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さっきは興奮していたから気付かなかったが、どうやら口の中も切れているらしい。
痛みに引き攣る口内を気遣いながら、ランドセルを背負い直した桔平はズボンに着いた泥を払うと、一応気遣ってくれたのかもしれない年上の男をチラリと見上げた。
「…帰ります」
「そっか。じゃあな」
『とい』と金髪の男に軽く頭を下げ、飴を噛み砕いているのであろう、ガリガリと聞こえてくる音に背を向ける。
(学校にチクられたら嫌だな…)
そう思いながら、もう会う事も無いだろうと桔平は家路を急いだ。
当たり前だが家に着くなり、クソ程怒られた。
誤魔化しようが無い怪我や傷。土や砂が付いた服は所々が破れている。
喧嘩以外にこうなる理由なんて無いのだろう。
頭をバスケットボールの如く掴まれ、恐る恐る見上げた祖父の眼光に、自分から手を出してしまったと自白までしてしまった桔平の頭からはミシっと音まで鳴った。
あらあらと着替えを用意してくれた祖母は穏やかな口調で理由を聞いてきたが言える筈も無い。
きっと言ってしまえばこの二人は傷付いてしまう。
祖父の真上からの威圧にも負けず、ぐっと拳を握った侭、なんでも無いと首を振った桔平はその日粘り勝ちとなり、風呂に入り、夕食を終えると宿題もそこそこに眠りに付いたのだった。
翌日、担任に呼び出された桔平は来たか…と小さく舌打ち。
指名された会議室に入れば、そこで待ち受けていたのは担任と教頭、昨日の悪ガキ達に加えその親達と桔平の祖父母だった。
予想はしていたが、
「うちのゆー君が、その子から怪我をさせられたんですっ!!」
「可哀想に、うちのゆー君は傷だらけで泣いてたんですよっ」
「ショックで宿題だってうちのゆー君は出来なかったって言うのにっ!」
きゃんきゃんと甲高い声でそう喚く母親とにやにやと口元を緩めている悪ガキ、おろおろとそれを宥めようとする職員サラリーマン。
一応こちらの言い分もと担任が何故そうなったのかと桔平に問うてくれるも、口を噤んだままの孫にはーっと溜め息を吐いた祖父がガタリと椅子から立ち上がった。
「いやいや、うちの孫が申し訳ない。大事なお子さんに手を出してしまったようで。ほら、桔平。お前もきちんと謝りなさい」
頭を下げる祖父に渋々顔を上げた桔平だが、
「見なさい、傷が酷いお前は宿題だってしたって言うのに、うちのゆー君は出来なかったんだぞ。口の中を切って鼻血だらけのお前だって泣いてなかったのに、お前よりだいぶ身体もデカいうちのゆー君は家で泣いてたって言うんだぞ」
可哀想になぁ、と心底申し訳なさげな声にその場に居た人間達の動きが止まった。
そろりと黒目だけを『うちのゆー君』に向ければ、先程の余裕等無く、ふるふると真っ赤になって震えている。
その母親も大きく眼を見開いている中、
「あ、あのー…」
と、その空気を打ち破ったのは教頭だ。
「その、実は先程匿名で電話がありまして…」
「電話…?」
黒い腕抜きに七三分け、公務員スタイルから放たれた意外なバリトンボイスにゆー君ママが訝し気に眉を潜める。
「はい、あの…学生からだったんですが」
「何の電話だって言うんですか、今関係ありますっ!!?」
「い、いや…その子供達が喧嘩をしていたと…その時に一人の少年に対し、多勢で煽っていたと言う電話で…」
親無しだとか、見捨てられた子供だとか、また捨てられるんだ、とか言っていた、と…。
*****
同じ公園に来たからと言って会える訳ではないかもしれない。
それでももしかしたら、と自動販売機近くのベンチに座りぷらぷらと足をばたつかせる事、数十分後―――。
「―――あ、」
「は?」
向こう側から自動販売機に近づいて来た男は見覚えがある。
桔平の真っ黒な眼に金色の髪が揺れた。
「何?」
眠たそうな気だるげな顔。
地毛が金色なのかと思っていたが、よくよく見れば後頭部は刈り上げられ、そこは真っ黒だ。
だが、金髪が似合う強い顔面。
(本当綺麗な人…)
しっかりと覚えていた桔平はベンチから降りると男に向き直った。
「あの、俺昨日…」
「あー、昨日のガキ…」
どうやら思い出してくれたようで、一人納得したように頷く金髪の男は財布を取り出すと目の前の自動販売機に小銭を入れると、ボタンを押す。
ガコン、と落ちて来た音の方へ手を伸ばし、ペットボトルを取り出した男はくるっと桔平に顔を向けた。
「で、何?」
今日も制服姿。
と、言う事は彼も来るかもしれない。
「昨日のもう一人の男の人は今から会えますか?」
「は?トイの事?」
ペットボトルの中身をごくっとひと口含み、スマホを取り出した男はちらっと桔平を見下ろす。
「もうすぐ来るみたいだな」
「待ってもいいですか?」
「いいけど…」
ベンチに座り直す桔平とその隣に座る男。
ぽちぽちとスマホをタッチしているが、連絡を取ってくれているのか、それとも変なガキに待ち伏せされてると忠告しているのか。
「お前何でトイに会いたいの?」
ふいに掛けられた声は抑揚の無い感情の無い声。
びくっと肩を揺らした桔平を気にも留めている様子も無い。
「いや…その、」
「まさかトイに一目惚れとかねーよな」
あってたまるか。
一瞬どう説明したらいいのかと言葉を詰まらせた桔平だが、それだけは無いと竹とんぼの如く首を飛び上がらんばかりに振って見せれば、金髪の男の眼が少しだけ細められた。
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