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「よし、OK!!」
監督の力強い声で今日の撮影スケジュールは全て終了した。
後半の撮影は絡みシーンはなくドラマ部分の撮影で至ってスムーズなものだった。
通常ならば夜遅くまで撮影しその後スタッフは撤収作業、場合によっては会社に戻ってそのまま編集業務をする日もある。
だか明日の同じ場所で同じ撮影なら片付けはほとんどいらない。
「あっ、この後ちょっとだけ作業あるんだけど、帰る準備終わったら少し待っててくれる?そんなにかからないから」
「うん。わかった、待ってるね」
そう言った彼の最後のスーツ姿を目に焼き付けて、先輩の方へ走った。
スタジオの真向かいにカフェがある。ガラス越しに彼の姿を探して奥の席に座っている彼を見つけた。
スタジオ外で会う事で初めてプライベートが垣間見れたする。さっきまでカメラと大勢の前で肌を晒して乱れていた彼が別人の様に静かに僕を待っている。その状況だけで心臓の音が早くなってきた。
「ごめんね、待たせて」
なかなか店内に入れずやっと彼の元へ。
テーブルを見ると残りわずかのコーヒーと煙草が並んで置いてある。あまり見慣れない外国の銘柄のようだ。何だかとても大人びていて、そんな些細な事でまた無駄にドキドキしてしまう。
「へぇ、Naoくんって煙草吸うんだね」
「あっうん。ごめん匂い苦手だった?」
「ううん!特に気にしないから平気。ただ今まで吸ってるの見た事なかった意外だった」
「撮影場では絶対吸わないから。でないと女優さんに嫌がられちゃうしね」
きっとこれを知ってるのは僕だけなんだろうと思うと優越感に浸った。それとコーヒーはブラックだし、席は窓側より奥が好きなタイプだって事。
「じゃぁ行こっか」
鞄に煙草とスマホを入れて返却棚に戻し"ごちそうさまでした"と軽く店員に頭を下げた。
ADの僕なんかと親しくしてくれる彼は店員にも礼儀正しい。
女優に個人的に番号聞いたり、外で会おうとする行為はご法度だ。この業界の常識だか、それでも裏でこっそり行動起こしてクビになったバカな奴もいた。
だけど僕は堂々と彼を誘って一緒にいる。男優へのNG行為は聞いていないから問題なしだろう。
「電車一本で20分くらいだから」
「へぇ、本当に近いんだね。羨ましい」
ホームでの何気ない会話。平日の夜8時前、到着した電車は案の定混んでいて、何とか隙間を見つけて二人同時に入り込んだ。
彼との距離が今までにないくらい密着して電車が揺れると、彼からふんわりとシャワー後の石鹸の香りを感じる。それでまた更に体を縮こませてしまう。さっきからそんなの繰り返し。
「大丈夫?」
「えっ!」
「何だかいきなり静かだから」
10センチほど背の高い彼の視線を斜め上から浴びる。いつもならすぐにでも脱したい戦場の車内だが、今だけはもっとこのままでいたいと思った。そうしてる間に最寄り駅の名前が流れてやっと顔を上げて彼と視線を合わせた。
「あっ、次降りる」
人の間を縫って、今朝猛ダッシュで駆け込んだいつもの駅に着き改札を抜けた。
「車内暑かったから、外が涼しくてちょうどいいね。あっ、家はここから歩いて5分だよ」
「うん」
僕の生活圏に彼がいる事が信じられなくて隣に歩いてるのが本物の彼なのかと疑いたくなる。目をパチパチさせながら横目で見ていると、突然ピタッと止まった彼。
「あっ、そうだ。どっか適当にお店入って替えの服とか歯ブラシとか買いたいんだけどいいかな?」
「えっ、、あっ大丈夫!うちに歯ブラシも服も下着もあるし!貸すよ全部!パジャマも僕ので良ければ」
「あぁー…ありがとう。だけど……下着は大丈夫かな。撮影の日は替えの持ってるし」
苦笑いをする彼の顔で自分の気持ち悪い発言に気付いた。
「あぁごめん、、変な事言って」
「ハハッ。やっぱり君おもしろいよね」
良かった、とりあえず笑ってくれたからセーフか。いつものコンビニ、ドラッグストア、牛丼屋。
僕にとっては当たり前の光景を彼と並んで通り過ぎる。スローペースで話ながらいつもの倍の時間をかけてマンションに着いた。
「着いたよ。ここの4階」
彼をお迎えするにはギリギリ恥ずかしくないであろう普通の5階立てマンション。一応オートロック付きで鍵を差して自動ドアを開ける。
「わぁっ!何かカッコいいね!」
オートロックマンションの経験がないのか、ハイテンションになって声を出した彼がとても可愛く思えた。
「まぁこれくらい普通だよ」
それに調子よくしてカッコつけてしまった。
「広くはないけど、どうぞ」
「お邪魔します」
遠慮がちにきょろきょろ辺りを見回しながら入ってきた彼。足音が近づいてくると、収まっていた心臓の鼓動が今まで一番大きく鳴り始めた。
静かなこの部屋では、今にでも彼に聴こえてしまいそうだ。だけどやると決めた決戦の日。
これから大切な7日間を僕にください――
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