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気をつけるべきはどちらか
水渡桔平は、祖父母と三人暮らしだ。
幼い頃に両親が離婚、二人とも子供を取ると言う選択肢は無かったらしく、形だけ父親が引き取ったものの、桔平はそのまま父方の祖父母へとベルトコンベア作業の如くスライドされていった。
それが当時四歳の事。
だが、すこぶる元気の良い祖父母。
幼稚園、小学校の運動会では徒競走時に桔平達グループに並走し、『よし、いいぞっ!!行けっ!!!』と叫びながらカメラを向ける祖父と、楽器を習い始めたのぉ~とにこやかに微笑む祖母は、ピアノでも無く、ギターやバイオリンでも無く、まさかのドラムだった時には流石に驚いたものだ。
そんなファイト一発なCMも出来そうな祖父母に育てられ、こちらも元気ハツラツに育ちあがった桔平だが小学校五年生になった頃、そんな家庭環境を馬鹿にしだす輩が現れた。
学校帰りの近くの公園の脇道。
「お前、親に捨てられたんだろ、かわいそー」
かわうそ?
何を言ってるんだ、コイツは。
ひひひっと引き笑いするこの少年の滑舌が悪い為か、それとも純粋に桔平の耳が悪いのかと言う話だが、カワウソがどうした?と聞き返せば、顔を真っ赤にしながら可哀想!!と言って来たのでどうやら前者のよう。
そうして、数人の取巻きと一緒に、
『親無し』
だとか、
『見捨てられた子』
だとか、囃し立てられ、ぎぃっと歯を食いしばったものの見たいアニメがあるのだ、早く帰りたい、が優先された桔平はふいっと彼等を無視し歩き続けた。
だが、しかし。
「ぶっ…!!!」
結局唸る右手が出てしまった。
元々そんなに気が長い方でもなければ、負けん気もそれなりにある。
それに加えて、とどめのひと言。
『お前んとこのじーさんとばーさんも、いつお前を捨てるか分かんねーなっ』
こんな事を言われては流石に黙ってはいられない。
カッとなった桔平の拳は振り向きざまにボス風の少年の顔面に。
「何知った風な口聞いてんだよっ、うちのじーさんもばーさんも物持ちかなり良いんだからなっ!!」
尤も彼等はそんな事が言いたいのでは無かったのだろう。桔平にしてみても、この悪ガキ共からしてみても、多勢に無勢は理解しているのだろうが、こうなったら止まらないのはお互い様。
殴り合いに蹴り合い、引っ掻き合い、傷だらけになった桔平はフラフラとしながらも、最後の力を振り絞りラリアットを噛ませれば、最終的に逃げ出したのは相手方だった。
勿論、
「お、覚えてろよっ!!」
と、今時の三下でも言わない捨て台詞を吐いて。
(あんな台詞何処で覚えたんだ…?)
逃げ帰る後姿を見ながら、ぺっと口の中で感じる鉄の味のする唾を吐き出す桔平は、はぁ…っと溜め息を吐きながら水場で口を濯ぐとその場に座り込んだ。
「いてぇ…」
ごしっと顔を手の甲で擦ると、赤い線がそこに付く。
鼻血も出ているのかもしれない。
服もよく見れば泥だらけの、砂だらけ。
このまま帰宅すればきっと祖母が心配するのは目に見えている。
さて、どうしたものか。
今更どうしようもないのに、子どもながら一生懸命言い訳を考える桔平は水場を背にうーんと頭を捻るが、
「お前、大丈夫?」
声と同時に影が覆ったのに気付き、その眼を上げた。
「すげーじゃん、お前。あの人数追っ払ったんだ」
黒い髪をハーフアップに上げ、耳には数個のピアスが揺れ、白いワイシャツに黒と灰色のチェックのスラックス。
楽しそうに細めた猫と言うよりはキツネの様な切れ長の目と薄い唇から出ている棒は飴でも舐めているのだろうか。
見ただけでも分かる、俗に言うイケメンと言う人種の男がそこに居た。
普段中々お目に掛からない男をまじまじと見上げる桔平に、視線を合わせる様にしゃがみ込んだ男はひひっと唇を持ち上げる。
「あーあ、鼻血出てんじゃん。ハンカチやろーか?」
「大丈夫、です、ある…」
自分のポケットから、少しクシャっとなった青いハンカチを取り出し、顔に当てれば血に染まるそこがどす黒い紫へと変色した。
「うわ…」
「あはは、男の勲章ーってやつ?」
出来たらいらないものだ。
そう唇を尖らせそうになる桔平の耳に聞こえたのは、違う声。
「といっ」
今度は誰だとそちらに眼を向ければ、ふわふわと揺れる金髪の頭が近づいてくるのが見えた。
「おー、こっちこっちぃ」
手を振るこの目の前の男がどうやら『とい』らしい。
一瞬女かと思った金髪頭だが、『とい』と同じく白いワイシャツにチェックのスラックスと言った同じ服。
いや、制服だ。
「何、誰こいつ」
近くで聞いた声はまさに男そのもの。
厚みのあるしっかりとした二重にぽってりとした桃色の唇と白い肌。ゆらゆらと風になびく金髪の相乗効果とでも言うべきか、綺麗と言う言葉がぴったりだと桔平は小さく呻いた。
(ばーちゃんが好きなアイドルみてー…)
形容しがたい彼等に対し、桔平の最大級の賛美だ。
「何で血だらけ?」
「さっきまでガキ同士でやりあってたんだよ、こいつ」
中々見ものだったぞ、なんて勝手に人の事を言ってくれる彼等に、むすっと眉根を寄せる桔平はもう一度口の中を濯ぐべく、水場の蛇口を捻った。
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