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今日から私は──。
いや、「今日から」などという明確な線引きは不可能に近かった。
気づけば私は広大な寒冷地帯で途方に暮れていた。それが「今日」という日からなのか、それ以前からだったのか、私には憶えがなかった。それでも私の意識が明瞭になった瞬間を「今日」とするならば、確かに私は今日からこの地、この体で様々なことを思念し始めた。
視界はぼんやりとしていたが、皓々とした光が私の目に刺さった。雪が反射しているのだろうか。直視はできなかった。
辛うじて視界に入った近景からは、私と同じような姿の存在が確認できた。敵か味方か。確かめる前に彼らは姿を消してしまった。己の意思で立ち去ったのか、何者かに攫われたのか。答えは知る由もなかったが、いつか私にも同じことが起こるのだろうと予感した。
その時が来るまでは、長くもあり短くもあった。
私は突然、抗いようのない大きな存在に絡め取られた。蔓のような、鞭のような、細長く靱やかな何かに私は拐かされた。激しく宙を舞い、それからは記憶が途切れ途切れになった。
真っ暗な空間。震える大地。あれほど明るかった空には夜の帳が下りていた。
雪原と比較すれば気温は高いだろう。だが私にとっては始まりの地であった寒冷地のほうに親密さを覚えた。
一方、大地の揺れは続いていた。右へ左へと体が傾く。神の怒りによるものだろうか。
次に意識を取り戻した時には、体がすっかり寒冷地から遠ざかっていた。再び抗えない力で体を操られる。私の目の前には巨大な白い棺が迫ってきた。
棺の蓋が開けられた。中からふわっと冷気が広がる。
背中がぞくりとする。
生き物の気配などまるで感じない。棺なのだから当然なのだが。
いや、これは棺というより魔窟だ。先の見えない深淵には、生気を失った者たちの肉塊が押し込まれていた。私も彼らと同じ末路を辿るのだろう。
外では烏がかあかあと鳴いた。幼子が歌を歌った。空を割るような鳴き声も、成長前の不安定な歌声も、不吉なものを予感させた。
やめてくれと懇願するように相手に目を向けた。声が出ない。
抵抗虚しく私は魔窟の深淵へと押し込まれてしまった。
封印されてしまえば中は真っ暗だ。体は再び寒さに馴染み、もはや何も感じなくなった。
目も慣れてきたのか、朧げながら中の様子が判った。
発光するものは何もなかった。ただ体を撫でる冷気があるばかりだ。
少しでも気温が上がれば私の体は朽ち果ててしまう、と次第に認識し始めた。であるならば私がここへ封じられたのは合理的なのではなかろうか。
しかしいつまでいられるか判らない。天変地異が起こらないとも限らない。
それにしても、この魔窟の冷気はどう維持されているのだろうか。調査すれば判明するだろう。緯度経度、標高や気圧、日照時間など。それから、他にも同様の魔窟があるのか、山々が連なっているのかなども認知しておきたかった。しかし中からでは限界がある。しかも道具も持ち合わせていない。
それでもまずは内壁の感触を確かめてみた。滑らかで凹凸がない。天然物ではないのだろうか。
いっそのこと、氷属性の竜が司っているという推測を採用しようか。そのほうが無限に膨らむ知的好奇心を抑えることができるし、何よりこの強大すぎる冷気の説明としてはそちらのほうが相応しい気がした。
いや、それはそれで知的好奇心がくすぐられてしまう。強大な魔力を持つ竜とはどんな存在か、体長はどれくらいか、飛行能力はあるのか、体表面はやはり鱗で覆われているのか。
私は目を閉じた。青い鱗を持つ竜が空を飛ぶ光景を想像した。私のいる魔窟の上空を飛び、あらん限りの力で咆哮する。そのたびに上昇しかけた気温は元に戻るのだ。
何年、いや何十年、何百年と私は魔窟で眠った。時計や太陽などで計っていたわけではないのだから、正確な星霜は判らない。だがそれくらいは経っただろう。
眼前が突然眩しく光った。誰かが私の目を潰そうとでもしているのかと思った。
しかし現れたのは、私を寒冷地へ葬った張本人だった。
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