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母さん
「母さん…」
呼んでみる。
でも、私の声は、波の音にかき消されてしまった。
「…母さん。」もういちど呼んでみた。
返事があるわけないんだ。
「…母さん、もうすぐ、冬になるよ」
7年前。
母は脳の癌で、この世を去った。見つかったときはステージⅢで、手術は長時間になるため、母の体力が心配されたこと、他臓器にも転移していたこと、手術を受けるなら隣県の病院でないとできないこと。理由はいろいろあったけど、母は、手術はしない、という選択をした。
母の癌が明らかになったのは、8月、夏休みも終わりに近づいた日の昼下がりだった。
その日、母はいつもどおり、父を送り出し、海丸の世話をして、私たちのお昼を用意して、パートに出た。
パートに行く途中、信号待ちをしているところへ、少年の自転車が突っ込んできた。ながらスマホの前方不注意だった。
同じく信号待ちをしていた数人の大人たちが、救急車、警察への連絡と迅速に対応してくれた。
父から電話が入り、青ざめた。
航平が部活をしている中学まで、私はスマホを握りしめ走った。
着く頃には、父が顧問の先生に頭を下げ、航平は急いで帰る支度をしていた。
中学で、2人と合流し、病院へ向かった。
運ばれた先の病院で、明らかになったのは、事故による怪我の状態より、母が癌に侵されていることだった。
母の病状を聞かされ、父は泣いた。
誰より母を愛していた父。
病室に戻る前には、すっかり、いつもの父の様子に戻ったかのように見えた。けれど、母は、すぐに察していた。
その日、父に頼まれ、私が一晩付き添った。
「美砂、ごめんね。世話やかせちゃって。」
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