【Case01】和磨×Nao

10/24
前へ
/62ページ
次へ
 「まだ家にいてよかったのに。尚翔まだ入り時間先でしょ」    昨日と同じ場所へ昨日と同じ電車に乗っている。ただ昨日と違うのは僕と彼の"距離"とでも言うだろうか。 横に座っている彼は僕の服を身に纏っている。彼の服は今頃ベランダでゆらゆら揺れているだろう。  今朝目が覚めて彼が目の前にいて、まだ夢の中なんじゃないかと思いながら予定より早く起きた。夜中何度も目が覚めて寝た気がしない。     もぞもぞと動いた彼に"おはよう"と声をかけると(うずくま)った身体を伸ばし照れた顔で返事をした。 一夜明けてわかりやすいオイルの効果はまだ見えない。ただ今までで一番幸せな朝を迎えたのは確かだ。まだタイムリミットまで時間はある。  予定通りの時刻に電車が最寄り駅に着いて、ここからスタジオまでは徒歩10分。  「あっごめん、トイレいい?」  「いいよ。じゃそこの喫煙所にいるね」  トイレに駆け込み用を足して出ると喫煙所で煙草を吸う彼の姿。煙を吐き出す彼の顔は少し疲れた表情に見えた。ハッとこっちに気付いて笑って火を消して歩いてくる。 そう言えば家で吸うの我慢してたんだと今更ながら気付いた。  「ごめん。行こっ!」 これから彼は尚翔からNaoに変わるんだ。  「おはようございます」 スタジオに入ると先輩が既に到着していた。  「岩咲おはよう!あれ?Naoくんと一緒に来たの?早いね、出演者はまだ入りまで一時間以上あるけど」  「いえ彼とはたまたま下のエレベーターで会って。ちょっと入り時間を間違えちゃいました」 先輩の言葉に慌てる事なく冷静に返事した彼。  「そうなの?まぁまだスタッフも揃ってないし少し待っててね」  「はい。俺は控え室でゆっくり準備してます」  「じゃNaoくん、撮影準備整ったらまた後で呼びに行くよ」    彼はコクリと頷いて笑顔で控え室に入って行った。仕事中は今まで通り"Naoくん"呼び、プライベートとはきちんと区別つもり。 だけど……気持ちだけは区別出来なくなり始めていた。 また彼が誰かを抱くのを見なくてはいけない。  「ってか岩咲ってNaoくんとそんなに仲良かったっけ?」 僕と彼の様子を見ていた先輩が台本に目を通しながら質問してきた。  「……えぇまぁ、最近結構喋るようになったって感じですかね」  「ふーん。まぁでもうちに出るのもあと1本か2本ってとこかな?仲良くなったのに残念だったな」  「えっ!!何ですかそれ!?」  「えっ知らない?Naoくん、 A'zone(エーゾーン)から専属契約の話来てるって。早ければ年明けすぐにでも契約すんじゃない?」  A'zoneはこの業界人なら誰でも知っている大手AV制作会社だ。そこの専属となれば待遇や給料も格段に上がるだろう。断る理由なんてない。 だけどそうなれば仕事上での付き合いも終わると言う事だ。彼にはもう会う機会はなくなる。  昨日と同じスタッフが集まり一日のスケジュールやそれぞれの動き、必要な道具などの確認のミーティングが始まる。 さっきの先輩の言葉が頭から離れない。配られた用紙の文字もぼやけてる。  「よし、じゃ各自準備に取り掛かって!テキパキとな時間通りに終わらせるぞ」 嫌いな上司の言葉がいつも以上にうるさく聞こえ、全員がバタバタとそれぞれ持ち場につく。  「じゃぁ岩咲、俺たち一緒だからさっさと終わらせよう」  「えっ、あー…はい」  聞かなきゃよかった。このオイルが切れる7日間が終わったら本当のお別れなんだ。 僕と彼を繋ぐものは何もなくなる……    「今日もよろしくお願いします」  撮影準備が整い、昨日とはまた違うスーツに身を纏った彼が入ってきた。監督と女優に挨拶した彼はいつも見るAV男優のNaoの顔だった。  今日の撮影内容は、昨日オフィスでの行為から恋人同士になった二人のその後が描かれた二部作のストーリー。 本当の恋愛ドラマのような台本と凝った設定は完全に女子向けAVでうちの会社のヒットシリーズでもある。それから彼に度々オファーし出演をし始めて2年が経過していた。  いくつか短いシーンを撮り次はオフィスでの仕事中の何気ないシーン。上司に怒られて落ち込むOL役の女優を後輩の彼が彼氏役として慰めるシーン。二人の恋人感を最も出さなくてはいけない場面だ。  「本番!よーい、スタート!」  序盤はスムーズに流れていた。だが後半になるにつれ、いつもなら名役者並みの演技力ですらすらセリフを言う彼が何故か歯切れが悪い。時々セリフを飛ばしたり、言葉に詰まったり集中出来てない。  周りのスタッフもみんな"どうした?"と不安げな顔で見ていた。彼の撮影に何度も立ち会ってが今までこんな事は一度もなかった。  「Naoくんどうした!?大丈夫?ちょっと休憩しよう!」 モニターを見つめながら監督撮影がそう言うとカメラは止まり一旦中断された。 さすがに心配になり僕は急いで彼に駆け寄った。  「Naoくん……体調悪い?」 ここに来るまでは特に異変はなかったように思うけど昨日、鞄の中に薬を持っていたのは知っているし。もしかして調子よくないのに無理してるのかな。  「……いや別に大丈夫。何もないよ」  それから少しドラマシーンは後回しにして絡みの撮影に変わる。行為に移る前のイチャイチャするシーンは"甘く美しく優しくお互いを強く求めるように"との監督のお達しだ。  「涼子さんと付き合えて嬉しいです……ずっと好きだったから」 女優にバッグハグでギュッと身体を寄せる彼。  「Naoくん、ここじゃダメよ。誰か来るかもしれない」  「俺……もう我慢できません」    また僕にとって目を逸らしたい時間がきた。いつもの条件反射で見ないように目を伏せる。 そこからキスをして、いつもの流れだと裸の絡みが始まるのだけど……  やはり今日は彼の様子がおかしい。
/62ページ

最初のコメントを投稿しよう!

66人が本棚に入れています
本棚に追加