返された執事服

1/1
前へ
/2ページ
次へ

返された執事服

 婚約の申し入れは同じ爵位のディセントラ家からだった。  比較的新しい伯爵家で勢いがある。  婚約者候補となったご令息は眉目秀麗で文武両道との噂があり、羨ましがるご令嬢は数多くいるだろう。  手紙には婚約前にお嬢様と二人でお茶でも、と書かれていた。  約束は10日後、街で一番人気のあのカフェテリアで。  旦那様は快諾の旨を手紙に記し、すぐに返送した。  それを後に聞かされたお嬢様は特に目立った反応は見せず、ただ「わかりました」とだけ返事をしていた。  もう婚約は決まったも同然なのだな、と思った。 「ねぇクロム様(・・・・)? ドレスはどんなものがいいかしら」  だが、お嬢様は相変わらず僕の執事服を返してくれようとしない。  数日自室に籠ったり、僕を置いてどこかへ出掛けたりしていたが、ディセントラ家との顔合わせ前日に再び騎士として街に連れ出されていた。  なぜこんなにギリギリになったのかはわからないが、明日のドレスを新調したい、ということだった。 「どんなものでも。フィオナ嬢に似合わないドレスなどありませんよ」 「それだとドレスが決まりませんわ。そうだわ、選んでくださる?」 「僕が、ですか?」  他の男との顔合わせ用ドレスを?  自然とそう思ってしまい、僕は首を振った。一体、何を考えているんだ。  咳払いをして、並べられたドレスを端から端まで一通り眺めた。 「そうですね……」  隣に立つお嬢様と見比べる必要はない。  長年、毎日見てきたその姿を思い浮かべてドレスを当てはめていく。 「あなたは色白なので、あまり濃い色だと負けてしまいますし……かといって淡すぎても印象が薄い。あぁ、ピンク色は好きですよね。頰の桃色と似た、そちらのサロメピンクのドレスなんてどうでしょう」 「では、それにします」  店主に試着を勧められるが、お嬢様はそれを断った。 「この人の見立ては確かなので」と信頼されるのは、それは僕が執事だからだ。  決して店主のいう「愛されていますね」ということではない。  なのに、お嬢様は本当に嬉しそうに微笑むのだ。  ——あぁもう、なんでそんな顔。本当にこの人は。  騎士としての僕はにこやかにやり過ごすが、執事としての僕は頭を抱えるのだった。  その後も数店舗まわり、ドレスに合うヒールやアクセサリーを僕の見立てで一式揃えた。  時刻は日が落ち始める頃で、今日中に揃えられたことに僕はホッと安堵する。 「少し歩きましょう」と言うお嬢様は馬車を先に帰らせてしまったので、近くのフラワーガーデンにやってきていた。  一面に咲く彩り鮮やかな花に、お嬢様は目を細めている。 「……なぜ前日にドレスを? 新しいものはいらないと、旦那様にお断りしていませんでしたか」  それは、ディセントラ家に承諾の手紙を送ったとお嬢様に伝えた時に。  仕立て屋を呼ぶか、と旦那様の提案に、お嬢様は首を横に振っていたのだ。 「ふふ。気まぐれ」 「またそんな。婚約を申し入れられているご令嬢が得体の知れない男といるなど、あちらの耳に入ったらどうするんですか」 「得体が知れないだなんて。騎士様のクロムは素敵よ?」 「そういうことじゃないです」 「これで申し入れが取り下げられるなら、それまでの話だわ」 「まさか、わざとやってます?」 「半分ね」  くすくすと笑う。  そんなお嬢様に、僕は深くため息をつく。 「婚約なさるんでしょう?」 「お父様はそれを望んでいるわね」 「会ったことはありませんが、ご令息の噂に悪いものはありません。お嬢様は望まれないのですか?」 「私がそこに望むのは、家の繁栄だけ」  笑いを収めたお嬢様は淡々と言った。  そこに自分の気持ちはないのだと、うら若いお嬢様は自分の立場をよく理解している。  いつもは可憐にころころと表情を変えるお嬢様が表情をなくす。それに気づいた僕は、途端に我慢ができなくなる。  自分の立場を誰よりも理解して諦め続けてきたのに、往生際悪く、悪あがきをしたくなる。 「……明日は、僕の選んだドレスでご令息に会うのでしょう?」  お嬢様の桃色の頰と似た、サロメピンクのドレス。きっと色白の肌が映える。  目の前、一面に咲く彩り鮮やかな花と比べるまでもなく、何よりも綺麗だろう。  お嬢様は僕を見上げて、頷いた。 「クロムが選んでくれたから、きっとどのドレスよりも私に似合うわ」  だから、嫌なのだ。  自然と眉間に皺が寄る。  お嬢様は僕の険しくなった顔を見て、挑発するように言う。 「止めてくれるのなら、行かないわ」 「………………僕は」  その手を掴んで連れ去りたい。  どうしようもないと諦めている気持ちの上に、喉から手が出るほどにお嬢様を欲する気持ちが膨らむ。  僕だけのものにしたい。  けれど、それよりも大きく重く、現実的な理性がのしかかる。  僕は言葉が出なかった。 「————冗談よ、クロム。帰りましょう」 「お嬢さ……」 「執事のあなたではダメ」  寂しげに笑ったお嬢様は、もう僕を振り返ることなく前を見据えていた。  隣から小さな肩が離れていく。  翌日、僕の部屋に執事服(制服)が返されていた。  ❇︎❇︎❇︎  侍女達によって仕立てられたお嬢様は、いつにも増して愛らしく仕上がっていた。  サロメピンクのドレスが華々しい。  僕が思っていた以上の仕上がりに、旦那様も満足げに頷いていた。  ディセントラ家ご令息の馬車が迎えにやってくる。  馬車から降りてきたご令息は噂通りの眉目秀麗さで、お嬢様の手を取り爽やかな笑顔を向けた。  見送りの侍女達が、ほぅ、と息を漏らす。  お嬢様はそのまま手を引かれ、馬車の中に。  扉が閉められる寸前、お嬢様は僕を見た。わずかに眉根が下がったことに、僕以外に気づいた者はいただろうか。 「執事のあなたではダメ」  きっと今、執事服でなく騎士服を着ていても、引き止めることはできなかったのだろう。  お嬢様の言葉を思い出して、いまだに諦めきれない僕は何度も打ちのめされる。  ご令息の馬車が屋敷を出ていく。  一息ついて、旦那様が屋敷に戻ろうとしたところで侍女の一人が呼び止めた。速達の手紙らしい。  旦那様はその場で封を切り、手紙に目を通した。  読み進めるにつれて唖然としていく。  皆が困惑する中、旦那様は険しい表情を上げた。 「……クロム」  何事だろう。  返事をする間もなく旦那様は僕に歩み寄り、手紙を突きつけた。  わなわなと、声が震える。 「これは————これは、一体どういうことだ?」  突きつけられた手紙を受け取った僕はその内容を確認して、旦那様と同じく唖然とした。  青天の霹靂。まったく意味がわからない。  けれど、体は勝手に動いた。  呼び止める旦那様の声に応えることなく、僕は走り出していた。  手紙の差出人はピアニー伯爵という、辺境の老伯爵家からだった。歴史の長い由緒ある伯爵家だ。  旦那様と縁は薄いが一目置いており、機会さえあれば関係を築きたいと以前から漏らしていた。  お嬢様はそこを狙い、手紙を送っていたのだろう。 「まさか、僕を使うなんてね」  老伯爵家には後継がいない。  過去には養子の話もあったようだが、仲睦まじい伯爵夫婦は二人でその名を守ってきていた。  歳を重ね老夫婦となった今、囁かれるのは「衰退の一途」だ。  継ぐ者がいなければ、今の伯爵の代で廃れてしまうだろう。 「僕がピアニー伯爵家の養子となり、跡を継ぐ」  手紙にはその旨が記されており、承諾のサインがされていた。  養子を取らずにいた老伯爵に、僕のような爵位のない者をどうやって売り込んだのか。  老伯爵家の名は残るが、だからといって。 「……まったく、あの人は」  ピアニー伯爵家と縁を持ちたい旦那様。  僕が後継になることで名が残る老伯爵家。  お嬢様が提案した両家を繋ぐ条件は、長い付き合いの僕には信じられないものだった。  街で一番人気のカフェテリア。  すでにディセントラ家ご令息とお嬢様は入店してお茶をしている。  弾む息を整えることなく、僕は扉を開けた。  チリンチリン、と軽やかな鈴が鳴る。  店員がやってくるが、僕はお構いなしにその華やかな姿を見つけて歩み寄る。  僕の姿に気づいたお嬢様は驚いて、目を丸くした。 「フィオナ嬢。お迎えに上がりました」  全速力で走ってきたために汗だくだ。身支度をした意味がないほどに髪は乱れている。  慣れないと思っていた騎士服はやっぱり重くて、それでも今の僕には執事服より軽くて。  滴る汗を拭い、旦那様から受け取った手紙をお嬢様に見せた。  差出人の名前に、お嬢様は声を上げる。 「ピアニー伯爵!」  お嬢様は慌てて手紙を確認する。  書き連ねられた文字を目でなぞり、最後のサインにようやく動きが止まる。  信じられないといった表情で僕を見上げたその瞳は期待に満ちて、僕の答えを待っている。 「……本当に僕でいいのですか?」  ここまでされておいて、これは最終確認。  こくこく、と頷くお嬢様に、僕の胸が熱くなる。  滴る汗をぐいっと拭い、僕は()いた  剣に気をつけながらお嬢様の前でひざまずいた。  さながら騎士のように、手を差し伸べる。 「では——……フィオナ嬢。僕と、婚約してくれますか?」  お嬢様が提案した、両家を繋ぐ条件。  それは、ピアニー伯爵家の養子になった僕と、お嬢様が婚約することだった。  両家にとって利益しかない条件。  そして、僕達にも。 「はい。もちろんです」  その言葉と共に、僕の手にそっと小さな手が乗せられた。  桃色の頰がさらに染まる。はにかんだお嬢様は可憐で、僕はとろけてしまいそうだ。  健在の両親がいるのに養子にだとか。  ピアニー伯爵による後継教育だとか。  後回しにしてしまった旦那様の説得だとか。  考えれば考えるほど憂鬱なことばかりだが、今だけは目の前の幸せに浸りたい。  重ねられた手をそっと握り、僕は立ち上がる。  そのままお嬢様を引き寄せて、腕の中に抱き留めた。  大人しく収まるお嬢様の耳元に。 「ずっとあなたが好きでした」  長年諦めていた想いを溢れるままに囁いて、何度もキスを落とした。
/2ページ

最初のコメントを投稿しよう!

6人が本棚に入れています
本棚に追加