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「これはあのバカに」
「バカって。もしかして、いっちゃん?」
「そう。いっちゃん」
柚月の耳元近くで蒼真がくすりと笑う。漂う香りも大人っぽいけど、吐息のような笑いはもはや高校生のものじゃない。柚月はカッと頬を熱らせた。
「ち、近い近い。先輩近いですっ」
「そう?くく、ごめんごめん」
これでい?と一歩下がった蒼真はやはり、おかしそうに笑っている。
「柚月は、ほんと可愛いな」
「な、なにいってるんですかっ」
何度もいうようだが蒼真はカッコいい。それも恐ろしく。壱月もかなりのイケメンであるが、蒼真はそれ以上、そう、常軌を逸したイケメンなのだ。
だからモテる。壮絶にモテる。いまだって廊下のあちこちから女子の視線が集まっている。なにあの子とかきっと思われている。居た堪れない。
「彼女から誤解されちゃいますよっ」
「彼女?いないけど」
「嘘つかないでください」
モテる男ゆえ、彼女は途切れたことがないらしい。と雪菜から聞いたことがある。
「嘘じゃなくて本当にいないよ。去年の冬に別れてから誰とも付き合ってない」
「え、そうなんですか」
柚月は目を丸くする。となると、すでに4ヶ月以上は彼女がいないということになる。意外だ。
「そう。いまは柚月一筋。もちろんこれからも」
真面目な顔で見下ろされた柚月は思わず固まりそして、慌てて頬をふくらませた。
「も、もうっ、またからかって!その手の冗談、よくないと思います!」
蒼真はじっと柚月を見つめたのち、小さく笑った。
「柚月の反応が可愛いのがいけない。まあでもわかった。今日はこれでやめとく。その袋、壱月にちゃんと渡せよ。前に病院で処方された湿布の残りだけど、市販のやつより効くからいますぐに貼れっていっておいて。あと俺の愛用してるテーピングも入れておいた。値段が張るだけあって良い仕事するからそれも忘れずに」
「え?いますぐって……」
「やっぱり柚月にも黙ってたか。あいつ、昨日の練習でたぶん左足を軽く捻ってる。それなのに今日もしれっと朝練してやがった。2年生のベンチ入りは狭き門だからゲカを理由に外されたくないって思ってるんだろうけど、無理してケガを悪化させて、夏の大会でスタンド応援とか本末転倒だろ」
柚月は驚きに目を見開く。
「知らなかったです。私、なにも」
ずっと一緒にいるのに、壱月が足首を痛めているなんて気づきもしなかった。
「あいつが気づかれないようにしてたんだから、柚月が知らなくて当たり前だ」
「でも」
思わずうつむくと頭に大きな手が乗った。そしてくしゃりとなでられる。その温もりに柚月の心臓がどくんと鳴った。
「落ち込むより部員のケアだろ。まかせても?」
「……は、はい。もちろんです」
優しい温もりが離れ、柚月はおずおずと顔を上げた。そこには真っ直ぐにこちらを見る蒼真。彼はその目をわずかに細めると、それじゃと笑んだ。
「また放課後の部活で」
「はい」
軽く手を上げて踵を返した蒼真は、周囲の視線を集めながら廊下を歩いていく。窓から差し込む春の日差しが淡く彼を照らしていた。
キラキラとキラキラとーー。
「好きになっちゃった?」
耳元でささやかれ、柚月はぎょっと振り返った。
「ゆ、雪ちゃんっ?いつのまにっ。っていうか、なにいってるの、そんなわけ」
「そうだよね、そんなわけないね。好きにならないように頑張ってる、が正解だもんね」
そういって、雪菜はにこりと笑った。
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