奪われた花嫁

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『荒尾さん』 その名前が聞こえた瞬間、わたしはビクリと身を固くした。 開いた襖の間から「失礼します」と紋付き袴姿の男性が現れる。彼はわたしを見るなり、「おおっ!」と大げさなくらいの声を上げた。 「本当にお美しい花嫁さんだ……女将さんのおっしゃる通りですね」 そう言った彼は、わたしをまじまじと見続ける。 背中をぞわりと這う悪寒に身震いしたくなるのを、わたしは懸命にこらえた。 「荒尾さんたら、そんな他人事(ひとごと)みたいに。あなたの花嫁じゃないですか」 「ははっ、そうでしたね、女将さん」 「それ、その『女将さん』もです。明日から普段は『お義母さん』、仕事中は『大女将』ですよ?」 「そうでした……以後気をつけます」 そう、彼―――荒尾さんこそが、これからわたしと婚礼の儀を交わす人。 つまりはわたしの結婚相手。 この【森乃や】は、明治中頃から続く老舗料亭。 初代が博多中州で開いた小料理屋が博多の街の発展と共に大きくなり、戦中戦後の混沌とした時代もなんとか(くぐ)り抜け、今では地元の大物議員や芸能人がひそかに訪れる料亭にまで成長した。 そんな【森乃や】の現当主である父と女将である母は、自分の代で【森乃や】を終わらせるわけにはいかないと、揃って店の経営に力を注いでいて、わたしはこどもの頃からそれをずっと見ていた。 五代目に当たる彼らの子どもはどちらも女の子。 そのため、わたしたち姉妹のどちらかに婿を貰って跡を継がせたいという両親の希望は、幼い頃からわたしの中に刷り込まれていた。
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