工作

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「おい、相良を呼び出せ、早く!」 金曜から続いた連休最終日の深夜、昨日までとは違い場内は比較的閑散としていた。明日から平日だというのに深夜まで裏カジノで粘るような客はそれほど多くない。なんとかメインディーラー抜きで掻き入れ時を乗り切れそうだと高を括っていたオーナーの吉田だったが、数時間席を外していただけで激変した状況によって酔いが完全に覚めていた。    フロアマネージャーによれば、異変が起きたのは2時間ほど前のルーレットテーブルだ。バラバラのゲームで遊んでいた数人のハイローラーが突然ルーレットテーブルに押し寄せ、勝ちまくったのだという。  ルーレットの担当である狭山はベテランであり、吉田も信頼を置いていた。信頼とはつまり、かなりの確率で狙ったところに球を落とす技術を持ち、かつ客との駆け引きにも長けているということだ。  その狭山が脂汗を浮かべ、遠目にも分かるほど憔悴しきっている。  大量のベットを受け、射抜くような視線を一身に浴びながらスローを続けるという重圧に、もうすぐ耐えきれなくなりそうだった。しかしいまこの場には、狭山以上の手練れはいない。  狭山は助けを求めるように視線を動かし、吉田に気づくと助けを訴えるような表情で動きを止めた。その視線の先を追ったテーブルの客たちは、オーナーの登場に目を見合わせ、にやりと微笑んだ。そのうちの一人は、この店に何度か偵察に来たことのあるライバル店のオーナーで間違いなかった。確か板垣とかいう名前だ。 「これはどうも稲垣さん、当店にお越しいただきありがとうございます。今日はみなさんツイていらっしゃるようで何よりです」 「たまたまですよ、ツキって奴はいつまでも続かないのが相場ですから、このチップが全部溶けるまで遊ばせてもらいますね」  その言葉とは裏腹に、このチップを全て溶かすなど想像もできないと言いたげな余裕が顔に浮かんでいた。現時点でチップの総額はざっと数百万、赤黒で当てられれば倍、数字一点賭けで当てられれば36倍、そう簡単に当てられるものではないが、何か仕掛けがあればその限りではない。  吉田は横目でモニターを一瞥し、過去の出目を確認する。  黒4、赤25、赤5、黒2、赤34、赤3、赤19、ウィールの片面に偏っている。ディーラーがスローした球は外周のくぼみを数周したあと、回転しているウィールに刻まれた数字の上に落ちる。張りプロと呼ばれるプロのギャンブラーはディーラーの手から放たれた球の勢いとウィールの回転を読み、どのエリアに落ちるかを予測して張ることが多い。もし昨晩のうちに台の傾きをいじられ、片側だけを狙われているのだとしたらかなり厄介だ。  メインディーラーの相良が到着するまで持ちこたえるしかない。吉田はしばらく近くで観察することにした。青ざめた表情の狭山を鼓舞するように頷きかけ、続けるよう促す。  稲垣たちの張り方は盤面上で隣り合わせである4つから5つの数字に賭けるという、かなり絞り込んだものだった。必ず当てる訳ではないものの、外したときもかなり近いところに球が落ちた。狭山のクセが読まれていることはどうやら間違いがない。  吉田は一瞬ケツ持ちのヤクザに泣きつくことを考えたが、杯をもらっている訳でもない自分では結局むしり取られるだけだと思い直した。いっそのこと警察に通報して店ごと検挙させるという手も考えた。店は閉めざるを得なくなるが、多額の借金を背負わされるよりはマシかもしれない。  胃をねじり上げられるような痛みに耐えてながら考えていると、相良が入ってくるのが見えた。助かった。急いで更衣室に消える相良を目で追いながら、吉田はしばらくぶりに空気を吸えたように感じていた。  相良はあらゆる種目を完璧にこなす天才ディーラーといえた。もちろんルーレットでもほぼ完璧に狙ったところに落とすことが出来る腕前だ。しかし天才が故に要求も厳しく、実は待遇面で折り合えずここ数日は言われるがまま休みを与えるしかなかったのだった。  この状況を切り抜けられるのなら、いくら臨時ボーナスを払っても惜しくないと吉田は思っていた。  ディーラーが交代してからというもの、稲垣たちの勢いには明らかに陰りが見られた。徹底的に出目を散らせという吉田の指示に従い、相良は完璧なスローを続けた。たとえ台に細工されていたとしても、この男には通じないようだ。  稲垣たちは読みを絞りきれず、張りを少額にして様子を見ている。諦めてとっとと帰りやがれ、と吉田は心の中で毒づいた。 「お客様、まことに申し訳ありませんが、そろそろ閉店のお時間となります。チップは両替されますか?」  チップが増えも減りもしない膠着した状況に合わせるように、吉田は水を向けてみた。  稲垣たちは顔を見合わせ、ふっと笑顔を見せた。何かを企んでいるようでもあったし、何かを諦めたようでもあった。 「いや、約束通りチップは全部使わせていただきますよ。せっかくなんで先に置かせていただくとしましょうか」  そう言うと稲垣は、まだ球が投じられてもいないというのにチップを全て黒の4に押し出した。  馬鹿げた真似をしやがってと吉田は思った。一か八かプレッシャーをかけて手元を狂わせるつもりだろうが、相良がしくじるはずがない。  しかし相良が球を放った瞬間、稲垣が勝ち誇ったように呟いた。 「吉田さん、部下を信頼するなら、それなりの待遇をするのが常識だよ、オレなら相良君にふさわしい場所を準備できるがね」  吉田が稲垣の言葉の意味を理解した時には、もう手遅れだった。  相良はこちらを見ようともしない。稲垣に寝返ったのだ。カジノを乗っ取るために手を貸せば、店を一件全て任せるとでも言われたのだろう。そして奴は狙いを決して外さない。  吉田は勢いを失ってウィールに飲み込まれる白球を、虚ろな目で見つめていた。 [了]
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