手毬

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手毬

 朱いイタリア車、フロントの大きなグリル。鏡子の愛車だ。  朝食を済ませそれに乗り込んだ二人は、宿より東に小一時間ほどの目的地を目指し車を走らせていた。二人の前に延びる車線の先に、澄んだ六月の初夏の空に突きささる如く鋭く聳え立った独立峰、姫神山(ひめかみさん)がくっきりと姿を見せ始めると、不意に鏡子はブレーキを踏み、車を道路脇に停車させる。夏稀は目的地は近くなのにどうしたのだろうと、停車して地図を広げる鏡子に疑問を問い掛け首を傾けた。 「んん~、いやな。あそこには何も居ないんだよ、たぶん。恐らく “ それっぽい ” から名が知れているだけで二人の亡骸(なきがら)はちがう所に居る。ん、これかっ、見つけたぞ夏稀ぃい、姫神獄(ひめかみだけ)神社。恐らくここに鬼姫が二人眠っている」  地図を畳んだ鏡子がニヤリと口角を捻らせる。まるで何かを確信したように、二車線の道路に激しくステアリングを切り、姫神山を背中に車を走らせ始めた。姫神山には何も居ないと言うのは書物から得た情報なのか鏡子の “ それ ” によるものなのか。夏稀はその鏡子の横顔に微笑みを浮かべ頭上で腕を組む『またか、やれやれ』と言わぬばかりだ。  道を折り返してから二十分程で車を止め、整備されていない畦道(あぜみち)に脚を進める二人。やがて色褪た鳥居の向こうにけして大きくはない(ほこら)が見えた。それは夏稀の想像よりもはるかに貧相な物……何やら最近人手を加えた形跡も随所に見える。単に “ 古いだけの祠 ” だ。祠の手前に掲げてある板木に墨を走らせた書物のような看板も割と新しく、曰く付きとか歴史を等とは到底思えない代物だった。何か地元の小さな祭り事の為だけの神社。というのがぴったりの風合いだ。『本当にここなの?』と首を傾げる夏稀に鏡子は尚更解せぬ答えを返す。 「偽物だしなこの神社、元々は仁王観音を祀っていた玉山観音堂(たまやまかんおんどう)さ、ここは。入れ替えたんだよ。目眩ましの為に」  そう言うと鏡子は階段を登り、祠の扉に手をかけた。と、突然二人の背中に怒号の声が響く。声に振り返った二人の視界には剣幕を浮かべた一人の老人の姿があった。  ()れたシャツに作業ズボン。とても住職のようには見えない風貌だ。鏡子が少しの確認だけで済むからと老人を説得するが、(もぬけ)故に意味が無いと老人は二人に何度も帰路を促す。と、その時不意に夏稀の首飾りが揺れ、チリリンと鈴音を奏でた。  すると老人は何故か先までの剣幕が消え、夏稀をまじまじと凝視したまま呆然と立ち竦んだ 。  一瞬、老人のその様に疑問を感じた鏡子だが、ここぞとばかりに祠の扉を引き開け、間の中央まで歩を進めると(りん)を高めるように “ パンッ ” と平手を合わせ打ち付けた。夏稀もまた鏡子の後を追い間の中央近くに歩を運ぶ。  その祠の中で並ぶ二つの顔に老人は呆然と立ち尽くしたまま間の中の鏡子と夏稀に何度も魅入っていた。それは(まなこ)を殊更見開きながら。 「来いっ立烏帽子神女(たてえぼしひめ)っ、静御前(しずかごぜん)っ」  床に左平を叩きつけたとたん風もなく鏡子の長い髪が上へ揺らぎ始める。鬼と言われた二人が相手だからなのだろうか、常に冷静な鏡子からは想像もつかない程の形相だ。大きな眼を一層に見開き、朱が滲み出ても尚、下唇を噛み締め続けながら隠し世を吸い込んでいるようだ。が、突然隠り世の挾間を漂う鏡子を激しい打音が引き帰えさせる。老人が扉に杖を叩き打ち付けたのだ。それに意識が散ったのだろうか、鏡子の長い髪はふさりとゆっくり下に垂れていく。 「もういいじゃろっ、何を知りに来たのじゃっ」  その様に少し強張った夏稀を見た老人は、ふぅーっと溜め息を洩らすと振り返えり、自分に付いてこいと言い捨てた。畦道を引き返す老人の後に続き、二人は十分程を歩く。視界に田舎のそれらしい古びた家屋が見え始めた。老人の住まいなのだろう。姿はとうになかったが、母屋の扉は開いたままで二人を家屋の中へと誘っているようだ。  二人は土間で靴を揃え、二歩ほど進むと左手の解放された襖の奥の間に、テーブルを挟み胡座をかいた老人が穏やかな眼で二人を見据えている。対と向いて座れという事なのか。鏡子と夏稀が老人の向かいに膝を折ると、間をあける事なく着物姿の少年が二人に茶を丁寧に差し出す。その折り目に似合わず、頃で言えば十五、六歳程なのだろうか。鏡子はそれに首を傾げ思量を捻らせた。 ――「それで貴女方は姉妹でいらっしゃるのか」  本当に毎回のように浴びる質問だ。  夏稀はまたかと呆れたながらも、否定する言葉を返すと、その返答に何故か老人は安心したかのように頬を弛ませ「あぁ……そうか。姉妹ではないのですな……あ、ところで確認したい事と言うのは、一体何事かね」と話題を変え、随分とにこやかに言葉を始めた。 「あ、あぁ……すみません。水脈について、とある温泉宿から調査の依頼を受けまして。宿の温泉が枯れて困っていると」 「姫神よりの水脈と言う事は立烏の宿じゃな。いやいや、水脈は枯れてなぞおりゃせんぞ。ほら」  老人が縁側の方に指をさす。そこには一面、田植えを終えたばかりで水面を揺らす田園が、きらきらと陽射しに揺らいでいた。 「盛岡市も近年、区画整理が盛んなようじゃから。恐らく水脈を遮るようなビルでも建ったのじゃろうて。ところで何かお見えになりましたのかな、術使いさんは」 「貴女は住職なのですか? 見えましたよ。何故か立烏帽子神女と静御前は見えませんでしたが、取り巻く者達ははっきりと」 「いや、許嫁の末裔とでも申しておこう。見えぬはずじゃっ。祠の下におるのは魂の抜けた亡骸だけなのじゃからな。それでも時折、賊のような者が訪れるのは尽きぬがの」 「大通連(だいとうれん)小通連(しょうとうれん)顕明連(けんみょうれん)は祠に献納されていると思いましたが、その三刃はそのような賊に盗まれたのですか?」  鏡子の問に煙管を吹かした老人は口角をにやりと捻らせた。 「三刃というのは喩えじゃよ。刃は一体だけ。それは然るべし者の手にある。あとの二つはな、質と英知じゃ。立烏帽子神女はそれを兼ね持った者、まさに神だったのじゃよ」 「すると妹の静御前が鬼だったと言う事ですか」 「いいや、静御前。彼女こそが三刃のひとつ小通連、質。なのじゃよ。彼女は自らを滅っし、身体を離れ立烏帽子神女とひとつになった。質の静御前。英知、顕明連の立烏帽子神女。そして三尺一寸の鈴音の鳴る朱い柄巻の太刀、大通連。これが三本の宝刀じゃ。そして立烏帽子神女は乱れる世を正そうとした。そう、神としてな。じゃが、いくら平らにしようとも、果てなく産まれ続く人の業、欲、醜さに悲歎したのであろう。立烏帽子神女はその身体を離れてしまったのじゃ。故、祠の下に横たわる亡骸はまさに蛻の殻なのじゃよ。愚者が神を利用し覇者となる。そのような歴史が繰り返されなければよいのじゃがな。しかし、然るべき子宮で再び二人は眼を醒ましてしまった。こればかりは抗いようが無い事だったようじゃ。のうっ? 夏稀殿」 「えっ? あ、あぁ。はい?」  夏稀は躊躇した。その筈だ、老人が夏稀の名前を知っている訳が無いのだ。しかし夏稀の名を呼んだ老人の眼差しは、まるで愛でるような至極優しいものだった。老人は水脈を遮った再開発等をあたってみるとよいと、助言を残すと、退席を促すように奥の間にへと姿を消す。二人は奥歯に混濁を残したまま座を崩せずにいたが、着物姿の少年に土間まで案内されると、その家屋を後にした。 ――車に戻りステアリングを握る鏡子は、まるでここにあらずといった横顔を夏稀に見せている。老人の話しが調べた文献とあまりにも違ったからだろうか。鏡子らしくないと思った夏稀はわざと少し戯けて喋り出した。 「住職の話しだとぉ、区画整理で塞き止められた水路に他から水を流せば解決って事だよね。こりゃ楽勝だよ鏡子ネェ」 「あぁ……そうだな夏稀」  サイドガラスを開け、六月の山の澄んだ空気に混濁を流すように二人は市内へと車を走らせる。 「だけど、あの老人。何で私の名前を……」  ぽつりと呟いた夏稀の言葉に鏡子はにやりと口角を捻らせた。いつもの顔だ、意地悪な時の。 「んん~? 気がつかなかったのか夏稀ぃ。二人とも肉体的にはこの世の者じゃねーよっ。小僧の着物、左前にして着ていた。逆だっただろ? あれじゃ死に装束だ。まぁ、あの老人は女物のシャツだったのかもな。許嫁って言ってたし」  夏稀は思わず言葉を失った。鏡子はそれを分かっていて普通に会話をしていたのだ。確かにあの場で教えられても困ったけど、と思いながら夏稀はその相変わらずな鏡子の異質ぶりに思わずクスリと微笑を浮かべた。 「現世(うつしよ)って言葉の由来なのかもな。たまに居るんだよ、鏡みたく左右逆に現れるヤツが。理由も分からないし、あくまで私の経験則だけど、悪意を持つヤツではないんだ。逆のヤツはさ。それよりも」  鏡子は気になっていた事があったのだ。何故、あの老人は夏稀の鈴の首飾りに意識を奪われていたのかと。夏稀とは随分と長い付き合いになる。故に鏡子は夏稀が常日頃から首飾りをしている事は当然分かっていたが、理由というか由来みたいな事は聞いた事がなかったのだ。  あの老人、いわゆる “ 幽霊 ” が興味を示すような物なのかと鏡子は夏稀に問い掛けた。 「あぁ、これはパパがくれたんだ。私が物心付いた時には、もう首飾りをしていたと思う。まぁ紐なんかは取り替えてるけどね。パパの話しだと私を産んですぐ死んじゃったママの形見らしいけど。まぁ……よく見ると確かに年代物っぽいね、これ。立烏帽子神女の鈴だったりしてっ」  そんな会話を交わしながら車を走らせ、しばらくすると御田屋清水(おたやしみず)と掲げられている看板が見えた。名水と言われる湧水で有名な場所だ。ここの湧水を利用するつもりなのか、そこで鏡子は車を止めた。確かに立烏の宿からは、ほんの僅かな距離だ。車を降りた鏡子は観光名所らしき賑わいのそこには目もくれず、きょろきょろと周囲を詮索し始めた。 「んん~、鏡子ネェ。水脈ってあれでしょ」 「はは、あれもな、偽物なんだよっ」 「はぁ、また偽物かよっ、なんだってまぎらわしいなぁここら辺はぁ」 「それだけ曰くが多すぎるのさ、この土地は。源頼朝の本名は鬼武者だぜ? 安倍頼時(あべのよりとき)は鬼を倒す為に立烏帽子神女の力を利用したが、その強欲さに立烏帽子神女に愛想をつかされたのだろうな。結果、九州に追いやられて安倍晴明(あべのせいめい)なんて名前に変えやがった。そのゴタゴタの時の兵糧攻めで封鎖された水脈がここらにあるはずなんだ……おっ、」  観光客で賑わう御田屋清水を背にした鏡子は、小さな橋の袂で脚を止め不意に膝を折る。 「夏稀ぃ、今何時だぁ」 「んと、もうすぐ六時過ぎる。五十七分」 「よしゃ、逢魔時(おうまがどき)だな。ちょうどいい」  草木が茂る袂の脇を下の小川に向かい鏡子が靴をずるずると滑らせ降りていくと、橋から身体を乗り出して覗く夏稀の耳に突然なにか木片を折るような音が響いた。 「お、おぉ~い、鏡子ネェ何して……」  夏稀の声が何度か続いた頃。引っ張れと言わんばかりに鏡子の手がヒョイと夏稀の目前に『ほらほら』と伸びる。 「んん~っ。な、何やってんだよもうっ」 「んしょっと、さんきゅーっ。塞き止めていた木片、腐ってたからへし折ってきた。これで立烏の宿に流れるだろ」 「へし折ったって……しかしよく見つけたなぁ鏡子ネェ」 「逢魔時はな、いろいろ見つけやすいんだよ。さぁてっ、まぁ一応解決なのかなこれで。座敷童子まで消えちまったかもだけどさ」  結局は水脈を塞き止めていた腐った木片を折っただけ。そのこっけいさに二人は日落ちの速い空へと高笑いを上げた。 ――立烏の宿、桔梗の間。脚を弛めた二人は早々に若女将を部屋に招き、その解決を告げた。気遣いなのだろうか、鏡子が若女将に告げたのは『温泉源を復活するのは無理だが、霊現象は終焉した』とだけだった。しかし余程であったのだろう。若女将は何度も礼を繰り返した。 「ふぅ。だけど、温泉も無し、座敷童子も居ないんじゃ大変かもね。瞳さんも」 「まぁ仕方ないさぁ、亡霊うじゃうじゃよりはマシだろ」  格子窓から暮れる陰を揺れる思案に仰いでいると、部屋の襖扉がするりと音を滑らせた。今宵も部屋での夕食を頼んではいたが、それにはまだ随分と早い時間だ。 「あ、あった。あったてまりぃ」  着物を羽織った小さな女の子が、そう言いながらすたすたと部屋に入ってきた。物怖じするでもなく鏡子の前を横切ると、部屋の片隅に置いてあった手毬を持ち上げ、にこりと夏稀に微笑む。その女の子を見た夏稀が言葉を失った。  その女の子は、間違いなく雫石で指輪を探していたユキちゃんだったのだ。ま、まさかユキちゃんが座敷童子? 夏稀は(すが)りを委ねようと鏡子を見た。が、鏡子は顔を強張らせ夏稀と同じように眼を見開いている。そんな二人を余所目に女の子は嬉しそうに手毬(てまり)を抱えると、そそくさと襖に駆け部屋を出ていった。  『な、何だ? 今、全く何も感じなかったぞ……人間? い、いやそんな訳はない。でも幽霊なんかじゃ……あ、あれは一体』 「お、お風呂いこ~かぁ、鏡子ネェ」 「あ、あぁ……そ、そうだな。夏稀ぃ」
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