エデンの肥溜め

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「えー……皆さんこんにちは。私はこの度株式会社ブラック・モブスのニューヨーク新支部にて責任者を拝命したウィリアム・デーニッツと申します」 素人目にはあまり強そうにも見えない若者二人をボディーガードのようにはべらせて、身長160センチにも満たない老人が手探りでマイクを掴み、ボソボソと陰険そうに話し始めた。どうやらこの老いぼれは白内障を患っているようで瞳が白く濁っているし、マイクを手探りで見つけるまで時間がかかっていた。道理でまっすぐ歩けないわけだ。歓迎式の参加者たちはその様を見て、意地が悪そうに様々な憶測と目測について囁き始めたところでデーニッツは片手に持つ白杖をどん、と突いた。それは威嚇にも見えるし、単に注意を惹きたいようにも見える。 「皆様、わたくしのお話はすぐに終わりますので、家にとっとと帰って宿題をすませるなり、女を抱きに行くなり、賄賂を受け取りに行くなりするのはもう少し待ってくださいね……私たちに治安維持を任せてくれてありがとう、以上!」 参加者たちはさすがに、いくら何でもとは思った。仮にも市全域の治安維持を請け負うのだから、もう少しあれこれ教えてくれてもいいと思う。これが大学受験ならば思考力を試される難問、ともなるが社会に出てからは責任表明の必要はある。面倒だが。 ざわめく参加者たちを見て、デーニッツの後ろに立つ赤髪の若者がため息をついた。背は低いがスマートでスーツが良く似合う、見た目は好青年だ。ロボ軍団と似たような恰好をしているがネクタイをしないで襟を広げて鎖骨周りをはだけさせていて、コートは髪と同じくらいの赤色だ。隣の若い女(こちらもノーネクタイで、コートは青)も同感のようだ。若者はあきれ顔でデーニッツに三言ほど耳打ちし、老人は面倒くさそうにマイクのスイッチを再び入れた。 「これだけは宣言させていただくが、あなた方は私らに関わりますな。こちらはこちらの、創立以来の流儀があってあなた方青っ白い資本主義の副産物とはわけが違う。そんな畑違いの人たちに口を出されてはたまらんからな……あんたらの頼みは聞こう、だが金だけ払えばよい。元々そういう商売だ。太陽の下を歩く人が、闇の中に足を踏み入れても何もいいことはない。優秀であろうとなかろうとな」 「あの!」 その時、参加者の一人が大声を上げた。身長は高く、肩幅も広い。おそらくはフットボールかレスリングの経験者だろう。自信満々な嫌味な表情で、デーニッツがどうせ目が見えないと高をくくる。 「私は元ニューヨーク市警・捜査一課巡査部長のアーノルド・ペンスキーと申します。元というのはあなた方と入れ違いで別の市に配属されたからでしてね……前任者としてぜひ聞かせていただきたいのですが、あなた方はどのように治安を維持していくのでしょうか!?」 こんなジジイなら、簡単にあの世に送ることができる。ペンスキーはそう確信してしゃべっている。むかついたらボコボコに殴ってしまえばいいや。 「ふん……私らは民間企業、あくまでその強みを生かさせてもらうよ」 「強味、とは?あなたたちには国から降りる予算ほどの大金があるのですか?各方面に威嚇できる権力は、それとも、強力な武器とそれを自在に扱える者がそろっていると?」 「どうやら君は私らを馬鹿にしているようだねえ……」 デーニッツは赤髪の若者を引き寄せて、また耳打ちをした。若者はうなずくと、人間ロボの一人に向けて指を鳴らし、中身が詰まった黒いゴミ袋をいくつも持ってこさせ、そしてそれをひっくり返して開けさせた。参加者たちはその光景に目を丸くして絶句する。無数のゴミ袋すべてに札束が詰まっているからだ。 「ペンスキー君だっけ?まず、これが私らの予算だよ……今見せてあげてるだけでも、5000万ドルはある……惜しくも、おととし亡くなられた私らの理解者にして私の個人的な友人であったドナルド・トランプ君とはよく札束で引っぱたきあって遊んだもんだ……私らはアタッシュケースは使わない主義でね、金を使う時は面倒だから袋ごとあげちゃう。予算についてはわかってもらえてかい?これでも、私らの会社全体から見れば一部の資金だがね」 これだけで、金に汚い参加者たちは黙ってしまった。それよりもどうやってこのおこぼれにあずかろうか、そのことを考え始める。しかし、ペンスキーはまだもう少しだけ強気だった。 「あ、あんたたちが掃いて捨てるほどの金を持っているのはわかったよ、だけど、なんだ?悪人一人一人に金を渡しておとなしくしてもらうってんじゃないだろうね……つ、つまり権力と武力だ!悪人に膝をつかせるには不可欠だろうよ!ぇえ?民間軍事企業さんよお!」 「ひょ、ひょ、ひょ」 デーニッツの不気味な笑い声にはさすがにペンスキーも、それどころか側近の若者男女も嫌悪感を示した。まるで、昆虫の断末魔のようなその声は人に不快感どころか恐怖を与える。 「君の一族は確か、ニューヨーク市警に代々仕える、地元を愛する家系だったな……そんな君が、この地を離れさせる私らにいい感情を抱かないのは当然のこと……ひょ、ひょ、ひょ」 「な、何がおかしい!?」 「では、君の権力では知ることができなくて、私たちのそれで知りえたものを見せてあげよう……レイナード!例の映像を」 「……おれは、こんなもんを人に見せるのはあまり気乗りしないんですがね」 「だが、だれにでも知る権利はあるだろう?知ることへの覚悟がなくとも権利が先行しとるしね」 赤髪の男は嫌々、スクリーンに映像を映し始めた。次の瞬間、参加者どころかこの事実を初めて知った会社の従業員たちまでその映像に吐き気を催したのだ。 「先日、ニューヨーク市警察長官を退職に追い込んだのが、これだ。見たまえ」 壮年の、いかにも権力の過剰摂取で肥え太った男が嬌声を上げながら男色に励んでいる映像が映し出された。猿ぐつわと目隠しをされて、若い男(筋肉質で容姿端麗。体育会系というよりはチンピラといった見た目のヤツ)にされるがままになっている。参加者たちは信じられない、とまたざわざわ騒ぎ出しペンスキーは涙を浮かべながらその場にへたりこんだ。 「う、嘘だ!気高くて職務を全うしている署長が……」 「ペンスキー君、君の勝手なイメージを押し付けるのはやめたまえ。男色は古代ギリシャから、ごく当たり前に行われていたことなんだよ。まあ私は抱くなら女の方がいいけどな。この前クビにしたダグラス・バンディング君がずいぶんと気に入ったようであったな」 デーニッツはペンスキーの絶望に喜んでいるようだった。レイナードはそれを見て暗い顔をして、若い女の方は一言もしゃべらない。 「署長さんはこの崇高なご趣味を共有できるご友人を探しておられた。ちょうど……うちの会社の従業員がお気に召したようでねぇ……ひょひょひょ、別に何も変なことはなかった。私とお知り合いになってからしばらくして、お相手と二人にしてあげただけじゃて。そっから先の自由恋愛に口を出す理由はないよ……だが、君がどうしても私らを試したいというのであれば君一人では掴みようのなかった事実を教えてあげようと思ってね。バンディングが隠し持っていたのを、クビにしたとき取り上げたのだ。だがそれも、君が私らに噛みつかなければ永遠に世の中に広まることはなかったんだよ?署長さんも家族がいるからね……警告その1!飯の種が惜しければ私らに好奇心を持たず邪推もするな!」 しかし、もはや式典どころではなかった。参加者は皆デーニッツに身ぐるみをはがされたような気分になっていたし、市長はおずおずと「今日のところは解散で……」と気弱に言うだけだった。ガヤで満たされた会場ではもはや皆心ここにあらず、もうデーニッツのペースだ。それを見て老人は満足そうな表情をしている。 しかし、ペンスキーは違った。
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