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4 積もり積もった思い出話
その晩、わたしは凪沙の歓待を受けることになった。
火は炭焼き小屋で作った石炭を燃料にしたかまどで熾し、風呂は薪を燃やした五右衛門風呂、寒さの堪える晩秋に欠かせない炬燵ももちろん炭火だ。
わたしたちは囲炉裏を囲んで、飛騨の郷土料理である五平餅や朴葉みそに舌鼓を打った。何十年ものときを経て食べる故郷の味に、思わず涙しそうになってしまった。
「啓一郎くん、ホントに偉なったんやねえ」凪沙が天井から吊るされた鉄の急須からお茶を注いでくれた。「大金持ちなったるって口ぐせみたいに息巻いとったよねえ」
「ナギちゃんはなにしとったんや」
「あたしはずっとこの村で暮らしとったよ。60年以上もずうっと。いまは米と野菜売って暮らしとるけ」
「結婚はしとらんのか」
「〈未練残しとるモンは半端モン〉。誰ももらってくれへんかった」
尋常の人間であれば、各段階を悔いなくすごし、年相応に老けていくものだ。ところがわたしや凪沙のようなほんの一部の人間は、過去に残してきた未練を断ち切れずに実年齢だけ重ねてしまうことがまれにある。
実年齢と見た目の年齢が乖離すればするほど過去に捉われた変人だとみなされる。自分の人生もろくにコントロールできない半端者というわけだ。
わたしは好奇の目をはねつけるだけの実績を作ってきたから露骨な差別はなかったけれど、凪沙は村の人びとから奇異に思われていたにちがいない。まして結婚の対象には絶対にならなかっただろう。わたしもついに結婚しなかった。
「お互い歳とったなあ」
「ホントに」
心地よい沈黙が下りた。目を閉じれば黄金色の稲穂が風に揺れているのが脳裏に浮かんでくるようだ。60年以上も前のことがつい昨日のように思える。わたしは歳をとった。
「啓一郎くんはなんで卒業できへんの」
「わからんのやて、それが」
「億万長者とちゃうの? なにが未練なんやろか」
「それがわかればなあ」茶をすすった。あまりの熱さに舌を火傷してしまった。「ナギちゃんはどうなんや」
「あたしもわからへん」
卒業できない人びとのなかで、断ち切るべき未練を特定できている人間は少数派だ。たいていはわたしたちのように思い当たるふしもないまま、ダラダラ卒業できずに長すぎる余生を送っている。
が、いまはどうでもよかった。凪沙とすっかり忘れていた岐阜弁を交えて話すのは純粋に楽しかった。話題は汲めども尽きぬ泉のように湧き出してきた。60年の歳月をたったの一晩で消化するというのがどだい無理な話であった。
「なあナギちゃん、ちょっと言いたいことあるんやけど」
わたしは話し疲れていた。瞼が重くなっていて、目を開いているのに強い意志が必要になり始めていた。朦朧とする意識のなか、微笑を湛えている幼なじみとしっかり視線を合わせた。
「なんやの急に、改まって」
「あんな、俺――」
「はよ言って。気になるやん」
その先を言う必要はないように思われた。相手には伝わっているはずだ。ぐっすり眠って意識をはっきりさせてから、面と向かって言えばいい。
わたしは炬燵のちゃぶ台に突っ伏して、心地よい眠りに落ちた。
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