行した、という意味で名前を残すことが目的なら、それこそ、自殺ではなく」  他殺にするべきだ、と言葉にせず不自然に口を紡ぐ。向こうも理解しているのだろう、「合理的ですね」と適当な評価を下した。 「では精神が永遠に残るパターンか、魂として残るパターンか」 「とりあえずそれに絞って考えると、どちらも同じことのような気がする。私のイメージは地縛霊です」 「私は人に取り憑くパターンを考えていました。が、それはわざわざ自殺する必要があることでもない気がする」  地縛霊はその土地で何かが起きたことが原因でなるものであり、あくまで結果である。目的ではない。 「地縛霊になりたい願望とか、人に取り憑きたい願望とか、聞いたことがない」 「人に取り憑くのはアリだと思いますけど。透明人間と言い換えてもいい」 「ああ、よくあるやつですね……」  呆れを滲ませることくらい許してほしい。私は科学至上主義者ではないが、ああいう非科学的な願望丸出しの輩にいい気持ちを抱けないのは仕方ない。 「その場合は、『永遠に生きるために死ぬ』という言い方はしないんじゃないですか」 「ああ、確かに」  自分で推しておきながら、彼は無関心な返事をした。時計を見れば、まだ時間は十分にあった。 「そのほかの選択肢を今更提示するようで悪いのですが」 「ええどうぞ」 「輪廻転生を信じるなどは」 「どこかの宗教の教えでしたっけ」 「はい、いわゆる生まれ変わりというやつです」  条件は知らないが、多分自殺したら生まれ変われないだろう。しかし、一縷の可能性を捨てきれないので一応ネットで検索してみる。それらしいものがヒットした。 「ワンチャンダイブ、とかと間違えてません?」 「なんですかそれ」 「若者の間で流行った概念らしいですよ。どうやら、死んで記憶を保持したまま来世を無双する、みたいなストーリーが流行ってるらしいです。人を庇ってトラックに轢かれたら神様が転生させてくれるとか」 「なんですかそれ。迷惑極まりないですね」  さっきから中々辛辣な人だ。同じようにスマホで調べて、どんどん顔が引いていく。彼の中の若者イメージが急速に悪化しているらしい。自業自得だ。 「永遠、という表現には引っかかりますけど、確かに、迷信を信じて来世を生きるためにああいうことをする人はいるのかもしれません」  せっかくなので二人していろいろ調べてみると、どうやら神様がなんでもひとつ願いを叶えてくれるらしいことが判明した。 「そこで永遠に生きさせてほしいと懇願すればいいのでは」 「神によっては可能かもしれませんね」  ようやく電車は到着したけれど、駅のホームにはいまだ人がごった返していて、数本の間は乗れそうになかった。私は上司にもう少し遅れそうだとメッセージを送った。 「ちなみになんですけど」 「はい」  くだらない検索履歴を削除しながら返事する。彼は今までより少し楽しそうな声色で話し始めた。 「永遠に生きさせる方法、ちょっと思いついたんですが」 「はあ」 「地獄に堕とすってどうですか?」  盲点だった。そういえば地獄は現世に繋がっているらしいから、えげつない時間苦しみに耐えれば、場合によっては生き返れそうだ。 「なるほど、この世に何度でも戻ってこれるということですか」 「いえそっちではなく、そっちもいいですけど、そもそも地獄に行った状態を死んでいると定義する必要はないので」  またも言葉遊びちっくな話になってきた。ようは、定義を作ればいいということを言いたいらしい。生きている、死んでいる、の境界を、こっちで勝手に決めてしまえばいいのだ。 「無限地獄とかあるらしいですからね、永遠に生きられますよ。たとえば、知覚することが生きていることなら、地獄で罰を受ける間は苦痛を知覚できますからね。ずっと生きていると定義して差し支えない」 「天国に行っても知覚できるのでは」 「そこはよく知りません。あまり宗教に詳しくはないので」  あっさりと匙を投げた様子を見て、ふむ、と考える。永遠に生きさせる方法が世間一般で言う「死」にあたるならば、あの男の「永遠に生きるために死ぬ」という動機は理にかなっている。尤も、注釈をつける必要はあるが。 「私も考えてみましたが、貴方のその話、人は認識されて初めて存在するという考え方を応用してみてはどうかと。つまり、生きている間に悪行をして指名手配されることで、地獄に行くこともできる上に、生きている間も誰かに見られている探されている意識されている感覚を得る、すなわち『生を実感』できる」 「なるほど。『生きたい』が当人の願望ならば、その話はありがたいかもしれませんね」 「永遠だけが目的なら、死んでも永遠に死ねるわけですし」  人はよく深い生き物だ、承認欲求に塗れた個体など、探さなくても見つけられる。それも、大量に。  会社から電話がかかってきたと彼が通話をしている間、私はもう少し交通情報を調べていた。そして彼が通話を終えたタイミングで、スマートフォンを目前に掲げる。 「あの記事、デマだったらしいです。巷で流行りのフェイクニュースでした」 「詐欺に引っかかる奴は馬鹿だと思っていましたが、私もバカの仲間入りをしたようです」 「奇遇ですね、私もです」  時計を見ると長針がかなりの距離移動していて、上司からの不機嫌メッセージも見てしまった。空いてきたホームの中心に、もう戻らないといけない。歩きながら、またさっきのような話をしていると、急に彼がクスッと笑った。 「貴方とひとつ宗教を創って金儲けできそうな気がしてきましたよ」 「お戯れを」  彼は軽く会釈をして、人の列にならんだ。私も同じように会釈をして、別の列に並び、凡庸な人間が飽きるほど詰められた退屈な箱の中に、その身を押し込んだ。
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