6人が本棚に入れています
本棚に追加
奴代
カフェテリアを出た後、夏の優しくない陽射しに昨夜の宴を後悔しながら駅のホームに立っていた。
夏稀からの呼び出しに都合が合わず車を持ってこれなかった事に不憫を感じていたが、アルコールが残っている状態では、所詮だったなと自分でも呆れてしまう。しかし寝不足の二日酔いで、真夏の陽射しを浴びながら電車を待つというのはなかなか酷なものだ。
埼玉県のとある屋敷、そこが私の目的の場所 “ 大虎が臨とする牙城 ” だ。
ホームに到着した電車に乗り込むと、背中を預け束の間に深呼吸をした。強すぎる程の冷房は汗を引かせると共に私の思案にさらに透明さを戻させてくれる。チェスを打つように瞼を閉じ、潜思の中に闘争を繰り広げた。
降りた駅から商店街を抜け、弛い坂道を上りきったそこ。来客者を歓迎しない賀茂と掲げてある表札に呼び鈴を押す。さて、どう言ってこの門を開けさせようかと思念を捻らす最中一筋の汗が伝った。
濁り続ける返答に “ エタ ” という言葉を投げた。手早く言えば喧嘩を売ったのだ。すると牙城に続く口が開いた。どうやら売った喧嘩は買われたようだが、そこはまるで現し世と隔離された冥界のようだ。
使用人と思われる女性に案内され、客間のソファーに腰を落とすほぼ同時に使用人からコーヒーが差し出される。徹夜明けの私にはありがたいが、くつろいでいる場合ではない。これから対とするのは “ 一流 ” のヤバイ奴なのだからな。
思念を整理するようにコーヒーカップを口元に運ぶと扉の高い位置から白髪が覗いた。御老人と呼ぶにはあまりにも似合わない。肉食獣のような気迫を纏う男性が対としたソファーに腰を落とした。こいつを落とさなければならない、早々にだ。
優の症状を考えると躊躇しているような余裕は無い、私は檻を開けて斬り込んだ。賀茂は孫娘の安否を問いた一言に雰囲気を一瞬にして変えた。それは今にも大虎が飛びかかってくるような威圧感だ。正直、刃で本物の虎に斬り込んだ方が余程ではないかと思える。
この一族を敵にするというのもまぁ一興であるかもしれないけどな、しかし私は責任があるのだ、彼女に対して。
賀茂の質を信じ、切り札の嘆願を投げた。彼女の件はすべて委ねて欲しいと。それは僅かな時間でこの男は過去に関わった一派とは異なると思ったからだ。この賀茂という男は、凍死事件の犯人であろう奴代という女性の祖父だ。天皇を護衛するために平安時代に組織された陰陽の長だった安倍晴明の直血の血脈であり、現在の組織を束ねる長。その賀茂が小さな溜め息をつき、ソファーに座りなおす。意図を組んでもらえたのだろうか、先程までの威圧感は消えていた……よし、落ちたぞ虎がっ。
賀茂の話しによると、奴代は神武天皇の一族の命で事を起こしている可能性が高いようだ。確かにそれならば、あの死亡者リストも納得が出来る。しかし、奴代の身柄が神武の手にあるだと? 私の知る奴代は、婿入りした賀茂の子息が居る宮崎県の大御に居るはずだ。
大御は天照を奉っている神社だが、実際に天照が再び生まれ出いるという脅威に萎縮し、直血を持つ女性を虐げている一派だ。つまり大御は奴代を虐げていた。だが、天照や陰陽と敵対となる神武に奴代を仕えさせるというのは辻褄が合わない。奴代に一体何があった?
“ 歴史は繰り返す ” という言葉がある。この絡まった紐に不安を感じずにはいられなかった。奴代の件に天皇家が絡んでいるとなると、有事が繰り返される可能性があるのだ。
有事の火種となった最初の問題は、陰陽が天皇家を何から護衛していたのか。という事だ。
太陽と炎の女神とされる姉の天照大神。水鐘の女神とされる妹の丹生都比売。 神武はこの二人の力を利用し天皇となったが、そのとたんに謀反を起こし二人を封じたのだ。しかし、代々にまで恐れ怯え続けていたのだろう。姉妹がまた生まれ出いて己の覇権を脅かす事を。そこで組織されたのが、護衛組織である陰陽だった。陰陽は様々な土地に結界を張り二人の姉妹を封じ続けた。必然的に陰陽の組織は肥大した。その肥大に恐怖を感じたのが、事もあろうか天皇家だったのだ。天皇家は目的も忘れ、自らの護衛の者達を堕ち者、エタと扱い迫害し、陰陽までもを敵に回す事になったのだ。
奴代の母方は天照一族の直血だ、まして陰陽の血脈も持つ彼女が天皇家の命に従うというのは合理が無い。いや……しかし奴代の霊気は尋常でなかったな。まさか奴代が丹生都比売の生まれ変わりだとでもいうのか?
頬をまたも汗が伝う……しかし、それは先程とはまるで質が違う物だ。彼女に対して責がある、それは充分過ぎる程に分かっている……が、この絡まった紐、細心で解かなくては歴史が繰り返されてしまう。心境を察したのだろう。賀茂が立ち上がり、私の肩を撫でた。
「鏡子殿、私が表だって動く事は叶わない。事態を収めていただけますまいか? 見した所、 そなたは裏真言から去された者ですな。鏡子殿の武器は奴代には一番の脅威になります故」
賀茂はシワを一層深く刻む。目を瞑り頭を下げると、子息の愚行に眼が届かなかった事を詫びた。その様に確信した。この者とは生涯相違する事はない、例え歴史が繰り返すとしてもだ。
真摯な言葉に礼を返すように謝恩を下げ屋敷を後にした。しかし充分過ぎる恩恵も得たとはいえ、虎と対したその削ぎ取られようは、想像を越えていたようだ。門を背にふくらはぎと背中に残る力を確認してみる。うん、まだ大丈夫だろう。奴代か、さて計算通りにいってくれたらいいのだがな。しかしどうやって奴代を探すかと思案しかけた私の前に聞き慣れた機械音がした。随分とカッコよすぎるタイミングだ。なぁ、忠国。
幼少から世話をかけている忠国の姿と、朱いイタリア車の大きなグリルが出迎えてくれた。正直、今の体力だとひとりで奴代の姿を探し出せる自信はなかった。思わずそれに頬を弛ませた私はステアリングを忠国に頼み助手席に腰を落とした。なかなか自分の車の助手席に座るというのは貴重な経験だ。私は奴代と対した時の体力を僅かでも残しておきたかった。まるで想像がつかないのだ、奴代の想いが。
忠国によると、奴代は長期にわたり大御の地下室に封じられていたらしい。が、忽然と地下室から姿を消した。そこに大量の血痕だけを残して。天皇の手が奴代をさらった? いや、それはあまりに突飛だ。
結局糸口は、死亡者の一覧からの時間と場所の傾向。奴代を見つけるのは、それを頼るしかなさそうだ。まぁ、ほとんど山勘って事だ。
一覧によると最も多いのは午前三時を過ぎた丑虎の刻、そして駅周辺の場所。これが十四人中九人だ。そこに絞り、その時刻に各駅の周辺を渡る事にした。喜ばしい確率の行動ではないが、致し方ないだろう。と、いう事でさっき買っておいた缶ビールを開ける。ステアリングは忠国だしなっ、勢い良く喉を潤すと忠国がまったくという顔で私を見ていた……ったく、いつまでも子供扱いだなぁもうっ
丑虎の刻まで車内で時間を潰し、目星を付けた駅周辺を回った。までの間、多少車内で仮眠が取れたお陰で随分と勘も冴えを戻したようだ。
「そろそろ次の駅に向かいますか? 鏡子様」
「っ、待て忠国っ」
遠い先に白装束を羽織った髪の長い痩せた女が立っていた。顔まで確認が出来る距離ではないが、夏稀の部屋から感じたあの時と同じだ。間違いないっ、車を降りその女性に近付いた。よしっ、ふくらはぎの様子だと体力も回復してる……いくぜぇ奴代ぉ。
奴代との距離が次第に近付くにつれ気配が強くなる……オイオイ、それで今までよく職務質問されなかったなぁ奴代ちゃん。
「うおいっ、奴代ぉっ」
怒号にゆっくりと振り返り判然と対したその姿形は肩から右腕が無く、右目が潰れていた。奴代の受けたであろう理不尽な事態はきっと想像を越えているのだろう。状相が私に唸を噛み締めさせる。
「何だお前、じゃ……まをするな」
瞬間、奴代の左腕から出た式神の霊気に身体が硬直し周辺にまでもに冷気が一気に増していく。たしかに丹生都比売……水鐘の女神ってやつかもなっ、こんな霊気ぶつけられたら普通なら即死レベルだっ。くそっ、覚えていないのか? まさか奴代……記憶が? でもそれならば神武に操られているのも納得できる。にしても……そろそろ冷たくてムカついてきたぞ。
確かに霊や悪魔を祓うような力は持ってないさ、隠し世が見えるってだけだ。でもな、武器はあるんだ。私は何者もはね除ける、魅入られない、憑かれない。私は薮入り、新月の産まれ子だっ、
「思い出せ、やっちゃんっ、効かないんだよ、私にはぁあっ! 私は鏡子、織屋鏡子だっ」
「きょう……こ? きょうねぇちゃ」
記憶が戻ったのだろう……その呼び方は昔のままだ、尽きたように膝を落とす奴代を支えた腕にひどく震えが伝わる。水滴が夏の闇夜に消えた頃、私の小指を見つけた奴代は叫喚をいつまでも絡ませた。それは夜風にすっかりと舞い始める時まで。
最初のコメントを投稿しよう!