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あの日――。
駅から家までの帰り道、私の少し前を歩く亮太の背中が見えた。
なんだ、同じ電車だったんだ。
声をかけようとしたら、亮太はコートからスマホを出し、誰かに電話をかけ始める。
もしかして、私に? と思ったら顔が綻ぶ。
真後ろで『もしもし』って言ったら驚くかな?
だけど、手にして待っていた私のスマホは震えることはなく、目の前では亮太の明るい声が響く。
「もしもし、ミサキ? もう、家ついた? おかえり」
ミサキって、誰?
嬉しそうな声のトーン、以前は私に向けられていたものだった。
優しい声は、少し前まで恋人である私に向けられていた声だった。
亮太、ねえ、どうしてそんなに楽しそうなの?
それ以上聞いているのが、恐ろしくなって。
「亮太!」
会話を遮るために、彼の背中に向かって叫ぶように名前を呼んだ。
文字通り、ビクンと肩を竦めた彼はスマホを耳から離して、素早くポケットにしまい込む。
「お疲れ、同じ電車だったんだね」
駆け寄った私に、亮太は動揺を隠せずにいる。
キョロキョロと忙しなく瞳が動いていた。
「誰かに電話しようとしてた?」
試すような私の問いに、見られていたことに気づいて。
「うん、絵里に。なんか買い物あったかなって」
特にないよ、と並んで歩きながらも、さっきの光景や、亮太の声をまだ信じたくなくて、彼の左手に、そっと触れた。
『絵里の手、なんでこんなに冷たいのさ』
去年の冬までは、笑いながら私の指先を温めるように掌で包みこんでくれた亮太の優しさが欲しくて。
一瞬だけ触れた指先に、亮太は気付かないフリで歩いている。
私は、空振りした自分の手を慰めるように、ぎゅっと拳を握る。
亮太、私の全てを置いてきぼりにしないで。
わかってた、気づいてた。
本当は全部、全部わかってた。
いってきますのキスも、いつからかしてくれなくなったこと。
狭いベッドで私に背を向けて眠るようになっていたことも。
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